きゃりあ・ぷれす

天職を探せ
様々に悩み、考え、挑戦して、
今『天職』と言えるものを見つけてがんばっている人、
見つけつつある人と発行人宮崎との対談。
天職を見つけた結果よりもそこに至る思考の変遷や
キャリアの蓄積などの経緯にスポットを当てています。
それが、今、様々に悩んだり迷ったりしている方に
少しでも役立てば幸いです。
第12回 平川愛子さん 『I.c.o private hair salon』ヘアスタイリスト
「せっけんシャンプー」って
聞いたことがありますか?
<前編>
皆さんは「せっけんシャンプー」って聞いたことがありますか?
「髪に優しい」「環境に優しい」ということで既に使っていらっしゃる方もいるかもしれません。これまで自宅では石けんシャンプーを使っていても、美容院で石けんシャンプーを使えるところはあまりなかったのではないでしょうか。今回はそんな「石けんシャンプーで髪を洗える」美容院を東京・広尾にオープンさせた美容師の平川愛子さんをご紹介します。
意外(?)にも平川さんが石けんに目覚めたのは国民生活センターのおばさんの一言だったとか…。平川さんがどのように石けんと出会い、そしてお店をオープンさせるに至ったのかじっくりお話を伺いました。 (聞き手:コラボレーション編集スタッフ 西口聡子)

平川愛子(ひらかわ・あいこ)さん
札幌の美容学校を卒業後、東京での美容院、ヘアメイク等の仕事を経てカナダで5年間美容院に勤務。帰国後、石けんに出会い、2003年7月に石けんシャンプーやヘナだけを使う自然派美容院『I.c.o private hair salon』を東京・広尾にオープン。サロンワークだけでなく、手作りコスメのワークショップや、ボランティアで抗がん剤治療を受けている人たちのヘアカット等も行っている。

『I.c.o private hair salon』

●日本での美容師時代~ヘアメイクの仕事を経てカナダ行きを決意

西口 平川さんが自然派の美容師として働いていらっしゃるのを知って、天職に巡り会った方なのかなと思っているのですが、今のお仕事に辿りつかれるまでの経緯を今日は伺いたいと思っています。
平川さんはそもそもどうして美容師になろうと思われたのですか?

平川 
私は家族が転勤族だったので、小さいころ結構海外を転々としていたんです。私は生まれてから七歳くらいまではインドネシアで育ちました。妹たちも海外で生まれています。海外で生活することが多かったせいか、両親 から「あなたも世界中どこでも働くことのできる仕事に就くといいよ」と言われていたので、自分が裸一貫でどこにいっても仕事ができる職業、コックさんとか、美容師さんみたいな“手に職”みたいなことを仕事にするのがいいかなと子どもの頃から思っていました。

  進路を決める時期となり、「このあとどうしようかな」と思っているときに父の転勤があって、それがはじめて国内の札幌だったんです。そのとき母に「あなた一緒に行ってくれば」と言われたので、「それじゃあ札幌の美容学校に行こうかな」と思ったんです。それで父の転勤に付き添って2人で北海道に行きました。

  そんな感じで札幌の美容学校に入ったんですけど、入学してみたらすごく楽しくて、先生もいい方ばかりで「美容って面白いなあ」と思ったので、ただがむしゃらにインターンまで札幌でやっていました。私のときは1年勉強してさらに1年インターンをやると国家試験を受けられたので、国家試験を受けて東京に戻ってきました。

西口 東京に戻られてからはどうされたんですか?

平川 普通のヘアサロンに勤め始めました。その頃はまだ環境のことなど何も考えていない頃だったので、「次はアレができるようになりたい」とか必死 に技術の勉強をしていました。
サロンワークとして、まずできないといけないことがシャンプーです。それが最初はなかなかうまくできないんです。手を別々に動かさないといけないのが同時に動いてしまったり(笑)、お客さんを泡まみれにしてしまったりしていました。シャンプーは本当に大変で、毎日泣いていました。シャンプーができるようになると次はブローで、私がブローしても手でぐしゃっと髪をつかむと髪が乱れたままなんですが、先輩がやると手櫛でふわっと戻るんですね。先輩のブローは髪の根元まで均一に熱を入れてるからなんです。ブローの次はパーマの巻き方やカラーです。そういう風に段階をクリアしながらだんだんとお店の中で任される部分が多くなっていくんです。

技術をひと通り覚えると次に大変だったのが“喋りながら”カットをすることです。ところがこれができないんですね(笑)。カットに集中して喋れなかったり、逆に話し込み過ぎて手がおろそかになっていたりで、お店はいかにお客さんを回転させるかなので、手が止まっていると、「ひとりにそんなに時間をかけてたらダメ!」と言われるんです。もう毎日が必死でした。帰りも毎晩12時で、家には寝に帰るだけでした。朝も早くに出て掃除やタオルを整頓したりしてました。

西口 当時、こういう美容師になりたいとか、やりたかったことはあったんですか?

平川 目標としていたのは、やはり同じお店で働いていた先輩の方々でしたね。すごくお客さんが喜んで帰ってくれているのを見ると、私もそういうふうにお客さんに喜ばれる美容師になりたいなと漠然と思っていました。ただ、そうなるには技術がないといけない、いくら接客が良くても頭がぐしゃぐしゃだと意味がありませんので、当時はとにかく技術を磨くことに必死でしたね。

西口 その美容院の後、ヘアメイクの仕事をされていたんですか?

平川 ある程度仕事はひと通りできるようになっていたので、何か新しいことをやりたくなってきてたんですね。それで私の場合はたまたま撮影用のヘアメイクの仕事の話が来て、そういうのも面白そうだと思ってそちらに移りました。ヘアメイクの仕事を始めたのは東京に戻ってきて、美容院に3~4年くらい勤めた後だと思います。

西口 それまで勤めていた美容院とは仕事内容が違うんですよね?

平川
 私がやっていたのは撮影のためのヘアメイクです。ミュージカルや映画とかコマーシャル、テレビなどの出演者のヘアメイクを担当するんですが、私はセットをするのが割と好きで、実際にはお姫さまのようなヘアメイク をすることはまずないんですが、そこだとそういう極端なヘアメイクを思 う存分できるので楽しめました(笑)。

ただ、ミュージカルだと始まってしまうと1日2公演を3か月くらいやり続けるわけです。その間、毎日同じセットを繰り返さなくてはいけないのでそういう日々が続くとだんだんと飽きてきて、最終的に私はヘアメイクの世界に魅力を感じなくなりました。

それに、コマーシャルとかは特にそうなんですが、スポンサーの力が強くて、私たちが「こういうのが作りたい」と言っても、スポンサーが「三つ編み!」というと三つ編みになってしまうんですね(笑)。これが美容院だとお客さんと相談しながら作り上げていけるんですが、言われるがままで全然クリエイティブな仕事ではないんです。そんな頃「思っていたのと、ちょっと違うかな」という話を母にしたら、「そろそろ外に出て、世界を見てきたらどう?」と言われたんです。

西口 平川さんの転機にはいつもお母さまが登場されていますね(笑)。

平川 そうですね。父親もそうなんですが、両親共に一か所に留まるよりはどんどん外に出ていけ、海外にいきなさいという考えなんです。私の妹なども海外の大学に行かされていますし。結構、うちの家族は“追い出され型”なんですよ(笑)。

●カナダでの美容師生活


西口 そこで海外に行かれる決心をされたわけですね。どこに行かれたんですか?

平川 今にして思えば無謀なことをしたと思うんですが、飛行機のチケットだけを持ってカナダに行ったんです。行き先は今はいろいろ選べるみたいですが、私のときはニュージーランド、カナダ、オーストラリアしか選べなくて、たまたまニューヨークに友だちがいたのでトロントが近いという理由でカナダにしました。ワーキングホリデーを取って空港に着いたら、とりあえずホテルを1週間予約して「さて、これからどうしようかなあ」と思っていました。本当に行き当たりばったりです(笑)。

ホテルを予約してから、日本食のレストランや日本のものを扱っている用品店に行きました。そういったお店の壁にはルームメイトの募集とか、アパートの情報やアルバイトの募集なんかも貼ってあるんです。ホテルの予約をした週にアパートは見つけました。たまたまひとりでアパートを借りている名古屋から来ていた女の子が帰国するというので、場所も便利だったし日用品も安く譲ってもらって部屋は決まったんです。それから次は英語を学ばなきゃ、ということで英語学校に通いました。

西口 カナダに行かれてから英語を勉強し始めたのですね。

平川 今までいたことのある外国は英語圏ではなかったので、英語は喋れなかったんです。でもカナダに行くと英語学校はいっぱいあるわけで、留学に備えて勉強するのはお金がもったいないと思ってましたね。それで英語を勉強し始めたんですが、学校だとゆっくり話してくれるのでもう話せるような気になってしまうんですね。でも八百屋のおばちゃんと話すともうチンプンカンプンで(笑)、それでもう学校で勉強しても意味がないなと思って、その頃ちょうどお金も尽きかけていたこともあって仕事を探し始めました。

西口 仕事はすぐ見つかりましたか?

平川 仕事を探すのには地元の新聞を買ったんです。裏面に求人情報が載っているんです。すると、“アシスタント募集…ヘアサロン”とあったので、英語が喋れなくてもシャンプーくらいさせてもらえるかなと思って応募したんです。電話をかけると、明日の朝の何時に来てください…みたいなことを言われているみたいなに聞こえたので(笑)、翌日行ってみたんです。
行ってみるとすごく素敵なサロンだったんですね。男の子が8人くらいでやっているところでした。技術をチェックしますとか、何を言ってるのかやはり分からなくて笑うしかなかったんですが、シャンプーをすると、みんな驚くんです。日本の手先の技術というのはどうやらすごいみたいで、「明日から来てくれ」ということで採用になったんです。その日は15人くらいが面接に来ていて、採用されたのは私ともう1人だけでした。

西口 日本の美容院との違いはありましたか?

平川 ものすごく違いましたね。例えば床をしゃがんで拭いていると、「どうしてそんなことをするんだ」と言われるんです。あちらでは床が汚れていてもそのままで、そういったことは掃除をする業者の人たちがするんです。日本ではアシスタントがそういったことをするんですが、あちらはその辺りが全然違って合理的でした。

それから、働き方も日本とは違いましたね。はじめの1年はアシスタントだったのですが、2年目からはセット面を与えられました。カナダのサロンは鏡が付いた1セットを1人のスタイリストが経営しているような感じで、お客さんもお店についているのではなく、あくまでスタイリストを目当てにやって来ます。私も2年目からは自分のお客さんを少しずつでも見つけていって、自分でやりなさいと言われました。それで日系の人とか、駐在員の奥様たちとかを少しずつ口コミでお客さんにしていきました。給料は、アシスタントの1年はもらっていて、2年目からは半分フリーランスのような感じで自分の分は自分で稼ぐ、みたいな感じでした。それでも2年目までは一応少ないながらも給料は出ていて、足りない分は自分で稼いでいました。そして3年目からは給料は一切なしです。

西口 なかなか厳しいやり方のように思えますね。失礼かもしれませんが、収入面では大丈夫だったんですか?

平川 それが、日本人というだけで珍しがられて、結構お客さんが来てくれて、そのお客さんからの紹介でまた来てくれて何とかなりました。もちろんお客さんが来ない厳しいときもありましたが、やり甲斐はすごく感じていました。やればやっただけお金になるということもありますが、それよりもお客さんとの信頼関係が日本よりもずっと“濃い”んですね。東京だと「もうこの人と会うことはないだろうな」と思いますし、そういったお客さんとの関係が前提で働いていますし、私は美容室に属するいち美容師でしかないわけです。それがカナダではフリー扱いですから、お客さんは私を目当てに来るわけですから休めない。熱が40度あるときでも行っていました。

西口 サロンのスタッフはどんな方達だったんですか?

平川 スタッフは男の子ばかりで、私と一緒に入ったアシスタントが女性でした。あとは年輩のカラーリストの方が女性でした。男の子は全員がゲイの子たちで、ベジタリアンでもありました。みんなすごく優しくて親切で、英語も丁寧に教えてくれました。日本のことにも詳しくて、料理をすると湯葉とか使いこなすし、味噌も5種類くらいは揃えていたりするんです。日本人よりよほど日本人らしい人たちでした。

 「アイコは素晴らしい食文化のある国から来たんだから、自分の国の食文化を大事にした方がいい」とよく言われて、コーラとか飲んでいると死ぬほど注意されました(笑)。

彼らがベジタリアンなのは、私は単純に野菜が好きなのかなと思っていたら、“反戦”や“平和”の為に肉を食べないんだと聞いて衝撃を受けました。肉はとてもたくさんのエネルギーが必要で、広い牧場やたくさんの作物を消費して牛などは育つので、自分たちが肉を食べないことで、今地球上で飢えている子どもたちに牛が食べているとうもろこしや穀物が回ってくれば、その子たちは飢えずにすむんだと彼らは言うんです。お腹が一杯になれば、貧困から発生する憎しみや争いがなくなるんだよ、だから僕たちは肉を食べないんだと聞いてびっくりしたわけです。それまで私も肉を食べなかったんですが、それはあくまで好き嫌いの問題で食べてなかっただけなんですね。貧困の問題とか、そんなことは考えたこともなかったんです。

そのサロンでは本当にいろんなことを教えてもらいました。今の社会で問題になっていること、戦争のこととか話してくれて、その経験は私の中ではすごい大きなインパクトになりました。

他にも、スタッフの男の子たちは食べることもすごく大事にしていて、「いいものを食べなさい」とよく言われました。私が日本の文化で育ったということをうらやましがられました。それに、お醤油でもちゃんと熟成されたものを使いなさいと言われたりしました。それは、ちゃんとしたものを買う人がいなければ、いいものを作る人がいなくなるからって。もう万事がそんな調子でいろいろ教えてくれるんです。それがとても居心地がよくて、結局5年くらいそこに居ることになりました。

●帰国~石けんとの出会い


西口 カナダから日本に戻ろうと思ったのはどうしてでしょうか。

平川 ちょうど母が身体を悪くしたということもあったのですが、自分の中で海外の生活に満足してしまったのかもしれません。海外に行く前は、海外に行けば何か楽しいことがあるだろうとずっと思っていて、確かに行って1年、2年は楽しいんですが、だんだんと日常の感覚に戻っていくんです。海外といっても良い人もいれば嫌な人もいて、そういったことが分かってくるんですね。だから、日本で自分が楽しく過ごせない人は海外に行っても楽しくないと思います。海外に行ったからといって誰かが楽しませてくれるわけではありませんよね。むしろ、海外の方が常に自己主張するということを求められます。カナダにいた頃、たまに日本人と接すると「わあ、なんて優しいんだろう」と思うんですね。日本人は常に相手の気持ちを考えるところから会話が始まるんですが、海外だと自分の言いたいことを主張するのが当たり前なんです。その「ワタシ!ワタシ!」というのに少し疲れてしまったのかもしれません。

西口 日本に帰国されてからはどういう風に働かれたんですか?カナダでの働き方を経験されて、変化はありましたか?

平川 日本に帰って来てからは、カナダのサロンでの働き方の影響が大きくて、日本の美容院で働くのは躊躇しました。日本は勤務時間も長いですし。それで友だちや知り合いのお店を手伝いながら働いていました。

西口 久しぶりに日本で働いた印象はいかがでしたか。

平川 もう慌ただしくて、まるで工場のような印象を受けました。人の動きが流れ作業で、カットする人、ブローする人が入れ代わり立ち代わりでお客さんを交換して作業するんです。それは日本では当たり前のやり方なんですが、そこから離れていて久しぶりに経験するとものすごく疲れました。溶剤の臭いとかもすごいですし。あと、お客さんの地肌が荒れているのが気になりましたね。ちょうどその頃“茶髪”がブームで、みんな髪の毛を染めていたんですね。だから、地肌が赤く腫れていたり、髪が薄くなっている子がいたりして、これはちょっと大変なところに戻って来てしまったなと思いましたね。

そこで、カナダにいた時のような働き方ができるところはないかなあ、と思い始めたんです。

当時知り合いがヘアメイクの事務所を持っていて、セット面を2つとシャンプー台がひとつだけあるようなところだったんですけど、そこを貸してくれることになったんです。そこで、お客さんがあれば売り上げから何割か払うような契約をして働き始めることができました。

西口 石けんとの出会いはいつごろだったんでしょう。平川さんと石けんとの出会いを教えてください。

平川 日本に帰国後、実は私変なマルチ商法みたいなものに引っ掛かって結構な金額を支払ってしまったんですね。カナダでの影響もあって、その頃自然なものに少し関心があったので、「自然派ですごくいいものがある」と知り合いの知り合いみたいな人から紹介されて、会員になっちゃったんですよ。その頃は「自然派」とうたっていれば何でもいいと思ってたんですよね(笑)。

そうしたら、会員になってから1週間もしない内に本屋でその会社についての本を見かけて、いいことが書いてあるに違いないと思って読んだらとんでもなくて、その会社の製品は自然派をうたっていても中身はドラッグストアで売っている合成洗剤と変らないから気を付けてください、とあったんです。もうびっくりして、国民生活センターに駆け込みました。

すると生活センターのおばちゃんに「自然なものを使いたいんだったら、100円で買える石鹸で充分なのよ」と言われて、そういえばカナダのサロンでも石鹸を作ってたことを思い出したんです。「そういえばあの子たち、作ってた!」って(笑)。

西口 カナダでの経験がその時すべてつながったわけですね。

平川 そうなんです!それから図書館に行って、環境問題や化学薬品についてとか調べまくりました。それで分かったのは、カラー剤やパーマ剤、シャンプー剤の恐さです。

そういった化学薬品が身体や自然に与える影響を知って本当に恐ろしくなりました。街を歩く子たちがみんな髪を染めたりパーマをしていて、その溶液が配水管を流れて川や海に流れていくのだと思うとゾッとしました。そのときは真剣に美容師という仕事を辞めようかと思ったほどです。美容師の仕事は、髪をわざわざ壊して、それでお金をもらっているんだと思うと「こんな仕事、嫌だなあ」と思ったんです。

それですごく悩んでいたのですが、でも「ああ、それならこれからは自然派でやればいいんだ」とあるときふと思ったんです。

<後編>
●フリーの「自然派美容師」として働く

西口 国民生活センターのおばちゃんの一言で(笑)、「自然派美容師」の道を歩み始められたわけですね。

平川 その頃は代々木にあるセット面1台分のスペースをレンタルできるサロンでフリーランスの美容師として活動してたんです。そこにお客さんに来てもらって、石けんとお酢でシャンプーをやり始めました。お酢の匂いが回りに漂うのを気にしながらコソコソしてました(笑)。

西口 実際に石けんシャンプーを使ってみた感想はいかがでしたか?

平川 石けんシャンプーを使い続けていく内にだんだんと「これはいい!」と確信に変わっていきましたね。実際に髪が綺麗になっていくんです。髪も綺麗になりますが、手の荒れもなくなるのでそれもうれしい発見でしたね。

西口 石けんに切り替えたときの周りの美容師の方たちの反応はどうでしたか。

平川 まず石けんを使うことは否定されますね。それは無理のないことなんです。私も昔はそうだったんですけど、美容学校では合成洗剤の教育を受けるので、石けんなんてとんでもないという考えに洗脳されてしまうんですね。
それはなぜかというと、カラーやパーマをかけた髪はせっけんを使っても、ダメージを受けていますからツルツルさせるコーティング剤などが入っている合成シャンプーを使用しないと石けんかすが髪に付いてネトネトになってしまうんです。つまり、石けんを使うということは、髪を傷めないということが前提になるので、髪に対する考え方を転換しなければいけなくって、その考え方が今の美容の考え方と違うわけなんです。
だから話しても「へえ、変ってるね」くらいの反応でした。

西口 フリーで働き始められた頃の収入はどうでしたか?

平川 苦労はしましたね。他でアルバイトもしていましたし。レンタル料としてだいたい売り上げの半分くらいを支払っていました。ただ、他にたくさんの美容師さん達も同じスペースをシェアしていたので、私とお客さんは「やっぱり自然派がいいよね」と話している横で他の美容師さんはカラーやパーマをやってるわけです(笑)。お店自体は自然派サロンではないので、すごい匂いがこもっていましたね。
でもお客さんは喜んで来てくれるので、まあ自由にフリーで活動できる場所があるだけでもいいかなと思ってました。
その頃は独立なんて全然考えていなかったですし。

西口 平川さんのやり方ではシャンプーとカットとヘナがメインのメニューだと思うのですが、それだとあまり利益は上がらないんでしょうね。

平川 そうなんですよね。だからみんな自然派でやることに興味を持たないんだと思います。ただ私はもう化学薬品などをできるだけ使わずに美容の仕事をしていきたいと思っています。月に一度乳癌や子宮癌の方へヘア-ケアーボランティアを行っていますが、やはりとても辛い事ですし、色々な薬剤がこのような病気にも関係があると言われている事も気になりますし、少なくとも悪影響の疑いがあるものを使うことはもう考えられません。

私も昔はそうだったんですが、美容院でセールスのノルマがあってお客さんに勧めないといけないんですね。カラーのあとはさり気なくパーマを勧めてみるとか。そこは雇われている弱味で、お店側が提案するノルマはクリアしないといけないので、私も接客しながらいろいろお客さんに勧めてました。それがすごい嫌で仕方がなかったので、なんとか自然派だけのやり方で御飯が食べれるようにならないといけないなというのは思ってました。

西口 お客さんはどうやって見つけたんですか?

平川 パソコンを買って、2000年からホームページを作って宣伝しました。
はじめは自己紹介のためのページで「私は自然派美容師でーす」みたいなサイトでした(笑)。

でも、それをみてちらほらと「探してました~」と言って来る人がいるんですよ!石けんの話をするとすごく感動してくれる。やっぱり価値観が近いんでしょうね。2003年の3月くらいまで3、4年くらい、そうやって代々木のレンタルサロンでフリーランスの美容師としてやってました。

●レンタルサロンの閉鎖~独立を決意

西口 独立を意識されたのは、何かきっかけのようなものがあったのでしょうか?

平川 2003年の3月に代々木のレンタルサロンが閉鎖したんです。そのことを知らされたのは閉鎖の2週間前でした(笑)。突然そんなことを言われてどうしようと思って次の場所を探したら原宿にあったんですが、そこはものすごく巨大なスペースで、フロアに30セットくらいが並ぶような大きなところでした。それでトランスの音楽がかかっているんですね。私はそういう音楽が苦手で、しかも天井も壁も真っ赤なんです(笑)。自然派とは合わない雰囲気だと思いましたし、来てくれたお客さんも目が点になってるわけです。これはまずいなと思いました。

そんなわけで原宿のサロンは1か月半で出てしまったので、なんとかしなきゃなあと思って焦っているとある日、何かの用事で広尾に出たときにたまたま不動産屋さんでここ(現在のお店)を見つけたんです。

西口 その頃には独立を決意されていたんですか?

平川 もう自分でサロンを作るしかなさそうだなと、その頃には思い始めていましたね。自然派のサロンなんてどこを探してもなかったし、しかもお客さんとマンツーマンでやらせてくれるところもまずないし、その上カラーやパーマがメニューにないような美容院ですから自分でやるしかあり得ないなあという思いが固まってきてました。自分でやるなら莫大な費用がかかるだろうし、借金は嫌だなあと思いましたが、それでもやるしかないんだろうなあと思っているところに、この物件に巡り会ったんです。

初めてここを見た時はまだ建物もない状態でした。これからできる予定だと書いてあって、広尾駅から1分だし「ここがいい!!」と思いました。

うちのお客さんはだいたいが口コミなので、駅からあまり遠いと迷ってしまうので、お店をやるなら駅からなるべく近くにしたいと思ってました。
それでとりあえず不動産屋さんに入って「ここってまだ空いてますか?」って聞いてみたら空いていると言われたので、「美容室は可能でしょうか?」とさらに聞くと「可能なんじゃないの」って言われて、場所だけでも見ておいでと言われたんですが、まだ建物がなかったんで何もない更地を見て「これからどんな建物になるんだろうなあ」と思うしかありませんでした。

それから不動産屋で、「どこにお勤めですか?」って聞かれて「いや私、勤めてないんですけど…」と答えると、「はぁ?」みたいな顔をされました。それで、私のことを詳しく書いた経歴書を用意してくださいと言われたんですね。あと、私がやろうとしていることも書いてほしいと。そうし たらそれをオーナーにファックスで送ってみるからと言うんです。それから夢中で経歴書とやりたいことを書いて送ってもらったんです。そしたらオーナーさんがとてもいい方で、「じゃあがんばって」って言って貸してくれることになったんです。

●『I.c.o private hair salon』のオープン

西口 店舗物件を借りられることになって、準備の方は順調に進みましたか?

平川 もうそれから大変ですよ(笑)。職人さんを頼む余裕はないので、壁から天井から泣きながら家族や友人に助けを借りて自分達だけで塗りました。 床は天然の木材をタイから個人輸入して、張るのは職人さんに頼みました。 そうすると内装費用が1/3くらいで済むんです。鏡はお客さんで鉄を加工するアーティストさんがいたので、頼んで作ってもらいました。

もう、今考えても恐ろしいですね。何か、とんでもないことをやらかしているのではないだろうか、取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと眠れない日もありました。美容院のスタイルを自然派だといっても、メニューがないわけですよ。カットとヘナという天然染料の染めくらいしかないんです。人を雇う余裕もないし、マンツーマンで果たしてやっていけるんだろうかという不安が常にありました。

それでも、4月に建物がない状態から7月のオープンまで、建物と一緒に美容院を完成させていきました。

 西口 いざオープンされた時のお気持ちはいかがでしたか?

平川 いざオープンして嬉しかったのは、やっぱり今までのお客さんがとても喜んで来てくれたことです。しかも頼んでないのにいろいろと宣伝してくれたんです。企業の新聞にいつの間にか掲載されていたり、自然派のお店にうちのパンフレットが置かれていたり。そういうのを見て、新しいお客さんも来てくれるようになりました。

だんだんとお客さんが増えてきて、そのうち私一人の手に余るようになってきたので、新しい美容師さんがいればいいなと思い始めたんです。もちろん普通の美容師じゃなくて、自然派のやり方に共感してくれる人を欲しいと思いました。ただ、雇う余裕はなかったので、フリーランスで一緒にやりたいという人がいれば私はどんどんお客さんを紹介するし、サポートもするつもりで募集し始めたんですね。3人来てくれて、今では私を合わせて4人体勢になりました。中の一人は、オーガニックが大好きで、本当にこういうサロンを探していたと言ってくれました。

西口 眠れない日が続くくらいの不安はなくなりましたか?

平川 今まで知り合いを含めていろんな人たちを見てきて、独立することはリスクが高いなあと思っていました。起業して立ち上げても、潰れた人が結構 いて、特に今の時代は大変で美容室だと高級なところか安いところしか生き残っていけないような流れになってきているので、私のような中間層が一番難しいんです。不安はいまだにもちろんありますけど、ターゲットを絞るというか「価値観を共有できる人だけでいい」と割り切ってやっていくのが楽だし、それが一番いい方法なのかなあと思っています。

西口 お客さんはどんな方が多いのですか?

平川 いろんな方がいらっしゃいますが、NGO関係の人が多いですね。みんな すごい頑張ってるし、また私のこういうやり方に対してもすごく応援してくれます。うちのやり方だとごまかしがきかないんです。カラーやパーマがあれば、固い髪だとウェーブをつけて柔らかく見せることができるわけです。そういうことができないので、素材がむき出しになります。

だからまずは石けんを3年くらいは使い続けて、髪を無垢な状態に戻すこ とをお勧めしているんです。

西口 3年越しの作業ですか。みんな我慢してくれますか?

平川 みんな結構我慢してくれるし、むしろ私の方が教えてもらうほど詳しい人もいて、中には石けんを作って持ってくるお客さんもいます。銭湯に行くように石けん箱に入れて来て、「今日はこのオイルとあのオイルをこういう割合でブレンドして来ました」とか言うんです(笑)。うちで使う石けんもよく相談させてもらってますし。

あと、うちのお客さんには納豆や味噌や醤油を自分で作っている人もいっぱいいます。この前も作り方を教えてもらいました。そういう人たちが集まっているので話がすごいディープで面白いですね。隣でカットしてもらってるお客さんの話を聞いていて、カーテンをめくって「ねえ!」とかよく言ったりしますよ(笑)。今まで普通の美容院に勤めていた頃は「最近映画観ました?」とか差し障りのないことを聞くことしかできませんでした。どういうお客さんか分からないし、プライベートに踏み込むわけにもいかないですし。ここだと根底に流れている価値観が共通なので、最近だと狂牛病についての話とかしますし、フェアトレードについて、農業についての話もします。

お客さんの女の子には農業をやってる子が多いんですよ。みんな日本中の畑を巡って帰って来るので、顔も真っ黒なんですよ(笑)。みんな活き活きした顔をして「今回はこんな農法を学んで来た」とか言うので、私もすごい刺激を受けています。

ここに来るお客さんで、広尾に住んでいる人っていないかも知れません(笑)。ひょっとしたら渋谷区の人もいないかも。近所の人は「ここって何やってるんだろう?」って思っているのかも知れません。

わざわざ遠くから来てくれるお客さんが多くて、中には小田原から来てくれる方もいます。そういったお客さんが自主的に宣伝してくださるんですね。「~~で見ました」って言って来るお客さんがいて、私には全然覚えがないんです。どうやらいろんな場所にうちのチラシを置いてくれたりしているみたいなんです(笑)。

西口 サロンをオープンされてからの“働き方”には満足されていますか?

平川 もう最高!ですね(笑)。お金儲けしたいんだったらこういう方法はやめておいた方がいいと思いますけど、とりあえずそこそこ食べていければいいんだったら、この仕事はお客さんと話し合えるし、身体に悪いものを使う罪悪感を持たないでいいし、何よりお客さんがすごく喜んでくれるのがやり甲斐があります。あと、お客さんとの情報交換もあったりして楽しいですね。

現実的にいろいろと難しいことはありますけど、何とか家賃なんかを払っていければいいやと思ってやっていますから。だからビジネスじゃないんでしょうね。ビジネスなら利益を上げていくことが必要とされるのでしょうけど、そういう段階にありません。「今月も無事に月末を迎えたな」と言って次の1か月をスタートさせているような感じです。

西口 今後はどういうことをやってみたいですか?

平川 現在3月と4月に手作りコスメのワークショップをやっています。ファンデーションや口紅も作れるんですよ。このようなワークショップをこれからも続けていきたいと思ってはいるのですが、まずは様子をみて決めていこうと思っています。
又、月1回の抗癌剤治療中の方へのヘア-ケアーボランティアは以前からずっと実現したかった事なので自分のお店を持つことができ、ここで行えるようになったのが本当によかったと思っています。レンタルスペースを借りている頃も行いたかったのですけど、やっぱり周りに他の人がいるのは患者さんには辛い事です。自分でお店を持てば、定休日なら私しかいない状態ですし彼女たちも、少しは安心してきてくれています。

この活動は時間的に現在は月1回が限度なのですが、ずっとこれからも続けていきたいと思っています。

西口 ヘアケアに関して、こういうことに気をつけてほしいということはありますか?

平川 髪ってパーマやカラーをしないとすごい綺麗なんですよ。だからもっとみんな髪を大事にして欲しいと思います。髪も身体も大切にして欲しい。私もこのままじゃいけないと危機感を感じています。まず美容師が変らなきゃ、一般の人はもっと分からないじゃないですか。「私すごくいいシャンプー使ってるの。美容師さんが勧めてくれたの」っていう子がいますよね。
美容師の言いなりになる部分ってあると思うんです。影響力という意味で美容師の責任は重大ですよね。美容師もただお店側から言われたままにお客さんに勧めていたりするんです。美容師さんも時間がない人が多くって、新聞を読んだりしていろいろな情報を仕入れた方がいいんですけど、意外と何も知らない人が多かったりするんです。

あと、これは私が海外に出たから思うことなのかも知れませんが、日本人にしか出せないオリエンタルな可愛さってあると思うんです。日本に帰って来て、若い子がみんな茶髪に染めているのを見たときに「どうしてみんな外国人の真似をしたがるんだろう」って思いました。それは個人の好みであれば尊重されなければいけないと思いますが、テレビやファッション雑誌を使って企業が発信する情報を鵜呑みにしていることが多いように思います。企業としては髪を染めてくれて、その上パーマまでしてくれれば今までよりずっと儲かりますから。

●「きゃりあ・ぷれす」読者に向けてのメッセージ

西口 「きゃりあ・ぷれす」読者の中にはこれから天職にたどり着きたい、という人もいると思うのですが何か平川さんからアドバイスを頂けますか?

平川 無責任なことは言えないけど、私の場合は確信というか、自信というか 「いや、行けるでしょ!」という何かが確かにあったんですよ。フリーランスでやっていこうと決心したときや、独立したときもそうだし、自然派でやっていこうと思ったときも直感みたいなものがありました。ただ、冷静に現実を見つめることを忘れてはいけないですね。夢をただ追うだけではなくて、現実的な視点を伴って見えてないと挫折しやすいと思います。

海外に行くからといって、青い目の友だちに囲まれて毎週パーティーがあって楽しいだろうと思って行くと、実際はものすごい孤独を感じたりするわけですよ。ことばも分からなかったりすると尚更です。現実は思うほど甘くないんですが、「こうなりたい」と思う自分を持つことはとても大事なことです。

私の「こうなりたい」は結構、身近な人だったりして、うまく重ねることができました。あまり壮大な理想を掲げると、そこに辿り着くまでが大変すぎて挫折してしまう恐れが大きくなるんじゃないでしょうか。

大事なのはやはり視野を広げることですね。きっかけとして海外に出てしまうというのもひとつの方法であるし、そこまではできないのであれば、何でもいいと思うんですよね。習いものをするとか。うちのお客さんで、棚田の田植えを手伝って、収穫のときにも行って、ということをしていたり、日本古来の真綿を保存する活動で、月に1回種を蒔きに行ったり、それをまた収穫しにいったり、何でもいいと思うんですよね。仕事は仕事で大切にして、それとは別に“ライフワーク”を見つけるといったこともひとつの方法ではありますよね。

海外に行こうかどうしようか迷っている人がいたら、あまり無責任なことは言えませんが、行った方がいいのではないかと思います。行けば自分がどれだけ小さな存在かが分かります。みんな私のことなんて気にしてないんだから何やったっていいんだという開き直りができるようになれば、それはとてもいいことだと思います。

病気で苦しんでいる人もたくさんいる中で、せっかく元気な身体があって、何でも挑戦できる機会があるのであればそのチャンスを活かさないともったいないと思いますね。(了)