きゃりあ・ぷれす

天職を探せ
様々に悩み、考え、挑戦して、
今『天職』と言えるものを見つけてがんばっている人、
見つけつつある人と発行人宮崎との対談。
天職を見つけた結果よりもそこに至る思考の変遷や
キャリアの蓄積などの経緯にスポットを当てています。
それが、今、様々に悩んだり迷ったりしている方に
少しでも役立てば幸いです。
第15回 鈴木菜央さん
メディアのパワーで創造的に世の中を変える(カエル!)WEBコミュニティー・メディア『greenz.jp』編集長
今回の「天職を探せ」にご登場いただくのは編集者であり、カエルメディアの代表鈴木菜央(すずきなお)さんです。

2002年1月からスタートした『きゃりあ・ぷれす』の人気シリーズ「天職をさがせ」は約5年の間にさまざまな分野から14人の方にお話を伺い、天職を見つけた結果よりもそこに至る「思考の変遷」や「キャリアの蓄積」にスポットを当ててご紹介してきました。読者の方達が、悩んだり迷ったりして次のステップを踏んでいく時には、何らかのお役に立ちたいという思いからです。

しかし、鈴木さんの場合、彼自身の思考やキャリアの変遷で天職である編集者に至ったというより、20世紀から21世紀に移り変わる「時代の変遷」が彼を編集者として地球上に登場させたようです。

鈴木さんにはじめてお会いしたのは、持続可能で平和でワクワクするスゴイ未来!を目指す、WEBサイト『greenz.jp』(グリーンズ・ジェイピー)の編集長としてその立ち上げをなさったばかりの頃でした。

私たちの前にスルリと現れて、壮大なテーマを楽しそうに話す鈴木さんに「天職ですか?」と思わずお訊ねしたのが、今回の取材のきっかけです。

21世紀に入って、現状を否定するパワーを集めて世の中を変えようとするやり方は、それ自体20世紀型体制のウラオモテの関係だと気づき始めています。と同時に鈴木さんとの出会いは、その「時代の変遷」を経て、まったく新しい「創造の時代」へのシフトが進行しているのだということを教えてくれています。

メディアのパワーで創造的に世の中を変える。
カエルメディアのカエルは、世の中を変える(カエル)メディアという意味だそうです。

◆WEBサイト『greenz.jp』(グリーンズ・ジェイピー)とは◆――――
20代から30代のワカモノ層をターゲットにしたエコロジー系WEBサイト。「持続可能な社会と平和を実現」をテーマに、情報発信者と受信者がインターネット上でコラボレートする「WEBコミュニティー・メディア」を創り出している。1999年から同じテーマで個人と個人、企業を個人をつなぐさまざまな活動(ワークショップ・イベント等)を展開し、大きな成果をあげているNPO法人「ビーグッドカフェ」が設立した株式会社ピース・コミュニティ・プランが運営する。

 ▼greenz.jp(グリーンズ・ジェイピー)

 ▼BeGood Cafe(ビーグッドカフェ)

 ▼株式会社ピース・コミュニティ・プラン
  
【プロフィール】==========================
鈴木菜央さん(すずきなお)
カエルメディア代表・『greenz.jp』編集長

1976年イギリス人の父親と日本人の母親のもとに、タイのバンコクで生まれた。6歳の時に父親の仕事の関係で東京に転居、学校教育は小学校から大学まで日本の教育を受けた。大学は東京造形大学でデザインを学ぶが、浪人時代に体験した阪神淡路大震災のボランティア活動がその後の方向性を決めることになる。
大学卒業後、アジア、アフリカからの研修生を農村指導者として養成するNGOアジア学院でボランティアスタッフとして働く。その後、父親が社長を務める外資系建築コンサルタント会社カリー&ブラウンジャパン・リミテッドを経て、木楽舎へ入社、月刊『ソトコソ』にて、編集者としての道を歩き出す。3年間勤務したのち退職。2005年カエルメディアを設立。『ソトコト』のライター、企業の広報誌や環境報告書の別冊、のフリーペーパー、アースデイの公式ガイドブックなど、フリーランスとしてエコロジカルなテーマを取り上げたメディアの編集に多く携わっている。

■元ヒッピーのイギリス人の父親から受け継いだもの

宮崎 まずは、どんなお子さんでしたか。

鈴木 どんなことも「何で?」「何で?」って聞くので、「何でマン」と呼ばれていました。

宮崎 へぇ~(笑)それは学校でもおウチでも?

鈴木 そうです。母親はすごく困ったらしいです。でも、父親は幅広いことに興味を持つことは大切といって、きちんと答えてくれていたように思います。子供だったからちゃんとはわからないけど、世の中っていろいろおもしろいことがあるんだなぁって・・・。

宮崎 それで、その「何でマン」だった子は小学校も中学校もずっと何でマン?

鈴木 う~んそうですね。教科書をどんどん先に読んじゃうような子でしたね。国語の教科書なんが読みすぎちゃって違う本を読んでましたね。

でも、数学とか理科とか、決まった手順を踏まないと解決しないのはホントに苦手で数学なんかいつも零点だった(笑)。何も答えがないことはすごく好きだったし得意だったんですけどね。

正確に言うと物理とかは、数式なんてわからないけど本として読むのは小さい頃から大好きでした。物理、数学の最先端の分野はある種オカルト的だったりして大好きなんですけど、いわゆる学校教育の中で、カタチがあってそれにはめ込まれて答えを出すというのがイヤだったんだと思います。

宮崎 なるほど、それって今の鈴木さんからも想像ができますね。6歳のときバンコクから日本に来てからは、ずっと東京ですか。

鈴木 はい、住所でいえば港区白金台です。駅でいえば目黒から品川の間。

宮崎 鈴木さんの活動の大きなテーマになっているのが、NPOだとかコミュニティーといった人と人がどのようにつながるかということがあると思うのですが、子供の頃の育った地域の中で、気がついたことってあったのかな。それとも逆に全くそういう生活ではなかった?

鈴木 そういうことはあまりなかったですね。ただ、父の仕事の関係で結構あっちゃこっちゃ行っていましたから、なんだか世界にはいろんな考え方があってたまたまその1つが自分の考え方なんだということは、どこか肌で感じていたのかも知れませんね。

とにかく、オヤジが元ヒッピーみたいというか、ヒッピーそのもので、車で日本まで来ちゃった人なんですね。

宮崎 へぇ~、車でですか!(驚)

鈴木 えぇ、イギリスから日本までです。そのどん詰まりのような仙台で母と知り合ってます(笑)。学生運動をやってて、そのせいでアメリカには入国できなかったような人です。

職業は、建築コンサルタント(日本にはない英国の資格)で、今も日本で仕事をしているんですが、僕が編集者になったのは元ヒッピーだった父親の影響が大きいかも知れません。

■阪神淡路大震災のボランティア活動で知った「人のチカラ」

宮崎 大学は東京造形大学でデザインの勉強をなさったようですが。

鈴木 はい、その中でも3年生の時に参加したゼミで編集デザインの勉強したことが、今の仕事の専門性につながっているといえます。

ただ、それよりも、僕の方向性を明確にしたのは、浪人時代に体験した1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災のボランティア活動だったように思います。「これからは市民の力だ」って強烈に感じたんですね。

宮崎 大震災の後、いつごろどれくらいの期間行かれたんですか。

鈴木 震災から2週間経った1月後半から3ヶ月間です。

宮崎 想像もできないような悲惨な状況だったと思うんですが、具体的にどういう状況で、どんなことに鈴木さん自身は遭遇して、ご自分がどう思ったのか聞かせていただけますか。

鈴木 はい。ボランティアとして入ったのは、神戸の三宮でした。まずは現地に入らなければならないんですけど、そこで見た風景は、高速道路が横倒しになってたり、ビルが倒れてたりするわけですよね。途中からは電車もなくて。

やっと僕たちの活動場所になる小学校に着いたんですけど、廊下中に人がいて学校全体に3千人ぐらいの人がいるわけですよ。

トイレもない。簡易トイレがやっとできても3千人に対して非常に少なかった。校庭一周ぐるっと住民の人たちと一緒に穴を掘って、それを皆で使うわけです。

やっと水道が通っても、余震の危険があるというのでガスは止められる。

電気はきていましたけど、基本的に殺気だっている。子供達はいつもどこかでけんかしているという状況でした。

トイレがないから人糞がいつも校庭に溜まりっぱなし。それもボランティアのチームで手配してキレイにするとか本当に大変な状況なんです。

それに流通が止まっているので、コンビ二にさえモノが何もないんですね。

食料もない、ガスもトイレも家もないわけですよ。

そんな状況の中で、こんなに都市というのはあっという間にもろくも崩れてしまうのかってものすごくショックでした。

金持ちの家はそれでも残っているけど、貧乏人の家はつぶれているわけです。

なんともいえない気持ちになって、災害を受けるということでは同じだけどやっぱり平等ではないんだなと思いました。

国は何もやってくれないし、1人死んで××万円とか家一軒に対して××万円とか支払われるんだけど、行政の不備というか、とにかく後手後手で国はもうだめだなって実感したんですね。

山崎パンは毎食10万食を無料で提供してたりしていましたね。それを僕たちボランティアが受け取って配給するわけですが、初期は相当混乱しました。とにかく都市文明というものの限界を感じてしまったわけです。

東京とか高いビルを見ても、これって一大文明のようにみえるけど、人間がただ勝手に築き上げた神話だったりするんじゃないかって。

それに都会って野菜つくっていないじゃないですか。これが野菜をつくっていたとしたら少し違ってたかもしれないですね。

結局、外からの物資がポンプで送り込まれている状態が都市なんだと思います。

とにかく、震災の後の状況を見て、都市という「人間文明」って「なんのこっちゃない、なんじゃこんなの」って思ったわけです。

そんな状況の中で頼れるのは親戚、友人、知人。また、ボランティアの人たちが本当に心の底から「僕たちはこの人のために何かしたい」ってなんの見返りを求めず何か力になろうする一面を見た時、人間ってこんなに素敵なんだと思ったんです。

そういう意味では、変な話ですけどすごく楽しかったんですよね。

通常世間的にはあまりよく言われていないような人、例えばやくざのような人がいろんな差し入れをしてくれたりもして。

作られた人間社会ではないところで本当の人間性が出てきたっていうか…。「おぉっ、やればできるんだ!」っていうことを発見できたんです。

「人間ってスゴイ!」って。

震災のボランティアとは話がずれますが「老人が孤独死するような時代」にただ話しかけるのボランティアとか、そういうのとても重要なんだと思うんです。

1人でも多くの人が悲しまないで、幸せに暮していくためには、国や企業を当てにするのではなく、市民ひとりひとりの力をどうつなげるかということを考えたいと思ったんですね。

■雑誌『ソトコト』の編集者になって

宮崎 その後大学を卒業してからもやはり就職はせずにNGOでボランティアをしたわけですね。

鈴木 はい、栃木県にあるNGOアジア学院というところで、一年間ボランティアスタッフとして働きました。アジア、アフリカから来る研修生を農業指導者として養成する団体なんですが、何かに依存するのではなく自立して生きるための生産活動やコミュニティーのあり方を体験することができました。

宮崎 そして、いよいよ就職ですか。

鈴木 とりあえず学費など親に出してもらっていたので、それを返すためにも父親の会社で働くことにしました。外資系ということもあって、3ヶ月の長期休暇にバックパッカーで海外に行けたりと、働く環境としたら良かったんですけど、やりたいことがあって働いていたわけではないので、僕にとっては辛いといえば辛い時期でしたね。

宮崎 編集者なったのは雑誌『ソトコト』からですか

鈴木 そうです。『ソトコト』にはいきなり「企画書」を持って行きました。

僕は何がしたいのか、何ができるのかはっきりしていたので、僕がやりたいことができるメディアを探していて『ソトコト』を知ったというわけです。

宮崎 それで成功したんですね。

鈴木 はい、企画と一緒に僕も編集者として就職することができました。

編集者といっても全くの初心者ですから、デザイナーと打合せした内容があまりにひどいので、しょっちゅう怒鳴られてましたけどね(笑)。

宮崎 持ち込んだ企画はどうなったんですか。

鈴木 僕は僕自身がNPOをやるのではなくて、NPOの応援をしたり、たくさんのNPOをネットワークしたいと思っていたので「NPO特集」を企画しました。それも、次の世代を動かすワカモノを巻き込んで創造的に活動してるNPOだけを特集したんです。

宮崎 企画は大成功だったんですね。

鈴木 えぇ、それまでは『ソトコト』はあまりNPOのことは扱わなかったし、世の中的にもNPOというのは得体の知れないもので、少なくとも楽しいというものではなかったと思います。

「まぁあなた良い人ね。」みたいな。「ボランティアに行ったの。なんてエライんでしょう・・。」って感じだったのを、。「エライんじゃないよ楽しいから行ったんだよ」って、いろんな人に言わなきゃいけなかったんですよね。

それが今では「えっNPOおもしろそうじゃん!」っていう世の中になったんですから・・・。

その後も「ソトコト」を通じて、NPOの重要性と可能性を伝え、紙面の編集だけでなく、NPOが連携する新しい仕組みをつくったり、NPOサミットなどイベントの企画もしました。

アフリカ女性初のノーベル平和賞受賞者で、「MOTTAINAI」で有名なワンガリ・マータイさんが来日した時には、日本の元気なNPOリーダーたちを呼んで「NPOサミット」というイベントもやったんですよ。

■メディアのパワーで創造的に世の中を変える(カエル!)カエルメディアの設立。そして自分にしかできないと感じているWEBコミュニティー・メディア『greenz.jp』に賭ける思い。

宮崎 木楽舎を退職された後、独立なさったんですね。

鈴木 えぇ、世の中を変える(カエル)メディアという意味で、カエルメディアを設立しました。「ソトコト」はフリーライターとして今も記事を書いています。他には、企業の広報誌や環境報告書の別冊、フリーペーパー、アースデイ東京のガイドブック「地球の日の歩き方」など制作しました。「地球の日の歩き方」は2007年版も僕が作りますよ。

『ソトコト』でメディアのパワーをどう使うかということを学んだので、そのパワーを1人でも多くの人が幸せに生きられるために、人々のために使いたいと思っています。

宮崎 ご自分にとって今のお仕事は「天職」ですか。

鈴木 今回の取材のお話を伺う時まで、そんな風に考えたこともなかったんですけど、今、自分にしかできないことをやっているなという実感があって「天職」だといえると思います。

というのは、今年7月に立ち上げた『greenz.jp』が目指しているものは僕が目指していることそのものなんです。

世の中をエコで持続可能で平和でワクワクするような社会にしていきたいですね。

僕は自分のことを「在日地球人」だと思っているんですけど、今の仕事には「在日地球人」としての充実感があるように思います。地球という巨大な自然をというか、生態系の一部としての地球人という意識ですね。


宮崎 「在日地球人」か・・・。いい言葉ですね。

鈴木 そして今、自分が「地球の一部」だってことに気が付いている人たちがすごく増えてきていると思います。

それって、人間なら、みんなハッピーになりたい・・・みたいなことだと思うんですよ。ゴミをガンガン捨てたり、石油をバンバン燃やす気分の悪い生き方をしたくない。僕も皆も、地球の一員として気持ちよく生きていく、いこうよって。

そんなことに僕は貢献できるなという実感があります。それは子供のためでもあるし・・・。

まだ始まってちょっとしかたっていないんですけど、でももうすでに効果が現れている感じがします。

『greenz.jp』が経済的に成り立つためには、超えなくてはいけないハードルがたくさんありますが、うまくいかないはずがない。絶対世の中変わるはず・・・という自信があります。

根拠があるわけではないんですけど・・・(笑)。

宮崎 新しいことに根拠なんてないですよね。
ところで、自分にしかできないと思うのはどうしてですか?そこにはちゃんと根拠があるのだろうと思いますが・・・(笑)。

鈴木 そうですね、言葉にするのは難しいけど、やっぱり地球とつながっているんだ!という感覚をもっていて、世界のニュースにもアクセスできて、それをたくさんの人にメディアの力を使って伝えていける、ということだと思います。

僕だけができるということではなく、僕にはやらなくてはいけないことがあるという感じかな。

宮崎 それはバイリンガルだからということだけではなく、イギリスから車で来ちゃったりするお父さんの世界観や日本に生まれ育ったお母さんの土着性みたいなものの両方が、鈴木さんのベースにあるということでしょうか。

鈴木 そういうことだと思います。

ひとつの単一のバックグラウンドを持つということがすごく幸せなことで、うらやましいなと思って僕はずっと生きてきたんですけど、でもやっぱり、そうじゃなく複数のバックグラウンドを持ってて、それがミックスできるというのも楽しいことだし・・・。

それに、いつも自分は何人なんだろうって考えて生きてきたし、メインストリームからはずれている人々、マイノリティーに対して敏感に反応してしまうということもありますね。マイノリティーの人たちが平等な立場に立てなくて不幸なのは許せないと思ってしまう。

でも、そういう人の社会の問題と、いわゆる環境問題はつながっている、というか同じ問題だと思っているんです。

地球の本質って、生態系を作り上げている全ての生き物のネットワークですよね。生物が存在しなければ、火星と一緒でしょ。酸素だって、食べ物だっって、家にあるモノはほとんどは生き物からできている。プラスチックだって石油だし。石油は恐竜や植物が死んでつくられたもの。そういう生態系のバランスやネットワークがあるから、私たち人間も生きていけるわけです。

鈴木 そんなことを全部無視した効率優先の大量消費社会は長続きしませんよね。速く走るクルマとか、ひたすら安い野菜とかひとつの目的のために、私たちは生態系のバランスをどんどん壊しているのです。言い換えれば、生物の多様性が失われている。それは人間社会も同じです。だから、環境問題と人間 社会の問題はつながっていると思います。


宮崎 鈴木さんがいつもおっしゃている「地球も人も、皆ハッピーになりたいよね!」っていうアレですね。

鈴木 そうです(笑)。

日本では、環境のことを扱うメディアで、市民と本当につながって成功している事例ってまだないと思うんです。『greenz.jp』はその一番乗りになりたいですね。

今、社会的な問題や、環境問題に対して「クリエイティブな方法で社会を変えていこう」という意識をもった人もすごい勢いで増えて増えているように思います。メディアとしてそういう人たちをもっともっとつなげていって、社会を変えるお手伝いをしていきたいですね。

自分自身も、僕が動くことで世の中が変わってきたなという実感があるし、これからはもっともっと加速度がついて変わっていくと思いますよ。

『ソトコト』でNPOのことをずっとやってきましたので、新世代型のNPOとは、かなりつながりがあります。新世代型というのは、昔の「〇〇反対!」型のNPOではなく、スタイルがあって、若者に指示されていたり、現代的な感覚で社会変革を目指しているNPOです。彼ら、彼女らとは、とてもいい関係ができています。


宮崎 その嗅覚で『グリーンズ』を立ち上げられ、『greenz.jp』はきっと鈴木さんがおっしゃる一番乗りのメディアになると私たちも期待していますが今までのものとは違う『greenz.jp』の可能性って何ですか。

鈴木 僕がいまフォーカスしているのは、WEB2.0の考え方です。

WEB2.0というのは、ITの単一な技術やキーワードのことをいうのではなく、これまでは情報の受け手だったユーザーが発信者になったり、どんどんユーザー同士でつながったりする潮流を総称した言葉なんです。

WEB2.0の考え方や技術を、NPOやボランティア、社会貢献のパワーと掛け合わせることで、ものすごい社会的変化がおきるのではないか、と思っています。

、社会的な問題や、環境問題に対して「クリエイティブな方法で社会を 変えていこう」という意識をもった人もすごい勢いで増えていると言いましたが、僕は彼ら、彼女らを「社会をデザインする人」ということで、「ソーシャルデザイナー」ではないかと思っています。

そういうクリエイティビティ(創造性)をもって活動している人たちというのは頭の構造が少し違うような気がします。例えば「こんにちは」って初めてであって「この人面白い!」と思ったら、30秒後にはもう新しいプロジェクトが始まっている。もしくは、それだったら、誰それと会ったほうがいいよ。紹介するよ、と言って、電話をかける。彼ら彼女らは、自分と人、他人と他人をつなげることで、世界を変えるパワーがどんどん増幅されることを知っているわけです。

Skaype、チャットやSNS、ブログ、RSSリーダーやソーシャルカレンダーなどのWEB2.0技術を通じてどんどん話が進んだり、つながったりするようになっている。彼らの考え方や思考回路がWEB2.0に非常に近いわけです。

というか、ソーシャルなクリエィターの頭にWEB2.0がやっと近づいたということですね。

そのWEB2.0の技術を僕たちがしっかり持って、いろんな人がいろんなところで発信する情報を増幅したり、彼ら彼女らがつながる手助けをして社会的変革を起こすこと、それが『greenz.jp』です。

宮崎 そういえばコンピューターが得意とおっしゃてましたね・・。

鈴木 今ではコンピューターは手足、脳の延長ですね。僕が中学生ぐらいの頃だったと思いますが、インターネットというものが世に出てきた時、とにかくぶっ飛びました。

それまでずっと、マスメディアというのは少数が中央から「大衆」に向けて情報を発信して「ありがたく受け取りたまえ」と言う感じですよね。本当に自立していて自由なメディアはガリ版、ミニコミ誌とか口コミしかなかた。けど、インターネットというものが出てきた時、「これはヤバイ!世界が変わる!」と思ったんです。本当の意味で自由な世界、本当のことを本当と言える世界がこれで実現するかも、と思って興奮したんです。

その結果、今やひとりのブログの書き込みがきっかけで、世界中の世論を変えた話はいくらでもあります。アメリカでも、市民がニュースを投稿、推薦して評価するメディアが驚異的に成長しています。もちろん問題も多く発生していますが、インターネットは社会が健全なカタチで動いていくためには大変重要な技術だということです。

その頃はただの中学生でしてので、僕は指をくわえて見ているしかなかったのですが、絶対そういう時代がくると確信していました。ダイアルアップでつながるようになった時には親に、50万円借金してパソコンを買いましたよ。

宮崎 『greenz.jp』は、鈴木さんの集大成になるようなお仕事ですね。

鈴木 う~ん、集大成というか、やっとスタート地点に立てた、という感じですね。

宮崎 カエルメディアのカエルはメディアの力で世界を変える(カエル)という意味らしいですが、10年後、20年後、世界は変わっていますか。

鈴木 う~ん厳しい質問だなぁ~(笑)。

変わっていると思いますよ。

ちょっと振り返っても、2000年から2006年、たった6年の間にいろんことが変わったじゃないですか。

これからはもっと加速度がついて変わると思います。

僕のビジョンは、人間の社会そのものが、そろりそろりと大いなる循環の 輪、母なる地球の中に戻っていく、というものです。今までのように資源や動植物環境から徹底的に奪うことはできないので、あることは多少不便になったり、あることは技術の進歩で現在よりも便利になったりするでしょう が、基本的には多くの人間が大いなる環境を尊敬し、人間全体が環境負荷と自然のバランスをうまくとって生きていけるような社会ですね。私たちは、自然の利子がどれくらいかを見極めて、その利子の範囲で生きていくのです。 それが持続可能ということではないでしょうか。

地球全部がそんな社会になるのは相当先でしょうが、個人、家庭、集落、学校友人、サークル、メディア、コミュニティー、企業なんかの単位で、そんな社会が少しづつ成立していって、やがて水の波紋みたいに広がっていくんじゃないかな。

『greenz.jp』はそんな社会のための、情報のハブになりたいですね。

宮崎 鈴木さんの分け隔てのない情報が世界中に広がっていけばいいですね。

鈴木 そうですね。世界中ののいろんなところ、それは都市でも田舎でも、どんなところにいる人も、1人でも多くの人がそれに気付けば、世界はもっとハッピーになると思いますよ。必ず!

宮崎 『きゃりあ・ぷれす』は8年前にスタートしましたが、内容がずいぶん変化しています。それは、鈴木さんがおっしゃるような変化と同時並行的に起こっていることのように思います。これからも時代の空気を嗅ぎながら必然的に変化していくのだということを、鈴木さんのお話を伺いながらあらためて感じました。それは私たちだけが変わるのではなく、社会全体が一緒に変わっていくのですから、とても楽しみです。
今後ともよろしくお願いいたしますね。(了)


宮崎 
鈴木さん、おもしろくて有意義なお話、ありがとうございました。
「在日地球人」っていいですね。どうも私はいつも自分自身を「国民」ではないなと思っていたので、何だかスッキリしました。「国民的関心事」や「国民的人気」とかいうものに、どうも全然関心がないのだけれど、自分を 育んだ日本列島の自然や文化や歴史や言語にはとても関心がある。そういう環境に育った事実には誇りがあるし、自分の重要なアイデンティティだけど、どうも「国民」というものにアイデンティティを感じないと思っていました。 私は「非国民」だと自分自身を規定していて、人にも言ったりしています。これからは「在日地球人」って言おうかな。これからも「在日地球人」同士いろいろ協力していけたらいいですね。