きゃりあ・ぷれす

天職を探せ
様々に悩み、考え、挑戦して、
今『天職』と言えるものを見つけてがんばっている人、
見つけつつある人と発行人宮崎との対談。
天職を見つけた結果よりもそこに至る思考の変遷や
キャリアの蓄積などの経緯にスポットを当てています。
それが、今、様々に悩んだり迷ったりしている方に
少しでも役立てば幸いです。
第13回 李 京玉さん
幸せを包む布「ポジャギ」が
つないだ私の天職
好き!が仕事になるまでの
「京玉的日韓の出会い」
<前編>
今回ご紹介する李京玉さんは、日本でも最近静かなブームになっている韓国のパッチワーク作家です。新しいものより古い文化にひかれ、どんな小さな布きれにも歴史を感じて愛おしみながら縫いつなぎ1枚のポジャギに再生させる手仕事。この人の生き方と仕事は「きゃりあ・ぷれす」の目ざすライフスタイルコンセプトに合う、と創刊当時からの読者でもある私は直感しまし た。
李京玉さんとの出会いは「ポジャギ」で検索したサイトからでした。編集者として20年以上仕事をしてきて、自分が本当に求めているテーマを形にして読者にも喜んでもらえたらという思いがつのり、もう一度仕切り直した1年前のことです。布好き、ルーツ韓国、でも文化はあまり知らない、そんな自分から出発して企画を考えたらポジャギしかない。自分でしか編集できな いポジャギの本を作りたいと探し当てた作家が李京玉さんです。今春、そんな特別な思いで企画編集した念願の本が出版されました。李京玉さんにとっても初めての本。幸せな仕事に辿り着くまでのさまざまな出会い、ポジャギスタイルな生き方など、興味深いお話をじっくりうかがいました。(聞き手:包山奈保美)

【韓国のパッチワーク、ポジャギ】
手芸ファン以外はまだ知らない人が多いのですが、麻や絹の小さな布を縫いつないで四角い1枚に作り上げたものです。大きさはいろいろで、風呂敷のようにものを包んだり、覆ったり使い方も自由自在。巾着やストールになったポジャギもあります。繊細で透明感のある素材と色彩の魅力、自由にはぎ合わせた直線の面白さは新鮮です。

・「なぜ今ポジャギなのか」
布を愛する心は時代を超え、国を越えて女性たちに受け継がれていきます。韓国のポジャギも昔から家々に当たり前のようにありましたが、戦後は新しいものがもてはやされる傾向にあり、一時忘れられていたのです。それが、 ここ数年前から、日本のコアなファンを得て徐々に脚光をあびています。テレビドラマ「冬のソナタ」人気もあり、韓国文化に対する興味が本格化していることもポジャギのような手仕事布にまで及んでいるのかもしれません。

 李 京玉(イ・キョンオク)さん
ポジャギ作家。1970年、韓国・大田(テジョン)生まれ。大学で日本語を専攻し、鳥取大学、広島大学大学院に留学。2001年より、日本人の夫との結婚を機に大阪・堺市在住。幼い頃からの布好き。趣味で続けていたポジャギを文化交流に役立てようと、現在、大阪市内の会場を中心に教えている。「ポジャギ工房koe」サイトも人気。この4月には「私のポジャギ」(発行/ 風讃社、発売/けやき出版)という初めての本も書店に並び、ポジャギ作家としてもデビューすることになった。
『ポジャギ工房koe』 『私のポジャギ―韓国で生まれたパッチワーク』

包山 ポジャギが大好きで続けていただけなのに、日本で仕事に結びついた今の気持ちは?

 
韓国にいたときは、自分には大学で学んだ日本語しか仕事として使える技術はないと思っていたのが、昔から好きだったことに仕事として取り組めるようになったのはとても幸せです。それだけあれば幸せで夢中になれること。自分の好きなことを仕事にできれば幸せといいますが、まさに私にとってのポジャギがそうでした。

包山 4月に「私のポジャギ」という初めての本が出版されました。ポジャギ教室で教えることも増えたり、好きな仕事が発展していますが、ポジャギを仕事にするなんて2年前までは思いもよらぬことだったようですね。

 2002年5月から韓国文化とポジャギのサイトを始めるまでは、そうでした。サイトを立ち上げたきっかけは主人のすすめです。最初は韓国の家庭料理を教えるホームページにしようと思っていたのですが、「君がよくやっている布をつなぎ合わせるポジャギはどうだ?」というので紹介したところ、反響がすごくて。「こういうのを知りたかった」と、たくさんの人から共感してもらえて、ポジャギについていろいろ紹介していくうちにポジャギ専門サイトになりました。

包山 「ポジャギ工房koe」サイトを作るという行動を起こしてから、京玉さんはたくさんの人と出会い、仕事もいろいろと広がっていったのですね。

 独学で泣き泣き勉強して作ったホームページですが、サイトを作ったことでいろいろな方との出会いがあり、その結果ポジャギを仕事にできたのだと思います。それからいくつかの教室で教えることになると、布好き、韓国が好きという生徒さんたちとの世代や国を超えた生の出会いも楽しく、ありがたいです。ポジャギの本を作りましょう、とサイトを見た韓国系日本人の編集者からメールをいただき「私のポジャギ」という本ができましたが(笑)、夢のようでした。

包山 好き、を仕事に。そのきっかけが夫の一言だったとは。幸運を運んでくれた日本人のご主人とはどこで出会ったのですか?

 韓国・大田(テジョン)の忠南大学で日本文学専攻の私は、鳥取大学に1年間留学しました。留学生と交流するサークルがあって、紹介された仲間たちの中に主人がいました。それから私は広島大学大学院で3年間学んだあと韓国に戻り日本語講師を4年ほど勤めて、2001年に結婚と同時に日本に来ました。彼は土木学科で、今は橋梁会社に勤めて橋をかける仕事をしています。

包山 ご主人は京玉さんのポジャギを通して韓国と日本文化の橋をかけたともいえますね。しかし、京玉さんはなぜ、大学で日本語や日本文学を学んだのですか?

 父が日本を好きなんです。ロータリークラブに所属していて、交流のために日本の方がいらっしゃると、日本語が話せないのですが、近くで接し良い印象を持ったようです。小さい頃「日本人は誠実で、文化も発達していてすごい」みたいなことをずっと聞かされて育ったので、私も日本人に対して悪い印象を持つことはありませんでした。日本語を勉強しようと思ったのはその影響だと思います。だから日本人との結婚にも反対はなかったです。

包山 留学した大学では日本の古事記や万葉集を学んだそうですが、なぜそんな  に古い文学を研究課題にしたのです?

 なぜ古事記かというと、私は何でも新しいものより古いものに興味をひかれるんです。だいたいの学生が読みやすい近代文学の作家を選びますけど、私はなぜか神話を。つい最近まで生きていたりする作家だと、あまり干渉してはその作家を傷つけることになるのではと思ってしまいます。ずっと昔のことだと「こうだったんじゃないかしら」なんて想像を働かせて、ある程度自由に考えることができるのが楽しいんです。

包山 日本の神話はどのような文学でしたか。韓国との関連は見つかりましたか?

 アマテラスとかスサノオが出てくる日本神話の世界と韓国神話の比較研究をしました。研究していくと、日本神話の根の国と韓国神話の海洋世界というのが同じような意味の場所であることから、国は違っても普遍的な世界を見出すことができると確信しました。自分たちに都合よく解釈して「日本人は韓国文化に影響を受けた」という考え方もありますが、私は反対です。住んでいる国が違っても人の考えることには共通な部分があって、普遍的な世界観が生まれたのだと思いました。

包山 そもそもポジャギは布を愛する心から生まれたもの。古いものも大切に残すための手仕事だし、その行為も動機も普遍的なものといえますね。京玉さんのポジャギ好きは神話にひかれる心がそうさせる。子供の頃から手仕事や古いものが好きだったようですね。

 私はおばあちゃん子だったんです。祖母からはいろいろなことを教えられましたが、手先が器用で何でも手作りする人でした。針仕事が大好きな私にはそんな祖母の影響があるのでしょうし、何か古いものにひかれるのもそういう幼い頃の懐かしい思い出につなげたい気持ちからかもしれません。だから布も新しいものより伝統的なものが好きです。

包山 伝統的な布が好きな自分のルーツのお話をもう少し聞かせてください。

 子供の頃は父も母も仕事が忙しく、兄弟も5人で大変だったので父方と母方の祖母たちが一緒に暮らしていました。祖母たちはいつもチマチョゴリを着ていて、その滑らかな艶のある布を見ては子供ながらに素敵だと思っていました。今でも忘れられない織り柄の絹もありますよ。その布を最近見つけてポジャギを作りました。昔見たお気に入りの布たちが記憶の中で生きていて、今の私につながっているようです。古い布にも歴史と昔の人の思いを感じてしまいます。

包山 ポジャギ作りはいつ頃から?

 布というものに自分なりの関わりを持ち始めたのは中学生の頃。母親に連れられてチマチョゴリの仕立て屋さんに行ったとき、母が店のおばさんに「この子は手作りや布が好きで」と言うといろんな種類のはぎれをたくさんくれたんです。それがとってもうれしくて、それらの布にアイロンをあてるのが幸せな時間になりました。そんな私を見て母が「何かつないで作ってみたら」と声をかけたのが布つなぎの始まりです。
包山 好きなことをしたい自分の気持ちが京玉さんのポジャギを天職に導いてくれました。前編の最後に、これから天職に辿り着きたいと考えている人へのアドバイスをお願いします。

 私の場合だと日本語も好きな仕事でしたけど、日本に来てふとしたきっかけでポジャギを披露したときに、周りの人が「いいね」ってそれまでにないほど共感してくれました。そのとき、「私にはポジャギがある」とハッとして、自分にとってどんなにポジャギが大切かわかったのです。本当に好きなことをするために全てを捨てて取り組まないといけないなんてことはない。少しの時間でも努力していくと必ずいい出会いがあって、それから新しい道が広がったりして今日まで順調にやってこられたので、自分の気持ちを信じて「行動してみる」ことが大事なんだと私は思っています。
<後編>

●仕事を辞め、結婚を機に日本在住後の落ち込み。原因は仕事

包山 韓国の大学では、親日家のお父様の影響もあって、日本語と日本文学を専攻して学び、日本にも留学した縁でご主人と出会いました。結婚を機に3年前から日本に住み、ポジャギを教えるようになった京玉さんですが、それまでは韓国で日本語を教えていたそうですね。

 広島大学の大学院を卒業してから韓国に帰って4年間、大学で日本語を教える非常勤講師として働いていました。

包山 週に何回くらい教えていたのですか?

 20時間以上は教えていました。というのも、韓国の大学生も第1外国語(英語)の他に第2外国語が必修ですが、韓国人にとって日本語は他の外国語に比べると学ぶのが楽なので人気がありまして。教養日本語という学科を1997年の春から2001年の春まで教えて、その直後に結婚しました。

包山 かなりハードなスケジュールで仕事をしていましたね。

 私は常に何かすることがないと不安になってしまうんです(笑)。非常勤講師をしていた頃も、それぞれ1カ月以上あった夏休みと冬休み中は気力もなくなって落ち込んでしまい、学期が始まるととても忙しいんですが、働いている自分に安心できました。

包山 結婚後は異国で無職の身になったわけですね。どんな思いでしたか?

 2001年の春に結婚して日本(大阪府堺市)に来た当時は本当に落ち込みましたね。まずは専業主婦で家事をするだけの毎日で、大人2人の生活ですから小さい頃から兄弟の面倒を見たりして家事が好きな私としては余力があります。日本語や韓国語を生かせる仕事を探しましたけれど、なかなか見つからなかったし、あっても条件が合わなくて自分に合う仕事がなかったんです。ただ収入を得たいわけではなく、自分が生かせる仕事をしたいということですから。


●“一生懸命やっているのを誰かが見ている”は本当

包山 自分らしい仕事をするきっかけはサイトの立ち上げでしたね。
 休みとしては長すぎるような状態が1年ほど続いていた頃、主人のすすめで韓国の文化を知ってもらうサイトを作る決心をして、ゼロからがんばって2002年5月にスタートさせ、やっと落ち込みから抜け出せたのだと思います。そして自分が夢中になれる大好きなポジャギを仕事にする幸せにつながりました。

包山 外で見つからなかったので自分で好きな仕事の場を作った。

 最初はそうかもしれません。その後、私のサイトを見てくださった方から声をかけられ、2003年の春からは大阪や神戸のいくつかの会場でポジャギを教えたり、2004年の春には本が出たりして、ポジャギの仕事が広がっていきました

包山 誰も助けてくれないから、と言うのは順番が逆で、まずは自分で行動してみる、一歩踏み出すことが大切なのですね。

 最近思うことは「人は見ていないようで実はどこかで見ている」ということですね。こんなこと皆わかってくれるかなということでも、やっているとどこかで誰かが見ていてくれるものです。


●何よりも楽しい仕事がポジャギだとわかって

包山 これまでにポジャギを仕事にしたいと思ったことはありましたか?
 それは、漠然と。なんとなくそうなればいいなと思うだけで、全然具体的な思いではありませんでした。夢にもそんなポジャギを仕事にする生活ができるとは思っていなかったので、今はとても充実しています。ポジャギは私にとって幸せそのものですから。

包山 4年間、日本語の講師として教えていた頃と、ポジャギ作家として働いている今ではどこが違いますか?現在の心の充実度を比較することはできますか?

 いちばん感じるのは、両方とも何かを教える仕事であるということです。
日本語を教えていたときは100人以上の学生を同時期に教えることもありましたし、喜びも感じましたが、学生にとって日本語は第2外国語でしかないのでそれほど思い入れもないようだし、授業が終わるとさっさと帰っていくしで、一方通行の印象を持ちました。ポジャギは教える側と教わる側のつながりが濃いんです。教室にいらっしゃる年輩の方から「これが私の本当にやりたかったことです」などと聞くと、人の幸せに少しでも役に立つことができたと新鮮な感動を覚え、やりがいを感じます。

包山 ポジャギは留学中も続けていたのですか?

 日本留学中は研究で忙しく、布も持ち合わせていなかったのでポジャギを作れませんでした。韓国に帰ってからの4年間は冬休みや夏休みによく作りました。伝統文化でもあるポジャギを今のうちに習っておかなければ誰にも教わることができなくなるという危機感を持っていました。

包山 韓国で誰かに教わったのですか?
 
 教えてくれる人はいませんでした。私の場合は独学ですね。今はポジャギを教えるところはあります。88年ソウルオリンピックをきっかけに韓国全体の文化水準が上がって、余裕が出てきたので伝統文化にも目をむけるようになり、ポジャギも注目され始めました。日韓ワールドカップ共催の頃さらに注目度がアップしたと思います。韓国のポジャギ人気はこれからが本番というところでしょう。

布好きな中学生だった80年代の初め頃は韓国でポジャギの文化が忘れられてしまった時期で、その頃からほとんど作られていませんでした。私の記憶でも母が布を縫い合わせることはしていましたが、それがポジャギというものだと聞かされたことはありません。


●伝統を見直しながら学ぶことの楽しさ

包山 なるほど。そんな環境でどのように独学で学んだのでしょう。

 アンティークポジャギの本や現物を見ながら「ここはこうかなあ」とか言いながらまねして作っていました。韓国でポジャギの本が初めて出版されたのは2000年なんです。布は市場でチマチョゴリの仕立て屋さんを覗いては「はぎれありますか」と聞いて回り、捨てられる寸前の余り布をもらって使いました。

包山 今も材料はそうやって集めたはぎれですか?

 仕事となった今はそんなことをしていては間に合わないので、本末転倒ですが反物で仕入れた布をわざわざ切っています。自分で布を切ってはぎれを作るとなぜか、どれも似たような大きさになってしまったり、ポジャギらしい自由な幾何学模様に仕上がらなくて困っています(笑)。韓国に帰るとはぎれをできるだけ分けてもらうのですが、今後はもっとポジャギ本来のあり方に戻り、日常の余り布で作りたいと思いますね。

包山 他に今後実現したい具体的な計画はありますか?

 そうですね。日本でも最近は古い布が流行しているのでそういった日本の古布で作品を作りたいという気持ちがあります。私は布が汚れていても全然気にしないでにおいをかぐクセがあるのですが(笑)、誰が使ったものだろうと思うと1枚の布にさまざまな人の思いや記憶が込められているのだと感動します。だから、古い布で何か作品に挑戦したいです。

包山 古い布には生まれていなかった時代の歴史が込められていて、その布を使うことで昔をいろいろと想像できるのでとにかく惹かれ、なおかつ現代を生きていくための仕事としても取り組めることが「天職」と感じさせるのでしょうか。

 私が生まれたのが1970年で現在は2004年ですが、それ以前の時代にすごく惹かれるんです。日本に来てからもたとえば、60年代の日本を私は知りませんが当時建てられた建物などを見ると「時代の生き残りだ」と思ってもう胸がドキドキして、その建物に呼ばれているみたいに入りたくて仕方がないです(笑)。奈良で昭和の古い鏡台を買いました。怖いとか気持ち悪いと感じる人も多いようですが、そういったものにこそ愛着を感じます。

●今、日本にいて求められる自分と仕事を自覚する

包山 将来、自分と仕事はどうなっていたいですか?

 ずっとポジャギを続けていきたいと思います。日本にいて日本文化を吸収した韓国人の私が伝えるものを韓国の作家さんや一般の方に見てもらいたい。
教室でも、ただ「きれいでしょう」ではなく、ポジャギがどうして生まれたのかなどもっと文化に踏み込んだ話をしながら教えられたらいいですね。

包山 日本からポジャギを発信することにこだわりますね。

 日本にいる私は韓国にいる人とは違うカタチでポジャギを伝えることができると思うんです。たとえば、ほとんどの韓国人は日本の布を知りませんが、私は日本にいるのでこれから勉強すれば日本の布に詳しくなれます。また、日本にいて韓国の布文化や民話、民間信仰を知る人は少ないですが、私は体で理解しているし教えることもできる。そう思うと私は今とても魅力的な立場に立っているのではないかと気づきました。

包山 お話をうかがって、ポジャギの仕事は伝統を見直すことや、別のところで生まれたいろいろなものをつないでいくというところが興味深く、特にはぎれを縫いつなげることで1枚の布であることよりも味わいが増すなどは、いろいろな人たちの集まりで成り立っている「きゃりあ・ぷれす」と重なって感じました。最後に、京玉さんの天職であるポジャギの魅力とは?なぜ今、日本で求められているのでしょう。
 
 いろいろな人の歴史が込められひとつのものになっている姿にまずひかれましたが、形にこだわらないポジャギ本来の成り立ちが真の魅力ではないかと最近思うのです。型紙があってそれに合わせるのではなく、いろんな形のはぎれを縫い合わせていくだけという自由さ。同じものを作るのではないから失敗作もなく、お互いが完成させたものの違いを認め合う。個性を出し合っていいものができるのは素晴らしいことです。ポジャギが日本でも受け入れられたのは、皆が会社に言われるまま忙しく働いている中で自分の個性をあるがままに出せて、なおかつ認め合える点。自分らしくいきいきと縫い進めて(仕事して)こそ素敵なポジャギになる事実が今の日本社会に求められているからではないでしょうか。(了)