2006.4.26発行 vol.217
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■特集企画■「MINOHODOism」レポート vol.4
       GNPからGNHへ。
       GNH(国民総幸福)を国の指標とする
       小国ブータンの壮大な試み
       「ブータン雑記」その1             宮崎郁子

       ◆小国ブータンが世界に発信するGNHというコンセプト

       ◆今回の旅程概要
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■はじめに■
昨年秋、ある雑誌で「ブータンの叡智」という特集が組まれた。私はその懐
かしくも美しく、かつダイナミックな数々の景観写真と共に、GNH(国民
総幸福)という文字に目をうばわれた。
チベット(中国)とインドにはさまれたヒマラヤの小国が生き残るために選
んだ道、それが「国民総幸福」を指標とする国づくりなのだ。
それが一体どんなものなのか、私は自分の肌で感じてみたいと思った。

単なる短い観光旅行であったが、私は3月末からバンコク経由で10日ほど
ブータンに出かけた。限られた時間で、さらりと3つの町を拠点として観光
ポイントを巡ったにすぎなかったが、バンコクという都市との強烈な対比も
あり、様々なことを感じ、ブータンという国や人々の一端に触れられたよう
な気がする。
それは「MINOHODOism」のひとつの具体的な姿であったように思う。

■「MINOHODOism」とは■
< http://www.pangea.jp/minohodoism/toppage.html >

今号では、「MINOHODOism」レポート vol.4 として「ブータン雑記」その1
をお届けし、次号以降も少しずつ思うところを連載していきたいと考えてい
る。

とはいえ、わずかな旅行体験でひとつの国の有りようを正確に伝えることな
ど、とてもできるものではない。このレポートでは、ブータンで手に入れた
若干の資料と出会った人から聞いた話を織りまぜながら、感じたことを書こ
うと思う。
あくまで私が感じたブータンである。         発行人:宮崎郁子

[これから書こうと思うこと]

●始めに  小国ブータンが世界に発信するGNHというコンセプト
●基本情報 今回の旅程概要

(次号以降)

1.外国人旅行者から1人1日220ドルを政府観光局が徴集する国
2.マニ車(祈祷車)やダルシン(祈祷旗)によってお経が空中を満たす国
3.鎖国によって守られた自然や文化を資産として充分認識し、誇りとする国
4.支配されないための英語教育
5.土木工事をインドやネパールからの労働者に担わせる国
6.転生(REBORN)という常識
7.とても似ている、でも全然似ていない
8.これからのブータンに思うこと
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            GNPからGNHへ。
   GNH(国民総幸福)を国の指標とする小国ブータンの壮大な試み
          < 「ブータン雑記」その1 >
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●小国ブータンが世界に発信するGNHというコンセプト
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まず始めに、私がブータンにひかれた第一の理由である「GNH」とはどの
ようなものかについて書いてみたい。

資料によるとブータンは、ほぼ九州と同じ広さの国土に約70万人の人々は
暮らす国である。森林の面積は、国土の72.5%(ちなみに日本は67%)、
都市の人口が約2割、田舎の人口が約8割を占めている。国民1人当たりの
GDPは712.8USドル(2000年)と記載されている。

その小国ブータンは、チベット、キッシム、ラダクなどといった近隣の小国
が次々と消えたあと、唯一ヒマラヤの仏教国として21世紀を迎えた。

現在のワンチュック王朝が初めて国王の座につき、ブータンが統一国になっ
たのは1907年、今から100年前と意外に王家としての歴史は短い。そ
の初代国王から数えて4代目に当たるのが現国王ジグメ・シンゲ・ワンチュ
ック国王である。ヒマラヤなどの厳しい地理的な障壁にも守られて、意図し
て孤立政策をとってきたこの国が、1972年国連加盟、1973年非同盟
会議加盟を経て、鎖国をといて外国人訪問者を受け入れ始めたのは、現国王
が18才で即位した1974年、今から約30年前のことである。

そして、1976年スリランカでの非同盟会議後の記者会見で、現国王はG
NH(Gross National Happiness)に初めて言及する。
「国民総幸福量(GNH)の方が国民総生産(GNP)より重要なのだ」。
国王のこの言葉は、国づくりに対するブータン独自の取り組みを端的に表現
するとともに、社会経済開発理論の新たなパラダイムを、国際的論壇に投じ
るものとなった。

私がこの事実に大変注目するのは、経済優先で発達したいわゆる先進国と呼
ばれる国の知識人などが、自分達のやり方に限界を感じ、まだ発展途上の貧
しい国に先輩づらをして提言したコンセプトではなく、自らの熟慮によって
自らがそれを選び取ることを宣言したということだ。

人も国も、失ってみなければ、本来もっていたものの価値をなかなか理解で
きないものだ。実際多くの発展途上国が、そうした独自の強いコンセプトを
もてないまま、大国や先進国に与えられる目先の利得やおしきせの価値観に
ふりまわされて、かけがえのない多くのものを失っている。それは国家間の
ことだけでなく、たとえば日本における中央と地方の関係でもいえることで
はないだろうか。

ブータン国営航空が発行した「Bhutan 2005」という冊子には、GNHにつ
いて次のようなことが書かれている。

「ブータン人にとってGNHは『進歩を目指すひとつの賢い指標』であり、
それは過去半世紀の大いなる『進歩』の過程で世界が犯した、いくつもの過
ちを省みることで学び、たどりついたものだ。すなわち、多くの先進国が
『発展』ということはすなわち物質的な富の追求に他ならないという過った
理解・解釈をしていた、ということに気づいたことからGNHという概念は
生まれたのだ。」

「1961年以来、計画経済による国づくりを始めたブータン人たちは、彼
らに先んじた世界中の国々が経済的発展を追求するあまりに、伝統文化や自
然環境、そして何よりそれぞれの国が本来もっていた独自性を失ってしまっ
たことを知ることになった。経済的、物質的には驚くほどのレベルに達した
国々であっても、幸福はそれほど大きくなっていなかったのだ。」

「GNHは経済的発展への努力を放棄するという考え方では決してない。た
だ、『幸福』という尺度が優先権を与えられるのである。」

そして「幸福は外から与えられるものではなく、人の内面からしか得られな
い」とも書く。GNHには仏教の考えが色濃く反映しているのだ。
実際ブータンを訪れて、そのことは強く感じた。宗教なしに「幸福」とは何
かを示すことはなかなか難しいかもしれない。

しかしブータンでは、GNHを宗教的精神論やただの修辞的なキャッチフレ
ーズに終わらせないために、4つの柱によるマスタープランを設定している。
1)持続可能な社会経済発展 2)環境保護 3)伝統文化の新興
4)すぐれた統治力 の4つである。

そして2004年には、国の公式研究機関がGNHをテーマに国際セミナー
を開催し、80を超える論文が提出され、2005年には同セミナーがカナ
ダで開催された。
GNHという概念は「より幸福な地球規模の将来像」に対する国際的な関心
と希望をもたらしている。

こうしてブータンは、世界に向けて積極的にGNHというコンセプトを発信
し、その具体的な実像としての国づくりに精進している。少なくとも、日本
でよくありがちな実像の乏しい美辞麗句的なマスタープランではなく、熟慮
によって行なわれているであろうそれに向けた具体的な取り組みが確かに伴
っていると今回の旅では感じることができた。

ブータンにとってGNHを具現化することは、国家の存続を左右するもとと
らえられている。なぜかについて、前述の冊子では次のように言う。
「ブータンはあまりに小国であり、将来にわたって軍事面でも経済面でもと
るに足らない存在でしかあり得ないからだ。ブータンが生き延びられるとす
れば、それは他のどの国とも明確に異なる国家像、アイデンティティを力と
する以外ないであろう。」

生き延びるために、軍事力や経済力に頼るのではなく、また大国の傘の下に
はいるのでもなく、世界から「幸せ」のひとつの実像として尊重され尊敬さ
れる国を目指すという叡智と気概に満ちた選択に、私は心から尊敬の念を抱
く。地球上にそんな国があるなんて、地球も人間もすてたものじゃない。
力でなく叡智によって「幸せ」な国が存続できることをブータンが示すこと
ができるなら、世界の有りようも変わっていくだろう。ブータンは地球規模
でそんな希望を抱かせてくれる存在なのではないだろうか。

次号からは、わずかな期間で私が感じたGNHやブータンの一端をお伝えで
きたらと思っている。


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●今回の旅程概要
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ブータンは日本からはやはり結構遠い。直行便はなく、日本からブータンに
行く場合は、タイ・バンコク経由というのが一般的のようだ。しかも決して
乗継ぎがいいわけではないので、バンコクの空港でかなり長く時間待ちをす
るか、行き帰りともバンコク泊まりを加えるかということになる。

今回ブータンでは、涼しい高地にある首都ティンプーと亜熱帯気候のかつて
の冬の首都プナカ、そして空港のあるパロに2泊ずつするという、ブータン
を感じるにはほぼ最短の期間のものであった。
それでも他のアジアの国々、もちろんアジア以外の国々とのはっきりとした
違いを感じることができるほど、ブータンは色々な意味でユニークだった。
どんな風にユニークなのかについては、次号以降1〜8の項目に沿って私な
りに感じたことを書いていきたいと思う。

その前に、今回訪れた地域のイメージを簡単に記すとこんな感じだ。

■首都ティンプー:首都と言っても都市というイメージはない。山と山には
  さまれた谷あいに川が流れ、その両岸には国王や政府関係の建物が建って
  いる。と言ってもいわゆるビルと言えるものはなく、すべてが意図的に伝
  統的デザインで統一されている。一番高くても5階立て程度のもので、川
  沿いにひらけた温泉町といった風情である。信号は全くなく、町一番の交
  差点では、警官がきびきびした動作で手シグナルを送っている。ブータン
  の伝統を伝える各種の博物館や美術学校、紙すきや織物工場、薬草を使っ
  た伝統的医療を施す病院や研究機関などがある。

  町と町をつなぐ道路は必ず峠越えがあり、曲がりくねったでこぼこ道だ。
  峠からは晴れていれば緑の山並の遥か遠くチョモラリやマサ・コンなどの
  ヒマラヤの峰峰が望める。

■プナカ:標高2400m程度のティンプーに比べて1000m以上標高が低
  く、バナナなどが生い茂る亜熱帯気候の古都。2つの川の合流点に、主要
  な町には必ずあるゾンと呼ばれる行政機関と寺院が合体した大きな建物が
  建っている。近郊には、なだらかな斜面に田んぼが連なり、まるで日本の
  昔話の絵のような美しくも懐かしい農村風景と農村の暮らしが広がってい
  る。そのあぜ道を辿って20分ほど歩くと、チミ・ラカンという子宝の寺
  がある。

■パロ:空港のあるブータンの表玄関。と言っても、他の国の都市とは全く
  違う。大都市ならぬ大「農村」とは、「地球の歩き方〜ブータン」の中で
  の表現だが、まさにその通り、健やかな農村がそこには広がっている。近
  郊には、ブータンでも最高の聖地とされるタクツァンがある。断崖絶壁に
  建つこの僧院の姿は、下から見上げても少し上から見ても、ダイナミック
  そのものである。また、車で上ることのできる3800mの峠チェレ・ラ
  からは、おびただしい祈祷旗ごしにチョモラリが見られる。この峠では、
  6月からの雨期には国花であるブルーポピーの群生が見られるという。も
  しまた訪れることができるなら、是非ともその時期に来たいものだ。

                           (次回につづく)