2000.4.19発行 vol.48
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■特集企画■

              <働くことの意味>

      〜50号記念特別号 あなたはなぜ働くの?〜


     ・なぜいま「働くことの意味」なのか
     ・働くということをどう規定するか
     ・自分にとって働くとはどういうことか

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1998年 4月の創刊以来、「きゃりあ・ぷれす」は「働くこと」というテーマ
にさまざまな角度から取り組み、オルタナティブなワークスタイルを読者の
皆さんと共に考えてきました。お陰様で、ここに第50号記念特別号をお届け
できますことを大変うれしく思います。

今号では、50号を記念する特集企画として「働くことの意味」を考えてみよ
うという試みに挑戦しました。しかし、いまになって「働くことの意味」な
どという分不相応な大テーマを掲げてしまったことを少し後悔しています。
それを「人間にとって」とか「現代社会において」などとしてしまえば、ほ
とんど哲学や宗教の世界に立ち入ってしまうテーマです。もちろん私たちが
考えたいのはそうした難しい話、あるいは一般論ではありません。「自分に
とって働くことの意味は何か」「何のために働いているのか」ということを
考えてみようという提案です。(宮崎)

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●なぜいま「働くことの意味」なのか
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◆日本型雇用システムの崩壊

それはまず、これまで「きゃりあ・ぷれす」で何度も登場した情況認識から
スタートしています。バブルの崩壊をきっかけとした、さまざまな枠組の機
能不全。その顕著な例として、雇用をめぐる情勢があります。

年功型賃金や終身雇用に代表される日本型雇用システムの崩壊は、これまで
あまり考えることを必要とされていなかった「自分は何を実現するために働
くか」「どういう働き方が自分にとって相応しいのか」という問いを、私た
ちにつきつけているのではないでしょうか? 会社に一生を捧げる働き方が
通用しなくなっている一方、NPOなど利潤の追求を第一義とせず、自分が納
得できる働き方を選び取ろうとする人々も増えています。

◆さらに大きなタームでの情況変化

さらに、日本型雇用システムの崩壊のみならず、私たちの社会はもう少し大
きなタームで働き方のターニングポイントにさしかかっているという指摘も
あります。それは、産業革命以降の大量生産、大量消費そして大量廃棄を前
提とした社会の行きづまりです。

産業革命は、それまでごく少数の人しか手にすることができなかったさまざ
まなものを大衆に安く提供することを可能にした、文字通り人間社会におけ
る大革命でした。このことは人間の働き方も大きく変えるものでした。莫大
な資本を投下した大規模な工場に多くの労働者を集約し、合理的な分業によ
って効率的に商品を生産する。それが工場からオフィスに変わっても、多く
の人々は大資本による大規模設備に帰属しなければ働けないという情況は変
わりませんでした。労働者は賃金のアップと労働時間の短縮をめざして戦い
ました。大資本を牛耳る側もある程度それに応えました。なぜなら、その労
働者こそがお客さんであって、大資本が生産したものを消費するためのお金
と時間を与えなければ売上げが伸びないからです。こうして経済における個
人の価値は大きなシステムの一歯車となってしまったのです。仕事の場と生
活の場、仕事の論理と生活の心情が分断され乖離し、1人の人間としての統
一感を失わせてしまったのではないでしょうか?

さて、この200年積み上げられた働くことをめぐる情況は、今少しずつ変化
している、変化せざるを得ない、あるいは変化できる環境が整いつつあると
いうのが、私たちの考え方です。環境の問題、資源の問題が従来型の大量生
産・消費・廃棄を許さない情況になっています。インターネットを中心とし
たメディアの革命は、マスからミニへ、そしてパーソナルへと情報受発信の
可能性と多様性を広げています。

たとえばこの「きゃりあ・ぷれす」。現在9600人を越える方々にメールマガ
ジンをお届けしていますが、インターネットというメディアと「まぐまぐ」
などの無料配信システムのおかげで、もし同様のものを一般の雑誌として発
行したら、当然必要となる印刷代も製本代も流通コストも書店の販売手数料
もかかりません。必要なのは、編集能力と情熱、ほとんどそれだけです。つ
まり、必ずしも大資本の歯車の1つにならなくても働くことができる情況が
今広がりつつあると考えられるのです。

大企業もIT 革命の波にさらされ、企業内の個人や小グループの創造性を重視
せざるを得なくなっています。行政についても大企業と同じことが言えます。
行政まかせの規制による経済運営が立ち行かなくなっているのと同様に、行
政まかせの社会保障にも限界が来ています。NPOなどによるきめ細かい活動
が重要性を増していくことが考えられます。

このような情況は、私たちの働き方を大きく変えていきます。これまでの大
資本や行政の言うなりの働き方、考えようによっては人まかせの気楽な働き
方しかほとんど選択肢のなかった情況が大きく変化し始めているのです。そ
れぞれが「自分はどんな働き方をしていくべきか」「働くことを通して何を
実現していくのか」という問いを自分の問題として課していかなければなら
ない、言いかえればその考え方によって多様な働き方、生き方が選択できる
社会が到来しているのではないでしょうか?

こうした時代認識のなかで、ひとりひとりが「働くことの意味」を考えてみ
ようという提案なのです。

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●働くということをどう規定するか
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この特集にあたって、編集部全員による座談会を行ないました。その時まず
問題になったのは「働く」ということをどう規定するかです。「働く」こと
は「生きる」こと。人間の精神的・肉体的活動のすべてと考えることもでき
ますが、それではあまりに範囲が広すぎるということになりました。

では「お金」を稼ぐことに限定するかというと、ボランティアが除外されて
しまうのでそれは狭すぎる。ボランティアを含むと、では趣味や子育てはど
うなのかということになります。

そこでこの座談会で出た一応の結論は、今回の特集で考える「働く」という
ことの範囲は、「家族や血縁関係の人々以外の社会に何らかの働きかけをし
て、社会に何らかの形で貢献する活動」としました。

もちろん家事や育児、血縁者の介護が働いていることにはならないと言って
いるのではありません。それらのものが社会に開かれ、そうした仕事を通し
て地域の人々との交流が生まれたり、互いに助け合ったりすれば、それはこ
こで言う「働く」ということになるでしょう。

こうした一連の前提に立って、編集部各人の「自分にとって働くことはどう
いうことか」について列挙してみました。みなさんそれぞれの「働くことの
意味」を考える上で、多少なりとも参考になればと思います。

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●自分にとって働くことはどういうことか
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宮崎:最初に働き始めた頃は、給料という自由に使えるお金を得たことから、
   働くことは自由を得ることでした。それから働き続け、今では働くこ
   とは社会という大きなフィールドでゲームをしている感じに近いよう
   な気がしています。さまざまな障害が出てくれば、それを乗り越えよ
   うと奮闘し、時には相手の裏をかいてみたり、まるでゲームのように
   楽しんでいるわけです。
   だからといって仕事=遊びで、ずっと楽しく仕事をしてればよいとい
   うわけではありません。自分には、なりたい自分やこうであったらい
   いという社会のイメージがあります。それを実現するために働き、そ
   して遊び、休息します。働くことと、遊んだり休息したりすることは
   イコールではありませんが、すべて関連していて、目的は同じと言え
   るでしょう。
   困難な状況に陥ったときも“ゲームは大変だからおもしろい”と思え
   るくらいでいたら、毎日楽しく働けると思います。

舩山:「宝くじで3億円当たったら働かなくて済むのになあ」
   だれしもが一度は思ったことがあるでしょう。もちろん、私だってそ
   うです。でも本当に3億円を手にしたら働かなくなるだろうか? と
   考えると、私の場合はノーです。きっとなんらかのかたちで働くだろ
   うなあ。それは、働くことで得られる自分なりの達成感や爽快感、や
   りがいなどが、私にとって必要不可欠なものになっているからです。
   (もちろん気分いいものばかりじゃなくて、ストレスやら悩みやら都
   合の悪い状況をも得てしまうけれど、それらも含めて私には必要、と
   いう意味)
   だから、私にとって「働かなくてもいいくらいお金がある」魅力より
   も、「働くことで得られるいろんなこと」の魅力が少しでも勝ってい
   る限りは、きっと働き続けます。

広渡:僕にとっての「働くこと」の意味は、自分がやりたいこと、やるべき
   ことをしながら快適に生きていくということと同義になると思います。
   「仕事」とは、自分自身がやりたいともくろむ願望であると同時に、
   社会の中で僕自身でなければできないことを追求していくという義務
   でもあるんじゃないかという気がします。そのためには、「仕事」と
   「日々の生活」に統一感が持てるような働き方をしなければならない
   し、自分の中で辻褄が合わないうちは、ほんとうに働いているとは言
   えないのかもしれない。そして、そのバランスこそが、自分が気持ち
   よく暮らしていくうえでいちばん大切なことなんだと感じます。
   でも、「働くこと」は、人間同士の社会的関係においてしか成立し得
   ないものだから、自分が働くことで、それがどんなカタチにせよ社会
   への働きかけになるような「働き」の感覚が重要になると考えます。

高橋:僕の中では、働くことは気持ちよく、満足して生活していくための手
   段です。ただそれは単なるお金儲けの手段としてではなく、自分が生
   きていくのを楽しくするための道具というか。だから、おいしいもの
   を食べたり、趣味の活動をするのと同じレベルで楽しく仕事をしたい
   と思っています。仕事の達成感が、他のものと同じくらいの気持ちよ
   さであったらいいなと。今はそこまでのレベルに達していないので、
   働くことをそこまでもっていきたいというのが理想です。

井上:私は、会社以外の生活が毎日とても楽しくて、土日に遊んで月曜日に
   なると会社に行きたくないなと思うこともあります。でも、会社に行
   かない人生を考えると、きっとものすごい状態だと思います。それに、
   会社に行くことで、新しい自分を知ることもできました。会社という
   足かせがあることで、自分を客観的に見ることができるんです。
   働くことは、私にとって自分を抑制する、そして自分を客観視するた
   めのツールとして考えています。

渡部:まだ社会に出て数年しかたっていないので“そうなればいいな”とい
   う希望なんですが、私にとって働くことは、自分が誰かのため、何か
   のために役立つことができる場所を得ることなんじゃないかと思って
   います。それは自分の好きなことで社会に認められたいということな
   のかもしれないんですけど。社会に認められることは、今の私には働
   くことでしか実現できないんじゃないか、ということで働いているの
   かな。