きゃりあ・ぷれす

天職を探せ
様々に悩み、考え、挑戦して、
今『天職』と言えるものを見つけてがんばっている人、
見つけつつある人と発行人宮崎との対談。
天職を見つけた結果よりもそこに至る思考の変遷や
キャリアの蓄積などの経緯にスポットを当てています。
それが、今、様々に悩んだり迷ったりしている方に
少しでも役立てば幸いです。
川名秀郎さん
時代が求める本物の食をあなたに

買い物をする時、野菜ならできれば無農薬栽培のもの、洗剤や化粧品なら石油由来の製品や化学物質を極力使わずに作られたものがいいなと思っても、「どこで買ったらいいのか分からない」「探す時間がない」といってあきらめてしまうことってありませんか?今私が住んでいるドイツには、地球環境や私たちの健康に配慮して作られたこうした商品だけを扱うエコスーパーマーケットが各地にあるので、毎日の買い物が手軽で安心して楽しめます。
「日本にはどうしてこういうお店がないんだろう」と思っていましたが、実はあるんです。衣、食、住全般にわたるナチュラルライフを提案するショッピングモール「インターナショナルガーデンプランツ」がそう。今回ご登場いただくのは、そのプランツを経営する(有)ナチュラルハーモニー代表の河名秀郎さん。前編では、ナチュラルハーモニーの売りである無肥料栽培野菜の魔力、そして河名さんが今のお仕事にたどり着くまでの道のりを伺いました。(聞き手:コラボレーション編集スタッフ 木村麻紀)

<前編>
河名秀郎(かわな・ひでお)さん
無農薬野菜の卸売・販売、自然食レストラン経営などを手掛ける(有)ナチュラルハーモニー代表。衣、食、住全般にわたるナチュラルライフを提案するショッピングモール「インターナショナルガーデンプランツ」の総合プロデュースで注目される。最近では、肥料を一切与えずに作物が自然に育つ力を引き出す「無肥料栽培」に取り組む農家をネットワークする「芸術栽培研究会」や、味噌やしょうゆ、納豆など日本食の素晴らしさを代表する天然の醗酵醸造食品の作り手を発掘する「菌匠会」などの活動を通じて、命の源としての本物の食を追求し続けている。

◆無肥料栽培の“魔力” 答えは身近な自然にあり
木村 肥料を与えない無肥料栽培の野菜を販売していらっしゃるということでとても驚いているんですが、どのようにして無肥料栽培がベストだという結論に至ったのでしょうか

河名 無肥料栽培って、これまでの考え方からすると難しいとか、あり得ないということになるんでしょう。でも、僕たちが推進している無肥料栽培ってそんなに難しいことではないんですよ。周りの自然ってどうなっているんだろうと考えてみてください。例えば、秋になると見か けるたわわに実った柿の木。これには誰も何もしていません。たい肥が必要だということであれば、柿の木にも誰かが肥料を与えなくちゃなりませんよね。でも、木から葉が落ちてたい肥になるかと思えば、お母さんが箒で掃いちゃう(笑)。何も施されてないにもかからず、たわわに実る連鎖が働いているのは何故でしょう。あまりにも自然で意識されないのかもしれませんが、あれを不思議だと思わない手はないだろうという訳です。

ここで一つ、私たちにとって大切な先生をご紹介しなくてはなりません。それは、アレルギーの人々や化学物質過敏症の方々です。僕は当 初、彼らは免疫力などが「弱い」人たちだと思っていましたが、彼らや彼らと接している医者との交流を通じて、「弱い」のではなく「敏感な」人たちだと思えるようになりました。どうしてそう思えたのかと言えば、薬剤を使わず、自分が食べられるものを選びながら生きてきた彼らの中で、ガンで亡くなった人たちは少ないないそうです。
彼らは防衛本能を持っている。仮に誤って食べてしまえばアレルギーとして出てしまうので、体内に蓄積されないんですね。そして、こうい う人たちに無農薬だから大丈夫だろうと言って有機肥料による野菜を食べさせても、発作をおこして倒れてしまう人もいるんです。

これは色々な原因が考えられますが、一つには家畜のふん尿に含まれる化学物質、もう一つには窒素過剰ということがあります。作物の成長に必要な栄養分を肥料として入れるということは、有機肥料でも化学肥料でも行為としては同じことです。片方がケミカルで、片方はナ チュラルであるとも言えますが、下手をすると有機栽培のほうが肥料の供給量が多くなってしまいます。すると農作物が窒素過剰となり、品質が落ちる場合もあるのです。

僕はこれを実験で確認してみました。スライスしたキュウリで(1)化学肥料で作ったもの(2)有機肥料で作ったもの(3)無肥料栽培で作ったもの、という三つを用意し、同じ環境のビンの中に入れてそれぞれがどのように枯れていくか時間をかけて見ます。人間の体と同じように、酸化して老化していく様を見ていく訳です。どうなると思います?答えですが、もし沢山のふん尿を肥料として入れているのであれば、一番先に溶けるのは(2)有機肥料でのキュウリです。二番目が(1)化学肥料のキュウリ。最後が(3)無肥料栽培のキュウリですが、無肥料栽培のものは溶けずに枯れます。肥料成分の少ない有機栽培のものであれば(1)と(2)の順番は逆になります。
でも、結局いずれは、(1)も(2)も溶けてしまいます。無肥料栽培とは厳然とした差が出ます。両者の差は養分が供給されているか、自力で育てられたかという点です。考えてみてください。山の中で溶けている葉って見たことがあります?ないですよね、そんなものは自然界に は存在しないんです。これで、野山は誰も肥料を入れなくても自然のサイクルで養分が供給されているという冒頭のお話に戻るんです。

  (1)と(2)は病気になり、そして虫に食べられてしまうため、それを食い止めるために農薬をまかなければならなくなるのです。極端な言い方ですが、(1)と(2)は自然界から淘汰されてしまうんですね。(3)は病気にならずに害虫にも食われないので、農薬が必要ないのです。どれを食べたいかと問われれば、僕は品質の高いものを食べたいのでここまでやってきた訳です。

お蔭様で、近年それが評価されて一般の有機野菜と言われるものよりもおいしいと言われるようになってきました。そして、このおいしいという基準は進化しています。最近のおいしさというのは、細胞に染み入る旨さですね。舌の上の感覚だけではなくて、喉ごしで感じる旨さです。でも、その理由は分かります。肥料を入れると細胞が大きく分裂するから粗いんです。でも、自然のスピードで育ったものは細胞分裂が緻密なので、水に入れると沈みます。肥料を入れたものはだいたい浮いてしまいます。肥料を入れてしまえば、化学でも有機でも結果は同じ。だから、有機イコール安全とは決して思わないほうがいいです。
木村 これは驚きました。有機栽培の食物は「体にやさしい」「環境に配慮して作られている」というイメージを持っている方は多いでしょうし、生ゴミをリサイクルしたたい肥などによる有機栽培は良いことだと捉えられがちですが、必ずしもそうとは限らないということですね。

河名 そうです。これは青森の木村秋則さんの無肥料栽培のリンゴですが(*取材後に家で丸ごと食べましたが、とてもおいしかったです!!)これには色々な物語があるんですよ。売っている過程で何回お客さんに泣かれたか分かりません。というのも、リンゴはだいたい30~50回農薬を使うので、アレルギーの方々はまず食べられません。おそらく手に取っただけで発症するでしょう。一生食べられないと思っていらっしゃるんですね、フルーツは。特にリンゴはね。でも、そういう人に「これは大丈夫だから」とリンゴを手渡して、その人がそれを 食べて、発症せずに喉を通った時、涙を流して喜んでくれるんです。
その人にとっては宝くじに当たったくらいの喜びなんではないんでしょうか。2億円とまではいかなくてもね(笑)。でも、こうした喜びを皆に分けてあげたいなと思うし、ここ5年を見てもそういう方々が増えています。世の中に山のように食品があっても食べられない時代になってきているんです。

木村 無肥料栽培という方向でいけると確信したのはいつ頃ですか

河名 農家が経営的にもやっていけると確信したのはりんごの木村さんと出会った3年前です。現在北海道から熊本まで42農家と契約していますが、無肥料栽培に取り組む農家は年々増えています。こうした農家をネットワークして木村さんを会長に芸術栽培研究会というものを作って活動しています。無肥料って言うとちょっと栄養なさそう、と思われちゃったりするので(笑)、自然界の芸術作品、人間と自然が織り成すアートという意味で名付けました。僕は事務局として全国を飛び回っていますが、最初は頭ごなしに否定されましたよ。でも、きち んと話せば、真剣に農業をやっている農家は分かってくれます。

(無肥料栽培を)できないとおっしゃる方は、自然を見ずに人工物だけを見ているのではないかと思います。自然回帰とか自然との共生といった言葉が乱立していますが、現実には調和もなければ共生もない。自然から学ぶという姿勢に欠けているような気がします。あくまで人間が優位に立って調和と言っているだけのような…。そうではなくて、地面に目線を合わせた見方で新しいビジョンを切り開く能力が今、世の中に必要とされているのではないかと思います。21世紀を生きるヒントも、このあたりにあるのではないでしょうか。

◆18歳の決意表明 姉の死が教えてくれた天職
木村 さて、そろそろ河名さんが現在のお仕事にたどり着くまでをお話いただきましょう。身近な自然に真実を見る河名さんの自然観がどのように形作られたか、とても興味があります。

河名 僕は45歳ですが、18歳の時にある決意表明をしたんです。栄養を取るという考え方をやめて、本来の自然のありのままを食べようと決めました。きっかけは姉を病気で失ったことで、自分にとって非常にインパクトの強い出来事でした。僕も死んじゃうかもしれないでしょ。寝込んだり痛いことは嫌いなので、以来そうやってきました。あれから27年経ちましたが、薬も飲まず、医者にも行かず、健康診断も受けていませんが、何の問題もありません。今は子供に対しても実践しています。彼らが健全に人生をまっとう出来るにはどうすればいいか考えた結果です。産まれる時から私が取り上げ、予防接種は受けさせず、食べ物は私が探したものを食べさせ、病気をしても自己免疫力で治させて今日に至っていますが、とても元気です。

大学卒業後サラリーマンもやりましたが、もういたたまれなくなって(笑)脱サラして農家への研修に入りました。そこが無肥料を実践している農家でした。知識だけは詰め込んで行ったつもりでしたが、見るもの全てが新しくて1年間はあっという間でした。そして、かなり衝撃的な体験を数多くしました。例えば、ナスにはアブラムシが付いてしまうことがあります。現在は窒素過剰なところに付くことが分かっていますが、当時は分かりませんでした。そこの畑は無肥料でしたが、アブラムシが出てしまいました。でも、農家の方は「雷が来たら解決だ!」なんて言うんです。実際に夏場だったので、雷が鳴りました。翌日見に連れて行かれたんですが、アブラムシがみんな死んでるんです。びっくりしましたね。今でも何故か分かりません。理論的に説明できませんが、それによってアブラムシが死んでナスが元気を取り戻したのは事実です。だから、農薬はいらないって言うんですよ。

それから、田んぼをやっているときにも面白いことがありました。ウンカという稲の大敵がいまして、皆一斉に農薬を撒いて防除するんです。その農家はもちろん防除しないんですが、ウンカが来てしまったんです。でも、「あ~来ちまったな」なんておっとりしたもので、「また、美しいものを見せてやるよ」なんて言うんです。翌日見に行ったところ、朝もやの中で田んぼにくもの巣がびっしり張ってたんです。一晩にしてものすごい量なんです。で、クモがウンカ食べてるんですよ。あのキラキラした光景は忘れられません。そこで調節されている世界があるんですね。自然の営みには分からないことがいっぱいある。人知を超えた世界に何度か遭遇して、「人間の知る範囲なんて狭いんだな」と思いました。「分からないことのほうがたくさんあるんだな」ということを、その1年間での僕なりの答えとしたんです。そして、今までの常識を鵜呑みにしないで、違った物の見方ができないかと努力してきました。

木村 そして起業 最初は野菜の引き売りをなさっていたそうですね

河名 もう恥ずかしくてね、結構お坊っちゃまだったんで(笑)。いきなり知らない世界に飛び込んで、見よう見まねでやっていました。皆さん からは八百屋というよりも野菜屋と見られていたので、ちょっと意識して見てくれにも気をつけました。都会のお百姓さん風にオーバーオールなんか着ちゃってね(笑)。それから3年後に3坪程度のお店を持ち、それが10坪になりという経過をたどりました。でも、いつも色々な方に助けてもらいました。資金援助ではないですよ。例えば、ここのお店は保証金なしでも入れてあげるよ、とかね。お金を貯めて何々をしたという経験は一度もありません。僕はね、無肥料栽培を「無から有を生じるメカニズムを生かす」と捉えています。仕事も「無から有を作る」ですよ。それが基本にあるので、「ないからできない」ということはありえません。これが僕の人生観かな。自分が求めたものを仕事にし、相手に喜んでもらって報酬を得て、結果としてビジネスになっている。自分の時間と仕事の時間が一致している喜びっていうんでしょうかね。仕事に関しても、みんなもっと原点に戻るべきじゃないかな。

僕の場合、18歳の決断からこうして仕事になってしまったんですが、自分が食べたいものを探して並べただけなんです。僕だって一消費者 だったんですよ。姉の死を通じて得られたアイデアを自分で実験したくて、そして本当に元気で生きられて、農家の方々も持続的な農業を 推進できれば、これは天職にしてもいいと思って職業にしたんです。取引している農家の中には有機栽培の方々もいますが、常に話してい るんです、無肥料栽培のほうに行こうねって。また、これまで10入れていた肥料を5にしてみませんか、とか。はたまた、この一画はゼロにしてみませんかというふうに勧めています。そして、農家が実体験として無肥料栽培が本当にできると気がつけば、日本の農業は変わるかもしれません。
<後編>
◆本物ではない!?私たちの食
河名 僕はね、人間の自然、つまり五感を信じて物を選んでいくことが21世紀を生き抜くコツではないかなと思うんです。そして、無肥料栽培こそが自然食だと思っています。でも、今の一般的な自然食ってちょっと違ったところを見ている。欧州でも自然食やオーガニックフードが沢山ありますが、ちょっと視点が違うと思うんですよね。

木村 視点の違い、ですか。どういうことでしょう

河名 物理的に健康な状態を追及しているだけで、生態との調和の中で判断された健康とはちょっと違うということです。ですから、根本的な解決にはならないと思います。代表的なのはサプリメント。あれは人類を滅ぼすんじゃないかと、一番危険な物質であるということに何故気付かないのかと思ってしまいます。

木村 サプリメントが危険というのは

河名 自然界は多種多様で単一なものはありませんが、サプリメントは単一にした結果、つまり一番自然に反しているんですね。例えば、レモンにはビタミンCだけでなく多種多様な栄養素が入っているからビタミンCが生きるんです。ビタミンCは今、肌にいいとか何とかでクローズアップされています。そこで、それだけを抽出したり、さらには科学的に作り出したものが出回っています。面白い話を聞きました。ペ ットボトル入りのお茶やジュースにビタミンCやビタミンEって入ってますよね、酸化防止剤として。何故かと言うと、酸化を防ぐには酸素と一番化合しやすい要素を加えればいいからです。それがビタミンCでありEで、これによってお茶は守られます。しかし、ビタミンCは瞬時に酸化ビタミンCに変わります。酸化ビタミンCについては研究が進んでいませんが、医者によってはかなり危険だと言います。
では、今度はお茶の中にレモン汁を入れてみましょう。ちょっと味が変わるかもしれませんが。で、やはりビタミンCは酸化ビタミンCにな りますが、レモンの中には酸化したものを分解する酸化分解酵素といものが含まれています。レモンの中で完結できるんですね。

こうして見ると、言葉は悪いですがプロテインだコラーゲンだポリフェノールだと細かく分けてサプリメントや健康食品として売るメーカーに、我々はだまされているんだと思いませんか。今の人間社会はビジネスで成り立っていて、皆が互いにだまし合って会社を存続させるためにやむを得ずやっている行為が集合体となって私たち消費者に襲い掛かっている状態だと考えます。ただ、皆さん口ではいいこと言ってますよね、あれは体にいいとか。でも、メーカーもこれは本当に良いものだと信じてやっているかもしれない。だとすれば非常に軽薄な知識だと言わざるを得ないし、本当に皮肉なことです。ファーストフード的に手軽に健康を手に入れたいという風潮がありますが、健康を欲することが結果として老化を早めているのであれば早く食い止めてあげたい。やはり、食品などの日ごろの選択から変えていくのが一番いいと思います。

木村 なるほど、現代人にとっては耳の痛い話です

河名 もう一つお話しましょう。僕たちは日本の食の素晴らしさを代表する天然の醗酵醸造食品の作り手を発掘してネットワークする「菌匠会」というものを作って活動しています。バイオテクノロジーで世界トップクラスのデンマークが注目しているのは、実は日本にしかいないこ うじ菌なんです。こうじ菌はどの菌よりも酵素を出す力が強く、日本人はしょうゆや味噌、酒などを通じて酵素を摂取している、だからすごいといわれてきました。しかし、バイテクによる菌の操作、つまりより多くの酵素を出させるように改造されるようになりました。本当にいいんでしょうか。

1980年代に起きたトリプトファン事件って覚えていらっしゃるでしょうか。トリプトファンという必須アミノ酸が体にいいということで、遺伝子操作した菌にトリプトファンを生成させ、それを抽出したものが健康食品として売られていました。ところがこれを飲んで30人以上が死んだんです。調べて見ると、操作された菌が猛毒も生成していたことが分かりました。こうした急性毒性はすぐに結果として表面化しますが、例えば私たちが日常的に飲んでいるビールやワイン、発酵食品の菌のほとんどが純粋培養で人為的につくられたもので、いつ急性毒性として出てくるか分からないし、出ないまでも慢性毒性はあるかもしれません。

菌の操作って自然の冒涜だと思いませんか。まあクローン牛まで出る世の中ですから仕方ないのかもしれません。それでもいいという人は いいんですが、僕はいや。そうした食品を食べてサイボーグにはなりたくない。また、そうした食品と精神が荒れることとの関係も指摘されていますね。もっと世の中全体を捉えて考えないといけないと思うんです。こう言うと、うるさいって言われるんですよ。でもね、そういう人たちに菌匠会の味噌を食べてもらうと「何でこんなにおいしいの!」って驚くんですよ(笑)。

この味噌は、純粋培養ではない「天然のこうじ菌」を活用するという日本ならではの技術で作られています。でも、この技術で作っているのは日本では数えるくらいしかいないと思います。日本のほとんどの蔵元やメーカーは純粋培養された菌を買ってきて作っている。確かにそれを使うと均一な味のものができ、失敗が少ないといわれています。天然こうじ菌では、樽ごとに微妙に味が違ってきます。それを個性として優遇するか、品質が不安定だとして拒否するかは、意識の持ち方の違いです。
僕は個性として慮りますが、大手メーカーにとってはダメなんです。うちの店では藁納豆を扱っていますが、藁ごとに味が違っていいんで す。でも一般的には逆です。「あれ、味が違うじゃない」なんて怒られてしまいます。だから僕は予め、消費者の皆さんに「味が違いますよ。それぞれの個性を楽しんでください」と言っています。納豆なら「夏場は糸引きが甘いですよ」「納豆の旬は冬ですから」と言うと、皆さんびっくりなさいますね。一般には一年中同じですから。ちなみに、日本で「藁に生息している納豆菌」で納豆を作っているのは、今や私の知る限りでは1件だけです。驚きですよね。藁に包んでいるものも他にも見かけますが、あれは容器として藁を使っているだけで、納豆菌を人為的に入れ込んでつくっているようです。ただ、人為的純粋培養の菌も社会の流れの中で生まれてきたものですから、意味もあり否定はできません。ただ、あまりに偏りすぎたことは事実だと思います。日本全国、同じ味って変ですよね。もっと地方色を活かしたその地域ならではの天然の菌を活用していただきたい、そして、それぞれの地方の個性的な味を楽しみたい。さらには、それを誇りにしていただきたい。それが私の願いでもあるんです。

醗酵醸造食品は時間をかけることが命です。味噌も1,2週間で作っているメーカーがありますが、本当の味噌ではない。味噌を作るには 最低10ヶ月かかります。しょうゆなら1年から3年という月日を費やします。その時間の中で、微生物が様々なものを作り出した結果、味噌やしょうゆになるんです。これが長期熟成ですが、実はこれが普通なんです。わざわざ長期と言うのは、即醸という相反する商品が日本のスーパーマーケットに並んだからです。
その結果、栄養がない代わりに味も乗らないのでアミノ酸などの添加物を足すんです。しょうゆでも、安いものには化学調味料やカラメル色素まで入っています。最近では有機丸大豆のしょうゆも出てきましたが、それでも醸造期間が短いということには変わりないのです。だから本物ではない。食べ物って栄養とかを意識しないで、「おいしいな」と食べた結果、知らない間に栄養になって自分を生かしているはずだったと思うのです。でも、現在の食べ物は全然自分の役にたっていない気がする、もしかしたら、かえって悪くなるかもしれないんです。こうした間違った循環を断ち切れればなと思います。

◆衣食住をトータルに変えていく プランツへの発想、そしてこれから
木村 さて、こちらのお店「インターナチュラルルガーデンプランツ」ですが、こういうお店を作ろうとしたのはどのような発想からだったのでしょうか

河名 20年前にトラックで野菜の引き売りを始めた頃から店作りのビジョンはありました。食だけで100%ではないということは重々分かっていました。つまり生活だなと。立体的に捉えていかないと偏ってしまうなと思っていました。自然食フリークの人が必ずしも健康でない のと同じです。生活上の色々な喜びを様々な角度から体験できればいいなと思ったんです。例えば畳一つ取っても、着色料つきで防腐剤つきのものと、無農薬のい草の上とでは、寝転んだ時に全然違うことが分かるんです、居心地が違う。着るものも同じです。化学繊維よりは温かみのある天然繊維のほうが気持ちがいいわけです。五感が喜ぶものを自然界の一部として自分に与えたい、自然界で生かされている喜びを立体的にかみしめたかった。日本は欧州に比べれば植物の国だと思いませんか。木や畳、紙、綿、麻、絹です。食べ物も野菜ですね。すべて植物です。植物の力を享受しないと生きられない民族であるはずなので、もう一度植物にフォーカスして、植物への感謝と尊敬の念をもう一度取り戻さなければこれからの時代はダメなのかなと思っています。そうした意味を込めてこの場所をPlants(プランツ、植物)と名づけました。

木村 そうでしたか。私は現在ドイツに住んでいるんですが、プランツのように衣食住に必要な環境配慮型の商品が一度に手に入るスーパーマーケットで毎日買い物をしています。日本ではエコロジカルな作物や商品を買おうにも、そういうお店がスーパーのように日常的ではないので結構大変です。どうして日本ではこちらのお店や私がドイツで使っているエコスーパーが少ないのでしょうか

河名 これらの作物や商品は、情報が公開されているというのが前提になります。まず流通側が全ての生産過程を公開しようという勇気を持たない限り、そうした形態のお店は広がらないでしょうね。日本でも食品の生産・流通過程を辿ることができるトレーサビリティーというシステムが作られようとしていますが、そのスピードは遅々としていますし中途半端です。肝心なところがわからない。今までは隠していた、隠さずにはいられなかったのだと思います。私たちの店では、より深い情報公開をすべく努力しています。それが消費者の信頼につながっているようです。このあり方を真似してもらえたら、もっとお店が増えるんじゃないかな。

また、日本の場合、消費者への情報操作や知識のなさが色々なことを 鵜呑みにさせているという現状はあると思います。あえて情報を探ろうとも思わない。よく言えばお人好しなのかな。ドイツの場合、消費者の意識レベルが高いかどうかは別として、僕たちが扱っている作物 のような環境配慮型のものに回帰する方向にあることは明確だと思うんです。この点が日本とは大きな違いかなと思いますね。日本でこの規模でやっているお店はここしかないと言われていますが、資金力のない中で必死にやっている姿そのものであって、大きなビジネスにす るにはとうていおぼつかない現状です。ただ僕にも夢があってね、せめてこういうスケールの拠点を各県一つは作りたいと思っているんです。

木村 でも、そろそろ時代がついてきたという感じではないでしょうか

河名 売上げは年々伸びてますね。でね、このお店を見て3社ほどが僕たちもやりたいのでフランチャイズにできないか、と言ってきてくれています。いいですよね。もしそうなれば、僕はその県内の生産者を見て歩いて、作物を店に供給できるよう生産指導をし、その地域にある味噌やしょうゆの蔵を復活させて、県内で完結する仕組みを作る手助けが出来る訳ですから。それがある意味で地方を強めることにもなるでしょう。地域興しという意味合いも潜んでいるんです。

それから、食べられない食べ物が溢れる中で、食に関する正しい情報を提供するのも僕たちの責務ではないかと考えています。以前に「買ってはいけない」という本が話題になりましたが、今度は「買っていい」ものを紹介することはできないかと色々と企画しています。

食べられない食べ物が溢れ、アレルギーが増加していることなどを考えると、このビジネスがある一線を超えるかもしれないという予感は持っています。

ナチュラルハーモニーのサイト