2015.8.20発行 vol.376
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■INDEX■

発行人の気まぐれコラム 4

◇ next・近代。脱・明治

その3 私たちの最大の幸運は、海に囲まれた極東の
「ちっぽけな」列島に住んでいること

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[next近代は、新たなグローバルスタンダードをつくろうとするものではない]

世界規模の問題として、西洋近代的価値観によるビジネスや科学の歯止めがきかない暴走が、21世紀以降のこれからにとって大変危うい、決して多くの人々を幸せにしないというお話を、「next・近代。脱・明治。その1」でしました。 それはそれで、大きな流れとしておおいに危惧しなければならないし、今こそnext・近代を真剣に考えるべき時だという認識は、大変強いものがあります。

しかし、next・近代は、決して近代に取って代わるようなものではありません。グローバルスタンダードの次の方法ではないのです。このやり方こそ一番で、地球上のあらゆる地域、人々が同じやり方に従うべしというものにはならないと思います。そうであってはいけないのだと思います。もう、そこから近代とは違うものでなくてはならないと思うのです。

もちろん20世紀までに培われた、いさかいを回避するルールや過剰になる前の科学やマネーの活用、そして価値観の一部は、すべて無用、悪であるとする必要はありません。地球に住む者たちの暮らしにとって役に立つものは残すべきだと思います。 家康が、信長の天皇との距離の取り方や街道整備、枡の統一規格などを引き継いだように。

でも西洋近代が押し進めるスタンダード化は、必要最小限にとどめるべきだというのが私の考えです。 そのうえで、地球上のそれぞれの地域の環境や歴史や住民の特徴それぞれに合った、そこに住む人々にとっての幸せで安定した社会をつくっていくべきだというのが私の主張です。 そこには、それぞれの「別品」の暮らしや文化があるでしょう。価値観だって違っていいのです。周りのエリアの別の価値観の人々や地球環境全体に迷惑を 及ぼしさえしなければ。そうした地球全体や近隣の国々との間でのルールは必要でしょう。

さて、ここで私たち日本列島に住む者たちにとって幸せで安心できる社会像とは、どんなもんでしょう。どんな方向性、コンセプトがいいのでしょうか。

今、円安やビザ発行基準の引き下げなどの影響もあるとはいえ、世界中から多くの観光客が日本を訪れています。彼らが魅力を感じるほとんどのものは、江戸時代に庶民によってつくられたモノやコトです。(中国人の爆買いはちょっと別ですが。)それは他の地域では見られない「別品」だからではないでしょうか。一言でいえば、そんな「別品」な社会です。

その具体像を考える前に、まずは、私たちの住む列島や私たちの持ち味などの特徴を整理してみましょう。

 

[私たちの住む列島や私たちの持ち味などの特徴を整理してみる]

■ 私たちが住んでいるのは、温暖な「海に囲まれた」南北に細長い欧米から見れば極東の「ちっぽけな」列島。

この「海に囲まれた極東のちっぽけな列島」ということが、これまでの歴史の中でどれだけ大きな幸運をもたらしてくれたことでしょう。異文化や異言語エリアと陸続きの小さな地域では、各地で発生するいさかいにしょっちゅう巻き込まれて、常にエラい目にあいます。周辺の多くの勢力にとっかえひっかえ支配されて、独自の暮らしや文化を育む余裕などあったものではありません。その様な陸続きの多文化圏に比べれば、圧倒的に安全です。

さらにヨーロッパのように中小国ばかりの地域でなく、隣りは何といっても文明大国、中国。そこから少しずついいコト、役に立つコトを教わり、いいモノ、役に立つモノをいただくことができました。家康の頃になると、中国が活力を失い弱体化していたので、その頃になってからは特にアプローチする必要はなかったのでしょう。でも朝鮮半島からは引き続きいろいろないいモノやコトが入ってきています。

そして4000年の歴史をもつ大国中国にとっては、ちっぽけな日本列島なんて全く眼中にないものでした。時々使節団がやって来て、挨拶や貢物をするので、まあ「うい奴」と言ってもたなしたり、時には使節も送ったりはしています。独立国だった琉球と大差ない扱いだったのでしょうけれど。

■ 温暖な海に囲まれた南北に細長い地域にも関わらず、標高の高い山を多く有するが故の豊かで多様な植生や海洋生物、豊富で清らかな水。

■ 狭い列島にひしめく多くの火山。その恩恵として多数の温泉に恵まれている。

■ 地震や台風などの自然災害が多いが故に、それを数限りなく克服することで培われた庶民の忍耐力とチームワークの力。

■ 突出した思想家や政治家があまり出ない反面、村などの小さなコミュニティやひとりひとりの思考力や創意工夫の力、モラルなどのレベルが高い。

それはおそらく、砂漠地帯など過酷な環境とは異なり、ひとつ進む方向を間違うと即、死に直結するということがなく、ひとりの突出したリーダーにとことんついていく必要がないからではないでしょうか。また、モラルに関しては、広い地続きの陸地ではないので、ひどい裏切りをしたり、悪事をなすなどコミュニティの怒りをかうと、高飛びす範囲に限りがあるからではないでしょうか。が高い。

■ 恵まれた自然の恩恵を受けて、自然と共生しながら、常にその自然や周りのコミュニティに感謝し、それに報いるように努力する。それが私たちにとっての「働く」ということ。

自分の働きでコミュニティに認めてもらい、感謝されること。それが個人個人の存在証明であり生きがいであり、私たちにとって「働く」ということなのです。キリスト教的発想の原罪の酬いとしての生きることのあらゆる苦難の中の大きな要素としての「労働」という位置づけとは、全く正反対なのではないでしょうか。

そうしたことを十分認識した上で、それを生かして国づくりをしようとしたのが、家康からつながる江戸時代。そのような認識もなしに、ただ外国の船団に恐れをなして、思想的にも認識的にも全く無知、無防備で開国したのが明治。だと私は思っています。

[欧米とは水と油の私たちの地域性と住民性]

私たちの住む列島や私たちの持ち味などの特徴については、大雑把な項目出しで、まだまだいろいろあると思いますが、これだけを見ても、欧米や中国とは全然違うことがわかります。特にアメリカとは。何しろ全く歴史的にも縁もゆかりもない地に、先住民がいるにもかかわらずわざわざ他国の奴隷を連れて侵略して成立した国家なのですから。アメリカのまねやアメリカへの隷属を好きこのんでして、幸せで安定した社会をつくれるはずもないのです。

今、政権が躍起になっている安保法制や、核の平和利用、Co2削減などの美名のもとの人的環境的大リスクを有する原発に対する執着が、いかにトンチンカンかが明らかです。自らが属している地域や住民性の良さが全くわかっていない、誇りをもっていない、自分自身にも全く自信がない、何より住民の平和と安全を大切になど思ってもいないということが明確にわかります。

そんな人物や政権に私たちの今後を、これ以上少しの間でも任せてはいけないことだけは、火を見るよりも明らかなのではないでしょうか。

何でも世界で何番とか、海外は進んでいて自分たちはそれに肩を並べなければとか、何でもいいから大国になりたいという子供じみた望みのもとで、他の大国や西欧を追いかけたり、マネをしたりしてみても無意味ですし、愚かです。

海に囲まれた「ちっぽけな」列島であることこそ、私たちの列島の「別品」な自然環境や文化や精神性を培ってくれた幸運な要素であることを認識し、それに感謝し、そのメリットを活かして、これからのあまり希望の見えない近代社会に、違う形の幸福の姿を提示することこそが、私たちの使命であり、これまでの幸運に恩返しをすることになるはずだと私は思います。

次号では、いよいよ私たちの住む列島や私たちの持ち味などをどう活かして、next・近代、脱・明治の社会像を画いていくかについて書いてみたいと思います。

みなさんのご意見、ご感想などお待ちしております。


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2015年8月20日 『きゃりあ・ぷれす』発行人 宮崎郁子