きゃりあ・ぷれす

天職を探せ
様々に悩み、考え、挑戦して、
今『天職』と言えるものを見つけてがんばっている人、
見つけつつある人と発行人宮崎との対談。
天職を見つけた結果よりもそこに至る思考の変遷や
キャリアの蓄積などの経緯にスポットを当てています。
それが、今、様々に悩んだり迷ったりしている方に
少しでも役立てば幸いです。
第1回 パク・ジョアン・スックチャさん ワーク/ライフ・コンサルタント

「ワーク/ライフ・バランス」への取り組み。

自分のキャリアは自己責任。

<プロフィール>

パク・ジョアン・スックチャ (Joanna Sook Ja Park)
有限会社アパショナータ代表取締役
ワーク/ライフ・コンサルタント

日本生まれ、韓国籍。米国ペンシルバニア大学経済学部卒業。
シカゴ大学MBA(経営学修士号)取得。米国と日本で米国系企業に5年間
勤務。その後、韓国延世大学へ語学留学。日本に戻り米国系運輸企業に入社。
同社にて日本、香港、シンガポール等、太平洋地区での人事、スペシャリス
トおよび管理職研修企画、実施を手がける。
2000年2月に退社。働く人々が、やりがいのある仕事と充実した私生活を持
てるように企業での働く環境を変えていきたいと願い、同年12月にワーク/
ライフ・コンサルタントとして独立。

【執筆および記事】
「人材・雇用の流動化などに伴う新たな企業・社会システムの構築報告書」
第2章 米国におけるワークライフバランスの取り組み
(財団法人自由時間デザイン協会 2001年3月発行)
「私生活と生産性」(アエラ 2001年5月21日号)
「Work/Life hangs in balance」
(日経ウィークリー 2001年7月9日号)
「ワーク/ライフ・バランスで築く新人事戦略’」
(JMAマネージメントレビュー 2001年8月号)
「ワーク/ライフ・バランス」 (女性と仕事ジャーナル 2001年8月号)
「働き方,生き方全予測」個人篇回答者
(プレジデント 2002年2月4日特別増大号)
「出産しても働き続ける」のコメンテーター
(日経WOMAN 2002年3月号予定)
「ワーク/ライフ・バランス特集」 (企業と人材 2002年3月号予定)
「ワークライフバランスを考える」
(暮らしと教育をつなぐ We 6月号・予定)

◆ワーク/ライフ・バランスとは◆――――――――――――――――
「ワーク/ライフ・バランス」とは、やりがいのある仕事と充実した私
生活のバランスをとりながら、個人が持っている能力を最大限に発揮す
ることです。企業での「ワーク/ライフ・バランス」への取り組みの目
的は、社員がそれを達成できるようにサポートすることです。米国では
人事分野として発展しました。

■就職に困らないように、という母のはからいで英語を身につけた


宮崎 お生まれは日本ですか?

パク  ええ、そうです。在日韓国人です。中学2年までは日本の中学校に通って、中学3年生の時にアメリカに行きました。当時は、韓国人は日本の会社には就職できないという時代でしたから、英語ができれば就職に困らないということで、母が、私と姉にスキルをつけさせるためにアメリカに行かせたんです。

宮崎 アメリカに行かれるまでは、普通の日本人レベルの英語力だったんですね。言葉を覚えるのが大変だったのでは?

パク 私の時代は、アメリカには日本人がほとんどいなかったので、英語の覚えやすい環境でした。周りはすべて英語ばかり、日本語が聞こえると「日本語だ!」なんて驚いたりして。アメリカの親戚の家で、姉やおばと日本語で話すこともありましたが、身内以外の日本語を話す人と接する機会はほとんどありませんでした

宮崎 高校は日本で行かれたんですか。

パク 高校1、2年はアメリカで、3年生の1年間だけ日本にあるインターナショナルスクールの国際部に通って、卒業後、アメリカに留学しました。私は永住権が日本なので、1年に1回帰国してビザを切り替えなければいけないかったんです。学生の頃は夏休みが3カ月あったので、夏休みに日本に帰ってきて秋にまたアメリカに戻って、というようにアメリカと日本をいったりきたりしていました。

宮崎 どうして高校3年生の1年だけ日本に帰ってこようと思われたんですか。

パク 大学もアメリカで通うとなると、当分日本には住まないな、と思って。ちょっと親元にいたいというのもありました。

宮崎 大学では何を専攻されたんですか。

パク
 経済です。3年生までは選考を決めなくてよかったので、いろいろなクラスをとって最終的に経済専攻になったんですけど。私は昔から美術などといった文化的なことが大好きで、大学時代も美術史や音楽史などの授業をとっていました。たまたま成績も良くて、現実的だったので経済を専攻しましたが

宮崎 経済なら仕事にも結びつくということで。

パク そうですね。

宮崎 卒業後、シカゴ大学のビジネススクールにいらしたんですよね。アメリカのビジネススクールというのは、どういうことを教えるのですか。

パク シカゴ大学はアカデミックな内容が多かったですね。“論理的なアプローチでビジネスを”という感覚が強かったので、働いた経験がなくても違和感なく入れるところでした。

宮崎 2年間通われて、MBAを取得されたということですか。

パク そうです。卒業後そのままアメリカで就職して2年半いました。当時のアメリカは失業率が高くて、留学生はなかなか雇ってもらえませんでした。それでもシカゴの郊外にある、日本に支社を持っている会社になんとか就職しました。

宮崎 そこではどういうお仕事をなさっていたんですか。

パク 人事の仕事です。それからずっと人事です。

宮崎 今のお仕事のきっかけは、最初の配属がたまたま人事だったということなんですね。

パク 今考えてみると、そうですね。人間にかかわることが面白いと思ったんです。“どうしたらヤル気がでるか”とか。人間にかかわる仕事をしたいなと。

■「これって本当に私のやりたいこと?」の思いが転職へつながった

宮崎 そこで2年半働いてから、転職なさったんですか。

パク いえ、日本に子会社があったので、アメリカから日本に転勤しました。アメリカと同様に人事に配属されて、新卒採用や大卒の新人研修などを担当しました。そこにも2年半いました。

宮崎 その会社には合計で5年いらしたわけですが、会社を辞めたきっかけというのはあるんですか

パク 居心地は良かったんです。上司もいいし人間関係も問題がなく、何の不満もなかったんですけど、「これって本当に私のやりたいこと?」と考えたときに、違うなと思って。  どうせなら、元々好きな文化的な仕事を、と思って。美術をプロモートするサザビーのオークションハウスとか、音楽に関する企画をたてて楽団を呼ぶような仕事をしたいと思って会社を辞めました。

宮崎 同じ会社に5年半いて、ここですべきことは終わったという感じですか。

パク 終わったとは思いませんでした。これからもっとやっても面白いかなとも思いましたし。

宮崎 この会社ではこれ以上もらうものはない、という訳でもなく?

パク それはなかったですね。仕事もある程度できるようになったし、いろいろ学んでステップアップできるようになった。でも満足感、充実感が足りなかったんです。そこそこ満足はしているけれど、フルに充実してハッピーというのではなかった。「自分は妥協しているんじゃないか」と思ったんです。

宮崎 友達をみてそう感じたとか、何か比較の対象があったのでしょうか。

パク いえ、それは全くないです。

宮崎 辞めようと思ったのは何歳ぐらいの時でしょうか。

パク 29歳ぐらいです。その時、本当にやりたいことをやるならば、1つだけ自分が義務としてやらなければいけないと思ったのが、韓国語を覚えることでした。自分は韓国人で、パスポートも持っているのに、韓国語は話せないし住んだこともないっていうのは、よくないと。自分の国に住んで、言葉を覚えて、実際の生活を見たい……というのは、大学院の受験に失敗したら行こう、就職が見つからなかったら行こうという感じで、何年も前から延び延びになっていたことだったんです。それで、それまで貯めたお金で韓国に語学留学しました。

宮崎 韓国にはどのくらいいらしたんですか。

パク 実際に授業を受けたのは9ヶ月ほどで、働いた期間も合わせると1年半です。

宮崎 言葉はそれくらいの期間で覚えられるものなんですか。

パク 韓国語って日本語に似てますから。文法も似ているし、日本語を知っているとすごく……。

宮崎 同じように感じられる?

パク そうですね。発音も似ていますし。漢字を少し韓国語読みにしたり。

宮崎 では、英語と日本語と韓国語ができるんですね。

パク まあ、そうですね一応(笑)。

■転職活動で夢と現実のギャップを知り、経験を生かす道を選んだ

宮崎 韓国にいらして、韓国語も覚えられて、次は何をするの? ということになりますが。

パク 美術や音楽のほかに、ワインも好きなのでワインのプロモーターもいいかなと思って、そのあたりの仕事をいろいろ受けました。でも実際には美術は学歴の世界で、音楽も著名な先生に師事したことが重要だったりと、とても閉ざされた世界なんです。サザビーズの元社長さんともインタビュー(面接)したんですが、あの頃は運悪くバブルがはじけたばかりで、採用するより辞めさせたい状況にいるというようなことも言われました。それに、女性は事務職しかしていなかったんです。そのようなことがだんだん分かってきて、こういうのはやはり趣味にとどめておいた方がいいのかな、と思うようになりました。辞めたばかりの頃は、「普通の企業には絶対戻らない」と思っていたんですが。

宮崎 普通の企業はそんなにイヤでしたか。

パク というか、文化的な仕事をしたいという気持ちが、とても強かった。美術史の本などを読んでいるととても楽しくて、これを読んでレポートを書くような仕事ができれば最高だな、と思いました。

宮崎 30歳前後というのは、結婚ということだけではなく、人生を考えるひとつの節目かもしれません

パク そうかもしれないですね。居心地のよさが長く続くと、自分がフルに満たされていないと感じて、「何かしなくちゃいけない」と思うようになるんですよ。

宮崎 このままずっといてしまったらダメだな、と。

パク 絶対に後悔すると思って。で、「絶対に好きなことを仕事にする」と会社を辞めて就職活動をしてみたら、考えが甘いということもあったかもしれませんが、現実は自分が思ったのとは違いました。それに、お給料もすごく安かったですよね。それまで私がもらっていたお給料と比べると「え、こんなものなの?」って。
仕方ないから普通の企業の就職活動もしよう、とジャパンタイムズを開いた時に、米国系運輸会社の太平洋地区担当で人事という、自分のバックグラウンドにぴったりの仕事を偶然みつけたんです。結局、お給料も上がったし、以前より責任のある仕事も任せられて、ステップアップになりました。1年から1年半休んでブレイクしたのが全くハンデにならなかったんです。

宮崎 韓国に留学することもできたし、いろいろ就職活動して現実も理解できた。やりたいことに見切りをつけられたということですか。

パク 趣味でいいじゃない、って。でも、辞めたことに後悔はないですね。あの時続けていたら、「辞めたらどうなっていただろう」とか、「美術関係の仕事をしてたらどう変わっていただろう」と……。

宮崎 いつまでも思いますよね。実際にチェックしてみないと、いつまでも現実的でない夢のようなものが育っていたかもしれません。

パク そうですね。トライしてみないと「あ、こんなものか」ということも分からない。でも、想像していたことと現実が違ったというだけで、がっかりしたわけではありません。

宮崎 その会社では、どういう役職だったのでしょう。

パク シニアパーソナルリプレゼンタティブです。多分日本にはない役職だと思うんですが。

宮崎 人事戦略といったかんじですか。

パク う~ん、ちょっと日本語に置き換えて当てはまるものがないですね。管理というのではありませんでした。アメリカの制度をアジアに取り入れるというようなこともしていました。

宮崎 そのためにいろいろ活動するのですね。教えてみたり、やり方を考えてみたり。アジア担当ということですが、会社はどこにあったんですか。

パク 会社は東京です。私の上司はアメリカ人で途中から香港に移りました。彼の後任のイギリス人女性も香港にいましたし、その次の上司はシンガポールの人でした。私は日本で仕事をしていましたが、アジアの仕事がほとんどだったので、出張が多かったです。

宮崎 日本以外のアジアの人たちにアメリカ型の人事制度を導入したということですが……。

パク アメリカというよりも、本社の人事制度です。

宮崎 本社の人事制度を導入する役割を担ったわけですね。いろんなところに行かれたんでしょうね。

パク 香港、台湾、シンガポール、韓国が多くて、時々フィリピンに行きまし
  た。会社にいた最後の時期には、中国にも行きました。

宮崎 日本と日本以外のアジアと、同じように本社の制度を導入したときに、その国によって何か違いましたか。受け入れ方とか。

パク みんな外資系で働いている人ですから、同じようにフレキシビリティはあります。特に中国の人は柔軟性が高くて、制度もすんなり取り入れていました。中国系は女性が強くて、地位も高いんです。私はマネージメントトレーニングをやりましたが、受講者の半分くらいが女性でした。

宮崎 日本はちょっと違うんでしょうね。そこで働いている間、仕事は少しずつ変化したんですか?

パク 人事からマネージメントトレーニングになって、さらに人材開発というように変わっていきました。その間に2回出産して、産休も2回とりました。

■日本以外のアジアを見ていたから、家事も仕事もあたりまえに夫婦で折半できた

宮崎 結婚されたのはいつですか?

パク その会社に入って1年後ぐらいです。

宮崎 結婚は、仕事に影響しましたか。

パク 全くしませんでした。結婚では変わらないです。出産で変わりました。

宮崎 最初の出産の時はおいくつでした?

パク 35歳です。会社に入ってから3年後ぐらいですね。出産しても会社を辞めるなんて頭になかった。産前は6週間、産後は3カ月で会社に復帰しました。1年産休をとってしまったら、今の自分のポジションに戻れないとわかっていたので、1年なんてとる気もありませんでした。

宮崎 でもお子さんが小さいと、あずけなければいけないですよね。

パク ええ。0歳児をみてくれる保育園にあずけました。送り迎えは、夫にまかせていました。行きは夫でしたが、帰りはシッターさんにお願いしたのでシッター代はかかりましたね。

宮崎 できるほうがやればいいということで?

パク そうですね。結婚当初から、経済的には2人でやっていくと決めていましたから。

宮崎 それはアジアでいえば普通のことなんですよね。

パク そうです。

宮崎 そうじゃないのが普通というのは日本だけですね。日本だと、パクさんのようにしていると男の人にしわ寄せをしているような感覚があります。

パク でも、私も日本だけにいたら、ほかの人たちみたいに子供をあずけることに罪悪感を持ったと思います。社会にも、男性にも“家事や子育ては女性の仕事”という意識があるけれど、女性自身にも、「妻だから母親だから、あたしがやらなきゃ」という意識がある。本人がそういう意識から解放されるべきだと思います。
たとえば、香港やシンガポールで「この中で、毎日料理をしている人」と聞くと誰も手をあげないんです。毎日料理をしないということに何の罪悪感も感じていない。安い外食があるので、それですませています。買い物、準備、後かたづけがないだけで、精神的な負担と肉体的な負担が全然違う。悪いとは思ってないですね。「じゃあ、いつ作るの」と聞くと「月に1回くらいかしら」と平気で言います。

宮崎 金持ちで専業主婦という人はいるんですか。

パク います。

宮崎 それは比率としては少ないのでしょうか。

パク 専業主婦は、裕福じゃないとできないっていう感覚があります。とても贅沢なものですよね。アメリカでもそうですけれど、夫婦2人で働くというのは、やはり経済的な事情からです。望む生活レベルが高くなっているということもありますけど、女性のお給料も男性に匹敵するくらい高い。100万円もらっている人が辞めるのと500万円もらっている人が辞めるのでは、家計への影響が違ってきますよね。
それでも一般的には女性の方が収入は少ないけれど、さほど価格差はないし、女性が優秀であれば逆のパターンもある。日本でも、女性の方が年収が高いケースは増えていますね。

■海外で見たことを伝えるために、2度目の退職を決意

宮崎 結局、2度目の会社になる米国系運輸会社には何年いらしたんですか。

パク 8年半いました。辞めたのは2年前の2000年の2月ですね。

宮崎 そこで見切りをつけたというか、形を変えようということで辞められたのですか。

パク 最初の会社を辞めた時と同じような理由です。今やっていることというのは、私が本当に心の底からやりたいことではないという思いからです。以前は美術の仕事をしたいという思いがありましたが、今は「ワーク/ライフ・バランス」です。
今は、海外で見たことを日本の人に伝えるのが自分の使命だと思っています。そこまで自分たちを苦しめなくても、考え方を変えれば仕事も家庭のことももっと楽しくできる、お互いが協力しあえば、もっといい夫婦関係や家族関係が築けるという思いがあります。それでも、会社を辞めるときには金銭的なことで一番悩みました。お給料に男女差のない会社だったので。

パク 8年半いました。辞めたのは2年前の2000年の2月ですね。

宮崎 8年半いらしてキャリアを積んで、重要な位置にもいらしたのであれば、お給料の問題も大きいですよね。会社の中では「ワーク/ライフ・バランス」のようなものをやりたいという提案はしなかったんですか。

パク それはしなかったですね。でも、それ以外のやりたいことは提案しました。フランクリン・コビーの「7つの習慣」とか。私のやりたいことと会社の方向性が違ったということもあって、企画を書いてもなかなか通りませんでしたが。会社はプロジェクトマネージメントといったものをやっていたんですが、私はもっと人間の価値観などといったソフトなものがやりたかったんです。

宮崎 考え方とか。

パク そうです。仕事に対する考え方などを身につけたうえで、次にスキルを磨くのがいいと思うんです。でも、(その米国系運輸会社は)とてもいい会社で、上司も良い上司でした。私は上司が常に外国人だったので、仕事と私生活のバランスには理解を示してもらえたんです。子供が病気の時なども、その日に私がやらなければいけない仕事がなければ休んでも問題はない、というように。
イギリス人の上司とシンガポール人の上司には、年間のスケジュールをたてる時に、「まずバケーションのスケジュールを組みなさい」と言われました。バケーションの間に仕事のスケジュールを入れなさいと。

宮崎 休みのスケジュールは早めに立てた方が仕事をすすめる計画を立てやすいんですよね。急に休みを取ったりするより、ずっといいと思います。

パク 私も最初は「1年間の予定なんてわからない」と思っていたんですが、実行してみたら、かなりフレックスにできました。

宮崎 そのような恵まれた状況でも、「このままでは物足りない」と思ったんですね。

パク 「このままじゃ人生後悔する」って。不満がなかったんですよ。そこそこ満足していたけどフルに満足していなかったという、前と同じ状況です。仕事がおもしろくないとか、イヤな上司であれば辞めやすいのに、かえって飛び出しづらかった。

宮崎 8年半いらっしゃるうちの、何年ぐらいたったあたりから、そう考えるようになったんですか?

パク 2人目の子を妊娠したあたりの時期です。もう少しソフト的なことをやりたいかったので会社を辞めようと思っていたのですが、妊娠して辞められない状況になってしまいました。結局2人目の子供が1歳半の時に辞めたんですが、辞めるまでの半年間で、その後の生活費のことを考えて貯金をしたり、辞めた後の仕事に必要なリサーチなどをしました。

■やりたいことをやるために準備すること

宮崎 最初の会社も、次の会社も「違うな」という気持ちはあっても、「次に これをやろう」という明確なメドはついていない時に辞めているのですが、メドは辞めてからたてるタイプですか?

パク なんとか収入が確保できる仕事は事前に用意しました。すごく好き、自分のやりたいこととマッチしているというのではないけど、ある程度の収入にはなる。「ワーク/ライフ・バランス」とどう兼ね併せていこうかという状況でした。

宮崎 その時には「ワーク/ライフ・バランス」セミナーでやる優先順位づけのようなことは実践されたのですか。

パク 全部やりました。自分が本当にやりたいことをするには何が必要で、何を我慢するか。たとえば、半年間は収入がなくてもやっていけるとか。会社を辞めたら入ってくるお金は今のお給料より下がるけど、ある程度貯金もあったし、ゼロにはならないと思いました。
 実際に収入はいくらぐらいになるかと考えた時に、収入をあげるよりもコストダウンの発想に変わりました。普段の生活水準を下げるとか、いらないものを買わないとか、そういうものを手放していったら今までよりも少ないお金で生活できると思うようになったんです。

宮崎 どれくらいの期間であれば、なんとかなるといういうメドをたてたのでしょう。

パク まあまあ貯金もあったし、夫とも生活費を半分づつ負担して生活していましたから、金銭的には半年から1年くらいです。

宮崎 転職するときというのは、なかなかその一歩が踏み出せないこともあります。特に、いい環境であれば、その一歩を踏み出すのが大変だったりもすると思うのですが。どういうことが原動力だったのでしょう。ある時、これは絶対に違うなと思ったのですか?

パク 私は「絶対に人生を後悔して死にたくない」「明日死ぬことになっても“ああしておけばよかった”と言いたくない」といつも思い続けていたんです。
 でもある時「このままこうしていたら、明日死ぬことになったら後悔する」と思いました。今、やりたいことをやるために会社を辞めることが後悔しない道だと。だから今は後悔していません。

宮崎 会社にいるときも辞めた時も、そのつど後悔しないで生きてきたということですね。

パク 「(後悔しないで)生きていきたいなあ……」ということですよね。会社を辞める前は、いつまでも悩んでいましたよ。収入って大きいじゃないですか。子供も2人いますし。夫ひとりで私たち全員を養うのは大変だという現状がありますから。

宮崎 次の仕事に向けて準備はするけれど、はっきりメドが立つ形ではなくても……。

パク ある程度はメドが立ちました。最初はステップダウンになるだろうけれど、以前の収入より高くなるというケースはたくさんあります。私は、やりたいことをやりながら、生活ができるだけの収入を得られるようにしないと、皆、やりたいことを仕事にしなくなってしまうと思うんです。今は、やりたいことを仕事にしたら、ボランティアではないけれど100~200万円でハッピーに生きていかなければいけないという状態ですよね。やりたいことを仕事にすると、「だったら収入は少なくても当たり前」と思われていますよね。それは違うのではないでしょうか。やりたいことを仕事にしても生活できるようにするにはどうしたらいいか。その解決策をみつけていくべきです。実際に私がそうすることができれば、他の人も「私もやってみようかな」と思うんじゃないかと。

宮崎 それでも、「お金がもらえないのは誰かのせい」というわけではないですよね。

パク そうですね。そのためにはスキルアップしないと。

宮崎 自分がやりたいことをしてお金を得るには、自分の努力が必要。すべてが自分ですね。

パク そうですね。だから私はこの道に関してエキスパートになりたいという思いがあります。それには、情報収集にしても、勉強にしても、リサーチにしても必死にやっていますから。たとえば、私が辞めたときのワーク/ライフ・バランスへの取り組み状況と、今ここまで不況になった場合のワーク/ライフ・バランスへの取り組み状況とでは違いますよね。私はそういった最新の状況も把握しています。

■楽しく、充実して働くためには、企業も個人も意識を変えるべき

宮崎 「ワーク/ライフ・バランス」を広めることを仕事にしようというのは、辞める前に、ご自身のテーマとしてあったのですか?

パク 具体的にはありませんでした。自分のライフバランスをどうしたいか考えたり、キャリアデザインなどのセミナーを受けたりはしていましたが。資格を取ることも考えました。キャリアと私生活を充実させる部分で何かしたいと思い、会社を辞めてからコネクションを作ったり、具体策を練ったりもしました。

宮崎 日本のサラリーマンとは少し違うとは思いますが、いわゆる固定賃金を保証された会社に勤めている時と、現在ご自身でフリーランスというか個人事業主となってからでは、何か気持ちは変わりましたか。

パク とても開放感があるし、もう2度と会社に戻れないと思います。1億円積まれても戻れないと思うくらいの自由さを感じます。自分らしくやりたいことができる“自由”というものが、多分、私のなかの優先順位としてはとても高いのだと思います。
 それに私の場合、会社を辞めてから会った人たちの方が輝いている人が多いんですね。会社にいる頃は、今後の夢や自分のやりたいことについて話せるというのはなかった。今は自分のやりたいことをバンバン話せて共感してもらえて、サポートしてもらえる。すごく自分の世界が広がりました。

宮崎 パクさんは外資系の会社にお勤めでしたから、日本の会社よりは組織的なプレッシャーというのは少なかったと思いますが、それでもやはり違うものですか?

パク 時間的にしばられたり、社内の政治的な問題もあるでしょうし。

宮崎 そういうのはどうして生まれるんでしょうね、企業には。不思議な感じがしませんか。

パク やはり、自分の利益を考えるんでしょうね。ポジションを守ろうとか、出世したいとか。

宮崎 今の時代は、給料をもらっているというのは不自由なんじゃないかと思います。自分でリスクを負うということのなかに、すがすがしさが生まれるのではないかと思ったりもするのですが。

パク 私が人生は公平だなと感じるのは、やった分だけ自分に戻ってくるからです。これだけリスクをとれば、これだけ自分にバックするというように。たとえば勉強であれば、一生懸命学べばそれだけ自分に身についてくる。それならば、失敗しても後悔はないじゃないですか。

宮崎 パクさんが「ワーク/ライフ・バランス」のなかで言っているように、すべては自分であると。誰かのために何かをするのではなくて。

パク 自分のためにやっていることでも、結局それが社会のために役立つということですよね。世界的な傾向として共働きが増えているということは、ほとんどの人が働いている状態なんです。“働きたい”か“働かなきゃいけない”理由はどちらでもいいと思います。ただ、働いている時間があまりにも長すぎる。どうせ働かなくてはいけないのなら充実していたい。もっと楽しく、やりがいがある環境を作りたいと思います。そのためには企業が変わらないといけない。

宮崎 パクさんは、いい企業にいらしたのに辞めたらもっと自由になった。自分がリスクを負う代わりに自分のやりたいことができるわけです。でも従業員というのは、会社の中でなかなかそうはできないですよね。

パク 多くの人が会社で働いています。私のように「好きなことがあるなら独立すればいい」ではなくて、会社の中での方が能力が発揮できる人だって大勢いますよね。だったら、そういう人たちが働きやすくなる手伝いをしたい。「仕事か家庭か」と、どちらかを選ぶのではなく、やりがいのある仕事と充実した私生活のどちらも持てるというのを実現したい。

宮崎 仕事に対して満足していれば、私生活も満足できると思います。仕事と私生活がどういう割り振りであっても、満足度はイコールですよね。どこかに不満があったら、どれも不満になると思うんです。

パク 互いに影響しあいますからね。アメリカでは、統計をとったら、「ワーク/ライフ・バランス」を取り入れたら企業の業績が上がった、私生活を助けた方がかえって企業にとって、いろいろと有益性が出てきたという事例がいっぱいある。
 実際に何をすれば企業も、社員も活性化できるのかといったようなことも、コンサルティングしたいと思います。

■自己の責任でスキルアップしなければ、望む結果は得られない

宮崎 『きゃりあ・ぷれす』には、いろんなフェイズの読者がいますから、決めかねたり悩んでいる人も、たくさんいると思うんです。今までのご自身の経緯からアドバイスするとしたらどんなことでしょう。

パク 私の記事をアエラに載せていただいたことがあるんですが、それは編集者にあてたメールがきっかけでした。以前に、アエラが『子育ては損か?』という本を出したんです。子育てが損だと考える人は企業に対しての不満が多い。夫が過労死しそうなほど忙しいから家事が手伝えない、それによって夫婦関係が悪くなるというようなことを読んで、“アメリカでは、社員が仕事と私生活の両方の時間を持てるようにした方が企業にとって有益だという結果がでています。企業を変えたいと思っているので、一度お会いしたい”というメールをその編集者に送ったら、「ぜひとも会いましょう」ということになりました。で、データも見せながらお話ししたら、記事にしてくれたんです。  私は編集者と知り合いだったわけでなく、ただ本を読んだというだけでした。あの時“子育ては損だ”と思いながらも彼にメールを送っていなかったら、あの最初の一歩というのはなかったし、私の人生は変わっていなかったと思います。

宮崎 ちょっとやろうと思ったら、すぐにやることが大切ですね。

パク 実はほかにもいろんな人にメールを書いたんですが、いっぱいフラれたんです。でも時々、そういういい人が返事をくれる。失敗して「ダメだ」 って落ち込んでも仕方がないですよね。アエラの記事のような仕事を1つ受けようと思ったら、確率的には10回ぐらいメールや手紙を出して、1つ2つ良い返事がくるくらいです。

宮崎 結構、フラれたような悪いことっていうのは忘れてしまいますよね。

パク もちろん、その時は胸が苦しいですよ。恥ずかしいなという気持ちがあったりもしますが、そんなことを言っていたら前進できない。自分が今できる範囲でベストを尽くす、というところで少しずつ努力する。
 私のやっている「ワーク/ライフ・バランス」の場合、みんなにあまり知られていないし先の展開がわからないので、期間を決めてやるのが難しいんです。目標は石の上に書かないで、いつでもフレキシブルに変えられると考えればいいのではないでしょうか。
 もう1つ。あまり思いつきで会社を辞めちゃいけないな、というのはあります。私の場合、心の中でやりたいものがあって、ずっと感じていた会社への違和感が大きくなったから辞めたのであって、決して思いつきではありません。やりたいことが何もないのに辞めるのは、リスキーだと思います。

宮崎 感情的ではない自分のビジョンみたいなものがあり、それがだんだんと大きくなり固まってきて、「この会社ではそれはできない」というのであれば仕方がない

パク 現実逃避で辞めるのもよくないですね。イヤだから辞めるのではなく、何かしたいことがあるから辞めるというのならば、上手くいんじゃないでしょうか。

宮崎 そのためには、何をしたいか考えるべきですよね。

パク ある程度、自分がやりたいことを具体化しなければいけないし、そのためにはスキルアップもして、“エキスパートになる”くらいに思いこまないと。“まあまあ”程度だったら他の人がいくらでもいますから。
 資格をたくさん取るのではなくて、自分がやりたいことを見つけて専門性を高めるということが大切です。

宮崎 一般的に多いのは、資格を取る場合に、これからニーズが多そうだから
  といった発想が多いんですが、やはり自分が何をしたいかです。

パク そうですね。自分らしく生きるということが大切ですよね。人生にとって仕事は時間をとりすぎるくらいに大きい部分だから、そこがエンジョイできていないと、人生楽しくないんじゃないかと思います。

宮崎 パクさんは、大学卒業後に何年かキャリアを積んでから行動なさったわけですが、やりたいことをやるにしても、やはりベースのキャリアがある程度ないとダメですよね。次のステップが踏めないから。

パク まったくのキャリアチェンジもできるとは思うし、実際にそういう例があるのも聞きます。ただ私の場合、ずっと人事関係で、「ワーク/ライフ・バランス」も人事の分野なんです。自分のバックグラウンドと興味がマッチして、その上にビルドアップしている。
  私はずっとトレーニングの仕事をやっていたので、自分でプログラムも立てられた。今までやってきた経験とスキルが生かせているんです。

宮崎 転職してもフリーランスになるにしても、以前の仕事がイヤで辞めたり否定してしまうと、せっかく時間をかけても財産になりません。

パク 働いている間にステップアップしないとダメです。1年を振り返った時に、去年より成長した何かがないと。何か秀でたもの、相手に「この人がほしい」と思わせるなにかがないと。

宮崎 会社に勤めていたとしても、会社がステップアップのための材料を用意してくれたり、目標を決めなさいと言わなくても、自分のなかで1年1年を大切に課題を持ってやっていくこと。それが会社にも役立つし、自分にも役立つのと思うのですけれど。

パク 自分のキャリアは自己責任です。働きながらスキルアップできるようなポジションにいればいいのですが、そうでなければ自分でやっていくしかない。もしやらなければ、それなりの結果を自分が引き受けることになります。キャリアを身につけるには、それだけの覚悟が必要だと思います。