きゃりあ・ぷれす

天職を探せ
様々に悩み、考え、挑戦して、
今『天職』と言えるものを見つけてがんばっている人、
見つけつつある人と発行人宮崎との対談。
天職を見つけた結果よりもそこに至る思考の変遷や
キャリアの蓄積などの経緯にスポットを当てています。
それが、今、様々に悩んだり迷ったりしている方に
少しでも役立てば幸いです。
株式会社アイエスエフネット 代表取締役 渡邉 幸義さん
第20回 必要な物は必要な時に必ず自分の手元にやってくる
『きゃりあ・ぷれす』編集部が「旧暦美人ダイアリー」を手がけて3年が経ちました。「天職を探せ」17回に登場していただいた山下景子さんをはじめ、ダイアリーを通してたくさんの方たちとのすてきな出会いがありました。今回登場してくださるエッセイストの千代里さんも「旧暦美人ダイアリー」つながり。お知り合いになったときにはすでに使ってくださっており、やわらかな関西弁で「このダイアリー、すごく使いやすいんです〜」とおっしゃっていただきました。
千代里さんは新橋の売れっ子芸者さんだった頃に身体を壊されましたが、アーユルベーダや穀物菜食で回復され、その時の経験から、自分の目や感覚を信じて暮らすことが大切と考えるようになられました。すると、やりたいことが向こうからやってくるようになってきたそうです。現在は、大好きな日本のよさを発信するべく、講演や執筆で活躍中。千代里さんのユニークな人生の道のりをたっぷりお伺いしました。
千代里(チヨリ)
元新橋芸者、エッセイスト
ブログ『千代里の福ふく日記』 http://blog.chiyorin.com./

【プロフィール】
1976年生まれ
和裁が得意で日本の伝統文化を愛する祖母の影響を受けて育つ。
同志社女子大学卒業後、幼い頃より憧れ続けた花柳界へ。
新橋芸者として忙しい日々を送るなかで体調を崩し、療養中に出会った
穀物菜食を実践、それまでの衣食住を見直す。
自然を尊び、四季の移ろいに合わせて暮らす日本の伝統的な生活の素晴らしさに
改めて気付き、健康を取り戻した後に芸者を引退。
現在は執筆や講演を中心に活動している。
働く若い女性、主婦など様々な立場の女性との交流を通して
ムリなく楽しく自然のリズムで暮らす生き方や
美しさと優しさを合わせもつ衣食住の提案をライフワークにしている。

著書に
『親子で楽しむ季節のことば』(長崎出版)
『捨てれば入る福ふくそうじ』(SDP)
『みるみる美しさが回復するマクロビオティックできれいになるレシピ』(扶桑社)
『福ふく恋の兵法』(SDP)

主な講演テーマ
『花柳界で学んだこと』 〜一流のお客様から学ぶ〜、〜女性社会での心得〜など
『そうじで拓ける豊な未来』
『心に橋をかけるコミュニケーション法』

『千代里の福ふく相談所』が好評 http://stardustpress.jp/pc/life/fuku/

三宅 千代里さんとのご縁は御茶ノ水・ガイアさん主催のマクロビオティックのイベントがきっかけでした。私が旧暦美人ダイアリーをみなさんにご紹介したところ、千代里さんが「私も使っていますよ!」と手を挙げてくださって。

千代里  私は「ベジィ・ステディ・ゴー」という雑誌で旧暦美人ダイアリーを知り、早速購入しました。ガイアさんのイベントの時にはすでに使っていたんですよ。本当にご縁ですね。

 そのイベントの後に、千代里さんから「捨てれば入る福ふくそうじ」を送っていただきました。千代里さんの人生のユニークな道のりが書かれてありとても興味を持ちました。ご本と重なる部分もあるかと思いますが、今日はぜひ今のお仕事にたどりつくまでの経緯をお伺いしたいと思います。


■舞妓さんに憧れながらも、高校、大学へ進学
 大卒の芸者さんは珍しいと思うのですが、どういうきっかけで芸者さんに?

 関西出身なので子供の頃は舞妓さんに憧れていました。着物とか日本の言葉とか伝統行事がすごい好きやって、楽しいな♪いいな♪と。日本語の変わった言い回しを聞いたりすると、どういうことだろうとワクワクしたりしていました。

だいたい舞妓さんは年が若くないとなれへんというイメージがあったから、中学卒業する前に親に言わなあかんと思いまして「舞妓さんになりたいんやけど」って言うたら、「そんなもん、とんでもない!」って(笑)

私の家はごく普通の家庭で両親は舞妓さんになるのは大反対やったんです。多分、両親の頭の中には、襖をパッと開けたら中には赤いふとんがドーンってあって殿方が「よいではないか、よいではないか。」というイメージがあったと思うんです(一同爆笑)。それに、着物の用意にお金がかかるし、踊りのお稽古代もすごくかかるし、と。それで中学卒業の時は親の大反対で舞妓さんになるのはあきらめて、普通に高校進学しました。

ところが、高3の夏休みだったかな。ニュースで、最近は高卒の舞妓さんが増えていると聞いたんです。
「これや!」と思って。これを逃したらもう次はない、ここであきらめたら後悔する、絶対両親を説き伏せようと思いました。

舞妓さんの面接当日、土壇場になって母が「やっぱり絶対嫌や。どうしても嫌やわ。」と言わはったんです。仕方なく先方に電話して「すみません」てお詫びして大学に進学することにしました。

大学に行っても成績がめちゃくちゃ悪かったんです、私。志望校を選択するときに「大学はどこまでランクを落とせるんや」って担任の先生に言われて、私は「同女(同志社女子大学)に行きます。」と。先生は最初は笑ってはったんですけど、だんだん怒り出さはって、「真剣に話しろ」。でも私は「同女しか無理です」と。「お前は出席日数ぜんぜん足りひんし、大学落ちたからゆうて就職は無理やぞ。それでもいいんか?」と言われました。でも、受かったんです、同女に受験科目1教科で!

■大学は暗黒の時代?そして再び芸者を目指す!
 日本の言葉や文化が好きやったんで日本語日本文学学科に進んで、日本語教師になろうと思いました。外国の方に日本の良さを伝えたり、自分も毎日好きな着物が着られると思いました。 それで日本語教育論を受講したんですけど、すごく難しかったんです。他にも必須の科目をいくつも4回生まで持ち越してしまい、卒業式のときにみんなに「なんでいんの?」って言われました。嫌味ではなくほんまにびっくりして言われました。

 頑張って単位を取られたのですか?

 はい、もう必死でした。先生に「レポートでもなんでも書きますから、頼むし、上がらして。」って(笑)
大学時代は舞妓さんになれなくても、その世界に触れていたい気持ちがあったので、踊りの稽古は続けていました。ただ、本にも書きましたが、その時代は、やはり暗黒の時代やったなと思います。何をしていいかわからへんし、何かできるという気持ちもあるけど、自分は何も持ってへん気持ちもするし。何かしてしてみようと思ってもそこに行き着く体力とか気力が全然沸いてこなくて・・・。大学もしょっちゅうやめようと思ってました。そんな中でほんまに身動きがとれへんというか、あれがしたいこれがしたいとか、楽しいと思うことがなくなりました。目標を持てと言われても、それを目標に持って達成したらどうなるの?何が楽しいのと思って。とにかく何もしたくないという日々でした。

■ふくふく入るおそうじ体験談&なったつもりが大事
 そんな状況からどうやって脱出されたのですか?

 掃除です。「そや、掃除や!」と思って掃除をしたんです。洋服とか、集めてたパンフレットとか美術館の資料とか、洋服だけでもゴミ袋17個分捨てました。全部すっきりさせたときに、踊りのお師匠さんから「東京では二十歳になってから芸者さんになる人けっこういるよ。」と聞いて、「今や!」と思って。流れに乗れたんです。上京して念願の花柳界に入ることができました。

 「掃除や!」と思ったのは、誰かのアドバイスじゃなくて自分でひらめいたのですか?

 小さい時から掃除すると気持ちがいいと思っていました。

習字のお稽古の後で使ったすずりを水道で洗うと洗面台が黒く汚れるやないですか。この際だから洗面所を全部きれいにすると、すごく気持ちええなと思ったり。学年末の時に、机の引き出しを全部きれいにするとなんか気持ちええし、ええことあるなって。あと、中学の時、私めちゃくちゃ成績悪かったんです。このままではあかんなと、その時も掃除を徹底しだしたら、成績が上がってきて、行きたい高校にも行けて。

中学の時は、私、直感冴えてたと思うんですよ。
瞑想という言葉も知らなかったけど、寝る前に銀白色のきれいな光に包まれてグーッと天のほうにのぼっていく自分をイメージしたり、朝、太陽を自分の身体のすみずみに感じさせて、それが行き渡ってから自転車に乗って学校に行ったりとか。そんなことを自分なりにしてました。

 はい。中学生で。
そしてもう一つ、なったつもりが大事かもしれへんと思います。大学受験の時、成績が悪くてこのままでは同女に行けへんと思って。それで(同女が)一度どんなところか行ってみようと思い、学校に行くバスに乗っている途中で、今日天気ええし、大学見に行ったろとそのまま電車に乗って行ったんです。

当時はまだセキュリティがそんなに厳しくなかったんで、守衛さんも何も言わはらへんやかったし、高校の制服のままで同女の教室に入って一番後ろに座って(笑)こんな授業してはるんやと見てました。

それは小林先生という日本語の先生の授業で、現在形、過去形の話でした。
「『死ぬ』『死んだ』『死んでいる』やけど『今死ぬ』というのはおかしいですよね。」みたいな。それから食堂に行ったら高校の先輩がいて、パフェご馳走してくれはって、ご飯食べて、大学入ったらこんな感じか〜と。授業を受けながらそこで生活している自分のことをイメージできたんです。

今でいう先取り、ビジュアライゼーションというのでしょうか。それを勝手にしてたと思うんです。芸者になる前にも、もう絶対(舞妓に)なれへんから一度あの格好して納得しようと思いました。白塗りしてかつらかぶって、写真撮ってもらって、清水寺のところ歩いてというのをやりました。そうか舞妓さんになってたらこんな風やなぁ〜と体験したんです。そしたら、その後にお師匠さんから「東京では二十歳になってから芸者さんになる人けっこういる」と聞きました。そのつもりになることって大事ちゃうかなって。

 受験前に大学生活を体験したり、舞妓さん体験をしたことで、目指すものがしっかりとイメージできた、ということですね。

 はい。そうです。あと神社にもよくお参りに行きます。最初に行ったのは高校受験の前でした。小学校の時の先生に勧められたんです。その先生はすごく変わった先生で、授業で当てられて何も言えない子がいると、口探しの旅に出てこいと言って生徒をウロウロさせたりしはる先生でした。

高校受験の時に緊張しすぎて寝られなくて。するとその先生の顔がふっと浮かんだので卒業してから初めて電話してみたんです。そしたら先生は「あんた、神社お参りに行き。頼むんちごうて、感謝のお参りやけどな。あんたが神様やったとしてみ。同じ受験する人がいて、同じくらいの成績やって、どっちか一人しか受からせられへんとしたら、あんたやったら拝みに来てる人と来てへん人どっち選ぶ?」って言わはって。そらぁ、来てるほうやんなと思って、元気にこうして受験させてもらってありがとうございますって神社にお参りに行きました。

それが神社にお参りに行くのが習慣になるきっかけやったんです。
田舎の神社なので森が鬱蒼としてて、山がエネルギーをくれてはるんやと思いました。エネルギーを感じられるまで、ずっとそこで祈るんです。気持ちを研ぎ澄ませて、そこからいい気分になって帰る。何をする時も習慣になりました。受かった後もお礼に言ったりとか、芸者の面接の前にも行ったりとか。

細かい礼儀作法はわからへんけど、神社でお参りしている時にありがたいなと思うことをいろいろ思い浮かべているとほんまにありがたいことに気付くし、受験も、もう別に受からんでええんちゃうくらいの気持ちになれるし。

■芸者にはなったものの、自分に自信が持てず葛藤の日々・・・ついには病気に。
 神社はお願いに行くところではなくて、お礼を言いにいくところなのですね。なるほど!次に行くときは私もお礼を言ってみます。 それでは念願の芸者になられてからのことをお聞かせください。

 芸者になりたいと思っていた大学時代は自分に満足していないところがありました。それで、芸者になったらなりたい自分になれるような気がしてたんです。でも、実際なってみたら違いました。人から嫌なこと言われた時はムッとしてしまうし、踊りがなかなか上手にならへん時は自分のことを信用できなくなったりもするし。なりたいものになっても自分に自信がもてなかったせいか、違う自分にはなれなかった。あんなになりたかった芸者なのに、芸者になる夢が叶ってしばらくしたら、今度はやめたくなってしまったんです。

芸者以外に私には何ができるかと悩みました。踊り?ないな。お茶のお稽古とか笛のお稽古とかいろいろさせてもらってたけど、全部中途半端やし、じゃあ、接客のプロでホステスさんになれるかというと、芸者とホステスでは働き方違うし。料亭さんのお母さんのところで修行して料亭さんを継ぐ、そんなのも違うなって思ったときに、自分が好きなことってどんなことやろうかって。

あと、芸者になってものすごく忙しくなった時に、感謝の気持ちが全然もてなくなったんです。毎日すごく忙しい中で、私、芸者であるということに命かけて死ねるかって言われたら、死ねへんなって思ったんです。踊りのお稽古してお座敷に出て、それに全力集中して極めることが自分の人生の喜びかというと違うな〜って。

神様か宇宙かわかんないけど、私らを動かしてくれている大本のその存在に、私がこのためやなら命削ってやっても喜びやと思えるほどの仕事が何か教えてくださいって思っていました。

そんなこともあって、自分が好きなことってどんなことやろうって、ちょっとずつ意識するようになったんです。字書くこと好きやなとか本読むこと好きやなとか、着物の柄を考えるの好きやなとか、言葉が好きやなとか。それが仕事にいきなりはなりませんが、こんなことしたいなっていうのはちょっと出てきました。

そんな時、感謝が足りなかったのか病気になりました。お正月が明けて「今年はバリバリいくで〜!芸者頑張ろう!」と思った矢先でした。3日目くらいにもう寝込んでしまいました。1週間経っても、2週間経っても元気にならなくて、頑張ってる場合ちゃうでという身体からのメッセージちゃうかな、と。

■病気をきっかけにスリランカへ。マクロビオティックとの出会い。
 毎日嘔吐があり、子宮頸部の細胞がガンと健康の間のグレーの数値やったんです。じんましんも出て、すごい強い薬で抑えて、それを飲みつづけることにも疑問を持ち、芸者をほんまに続けるべきかな、どうなんかなと思いました。

その時「ガラクタ捨てれば未来が開ける」という本に出会って、それを読んで、また掃除せなあかんなと。掃除しながらいろいろ捨てました。そしてある本がきっかけで知ったスリランカの治療を受けに行くことを決めました。マンションを引き払って着物だけ実家に送って、スリランカに行ったんです。

 スリランカではどんな治療を受けましたか?

 アーユルベーダのホテル兼病院でドクターがついていて、問診してもらって、トリートメントを受けて、一日2回思い出すだけで吐きそうなまずい薬を飲んで、いろんなプログラムを受けました。そこでは、お酒は禁止やし、たばこももちろん禁止で、テレビもないところでした。

食事は菜食でした。たまに魚が出るんですけど、市場で売られている魚にハエが寄っているのを見たら、この魚は食べられへんと。結局、野菜だけの料理を3ヶ月食べて、帰るころにはすっかりベジタリアンになり、お酒も欲しくなくなってたんです。

 それまでベジタリアンではなかったんですか?

 全然です。お座敷で、芸者ってめったにお客様の前で食事をいただかないんですが、気心知れたお客様には「お腹減ったやろ」って、料亭さんのお料理を頼んでいただいて。肉丼、親子丼、オムライスとか特別に作ってもらえるんです。お肉大好きでしたね。疲れたらお肉と思ってて。サプリメントも毎日マグカップ1杯くらい飲んでて、エステも整体もいきまくってたし。

 すごく芸者になりたかったのに、いざなってみたら、実は自分にあっていなかったことに気付き、忙しさもあって体調も崩されてしまったのですね。

 そうですね。芸者になるという目的を達成したし、自分の中で踊りでは一番にはならへんという気持ちもあって。

 芸者さんはやはり踊りがメインなんですか?

 踊り子もいれば、三味線弾きも、唄うたいもいて、それぞれの本業の中で極めていく。一生ずっとお稽古が続くし、一生、芸の精進に向かっていくし、私は踊りで極めるのは無理やなと思ったんです。

 踊りは小さい頃からお稽古されてたんですよね?

 小さい時に少しやってて、大学に入るまではブランクがあるんです。それに自分は踊りのセンスがないと思ったんです。

結局、芸者のあの格好にワクワクしてたのかな。着物着て白塗りしてかつらをつけて、華やかなところにフォーカスしてなりたいと思ってたんです。踊りが好きで好きで、そのために芸者をというのじゃなかった。芸者とそれにまつわる日本らしさに惹かれていたんですね。

 芸者の仕事の本質は、千代里さんの憧れていたものとは違っていたのですね。

 お座敷では、料亭のお母さんとかお姉さんには可愛がってもらったんで、めちゃめちゃ売れたんです。自分で言うのもなんですけど。人気が出て、すごく売れっ子になればなるほど、自分に実力がないのを感じて、なんか偽者のような気がして。自分自身は大したことないのに名前だけが一人歩きしていました。売れてなくても踊りがめちゃくちゃ上手な人のほうが(芸者として)本物だと思ったりして。居たたまれへん気持ちやったんです。

 そういう気持ちもあって体調を壊されたのかもしれないですね。

 料亭さんは土日は基本的に休みなんですけど、遠出で京都行ったり、地方に行ったりとか、お客様がお芝居やオペラ、ごはん食べに誘ってくれはったりとか、ずっと休みがなかったんです。呼んでもらったら行く、という感じで。

 基本的にはお断りはあまりしないんですね。

 してもいいし、病気になったときは断ったりもしていましたが、やはり3回に1回は行かんへんと。

 芸者さんたちの一日はどんな風ですか?

 置屋によって違うのですが、うちは門限があって、午前1時なんです。置屋によっては、お客様にがお帰りになるまでおつきあいしなさいというところもあるけど、うちは人間がくたびれるし、芸者としてくたびれるから遅くまではつきあいしなさんなと言わはって。頃合いのいい時、盛り上がってる時に帰ってきなさいと。それで、午前1時に帰ってきて片付けたり、お風呂入ったりして2時半頃、遅くても3時に寝ます。
朝は8時位には起きて、ご飯を食べて、9時から仕度して10時からいくつかお稽古して、その後美容院に行ってセットして、4時とか5時に着替えて6時からお座敷。それで、また1時くらいまで勤めて。

 けっこうハードですね。お昼まで寝ていいわけではないんですね。睡眠時間が少ないと身体を壊しますよね。表は華やかなお仕事も実際は重労働なのですね。美容院も毎日行くんですね。

 かつら被って白塗りはお正月の時と余興を買ってもらった時、踊りを出す時だけです。普段のお座敷はこんな感じです。(右写真参照)
新橋は接待のお客様が多いんです。私たち芸者は一言もしゃべらず、お酒も飲まずに終わることもけっこうありました。


 病気になられてスリランカに行かれて治療されましたが、日本に戻って芸者を再開するつもりでしたか?

 実はスリランカに行って、アーユルベーダを受けてもよくならなかったんです。のんびりしてきたんですけどね。先生は薬をやめなさいって言われたけど、じんましんは本当に薬がないとやっていけなくて、風にあたるとその部分がぼこっと腫れたり、足を地面に底につけたらそこが腫れたりと。

 それはいったい何だったんでしょうね?

 じんましんの原因は結局わからなかったんです。食べ物のアレルギー検査をしても問題なかったですし、どの病院でもとにかく強い薬でぐっと抑えろと言われました。じんましんは新築のマンションに引っ越ししてから1ヵ月後くらいのある日に始まったんです。もしかしたら化学物質が原因かもしれないです。

 化学物質過敏症ですね。

 スリランカに行っても治らないし、薬はやめられないし。病気が治らないから芸者にも復帰できへん、仕事もしないまま他の治療もできないから、どうしようって思っていた時に、有楽町の書店の前を通ったら、マクロビオティックの特集コーナーが目に入りました。スリランカである日本人の女性の方から、マクロビオティックを教えてもらってたんです。何それ?って聞いたら、トム・クルーズとかマドンナがしてるやつって。その時は何のことかわからなくて、ハリウッドのスターさんがやらはるもんやからお金がかかるものだと思い込んで、今の私には無理と思って素通りしたんです。けど、なんか気になって、翌日本買おうと。そして買うなら一番分厚い本やなと思って、久司道夫先生の「ザ・マクロビオティック」を買いました。それが難しくて全然読めなくて。一番後ろに連絡先が載っていたので電話してみたら、お店がありますって言うから行ってみたんです。

そこにマクロビオティックスクールのサマーカンファレンスの申込用紙があり、その場で申し込みました。すでにキャンセル待ち状態だったんですけど、たまたま空きが出て受け付けてもらえたんです。サマーカンファレンスでは抽選に当たると久司先生に公開健康診断をしてもらえると書いてあったんで、私、絶対当たるわと思って申し込んだら、ほんまに選ばれたんです。

 すごい!強運ですね。

 公開健康診断ではみんなの前で自分の症状を一人ひとり話すんですけど、久司先生が「この人は何に見えますか?豚に見えますね!」って言うてはるんです。「あなたは豚肉が好きですね。」って。他にも「鳥に見えませんか?」とか「魚の顔ですね!」とか。私、当時はまだ現役の芸者やから豚とか牛とか言われたら商売にさしつかえるな〜って思ってたら「あなたは、乳製品が大好きですね、白砂糖も好きですね。」と言われました。他にも雑談の中で「蜜蜂を食べ過ぎると人は住所が定まらなくなる」って。スリランカ行ってたり、実家戻ってたりしていたので自分に言われた気がしました。

久司先生には「お菓子とかチョコレートとか、そういうものをピシャンとやめてください。」とアドバイスされました。「ピシャンとですか?」言うたら、「ピシャンとです!」って言われました。それで、診断のときに久司先生のアシスタントについておられた橋本宙八先生に「甘いものをやめるにはどうしたらいいですか?」って聞いたら「君ね、腸が相当緩んでるから、半断食しないとダメだよ。」と。

8月の半ばくらいに一週間の半断食に行ったんです。断食しながら山の中歩いたりするんですけど、肺の形に皮膚が腫れたりとか、腎臓の形に腫れたりとか。橋本先生も面白いねって写真とったりして。皮膚がお餅のようにふくれるんです。「私生きて帰れへんのと違います?」と思いました。ところが、1週間の半断食が終わって家に帰る時には薬がなくても大丈夫になったんです。腫れはしてたんですけど、息ができないほどではなくて、薬がなくてもやっていけるかもって。マクロビオティックってすごいって思いました。

■必要な物は必要な時に必ず自分の手元にやってくる・・・人生かけての実験
 薬もいらんようになった。このままいったら元気になると思ったら、芸者はもう私の人生の中ではなしやな、ということになりました。とはいえ、芸者をやめてから先の当ては全然なかったんです。料亭のお母さんやお姉さんらは(私に)だんなができて、これから悠々自適に暮らすんだなって思っていたみたいです(笑)

やはりスリランカに行ったり、マクロビオティックを実践する中で出会う人も変わってきたのも影響しているのかと思います。自分が興味がありながらも、今まで知る方法がなかった精神世界だったり、地球環境のことやったり、食べ物のことやったり、そういうことにすごい興味が沸いてきて、これからの人生はそっちのほうにフォーカスしていきたいなと思ったんです。

「ガラクタ捨てれば未来は開ける」という本には、必要な物は必要な時に必ず自分の手元にやってくるとありました。ほんまかな、と半信半疑でしたが、特に何にも当てはないし、次にどこに運ばれるか、自分の人生をかけて実験してみようと思いました。
そして、ついに芸者を辞めたんです。
ワクワクするほうに向かっていくとしたら、今の私にはマクロビオティックやと思って学校に通い始めました。

元芸者でマクロビオティックやってるのは、やはり話題性があって、時々取材をいただいてましたが、芸者のときはお金のことを自分から言うのはみっともないものだと教えられていたので、お金のやりとりが上手にできませんでした。お料理の材料代を使って、髪セットして、料亭さんに頼んで写真撮らせてもらったのに取材料をいただけないということがけっこうありました。

知人に相談したら事務所に入るようにアドバイスされて、文化人ばかり集めた事務所を見つけて連絡したんです。今新しい人はとってないけど、経歴が面白いから履歴書を送ってほしいと言われて、経歴とお手紙を書いて送りました。すると、その事務所から恵比寿でこども未来塾というのを開くから、そこで先生をやってみてはどうですか、と。まずはテキスト作ってと言われ、「下書きみたいなのでいいですか?」と作りました。事務所が出版社に持って行ってくださって、なんと出版することになりました。最初の著書の「親子で楽しむ季節の言葉」という本ができたんです。

そうは言っても芸者辞めた時は不安で、誰かに頼んだら何かしてくれるかなと思わないわけやなかったけど、引き上げてほしいという気持ちがそこにどうしても働くから、頼まれた相手も負担やし、そんな関係の中で生まれてくることにいいことはないやろなと。それなら自然の流れを信じてみようと思っている中で、1冊目の本ができました。自分が今まで花柳界で培った人脈とは全く関係ないところだったので、あ、ほんまに必要な時に必要なものが運ばれてくるんやなって思いました。

実は芸者やめる時はお客様には派手に挨拶にせずそっとやめたので、ひとつ仕事の形をつけないと(芸者時代の知り合いには)連絡できないなと思っていました。それで本が1冊出た時にご挨拶を兼ねて手紙を書きました。すると、それなら今度会おうとか、いろいろ話をいただきました。

 ご縁がどんどん広がりましたね。マクロビオティックならではですね。

■自分の目を信じて、感覚を信じて。これからは自ら発信していく。
 マクロビオティックの学校に通っていたときに「マクロビオティックってほんまにええの?」って、やはりちょっと疑問を持ちました。マクロビオティックの先生でもけっこう変な先生もいはるし、ぜんぜん幸せじゃなさそうな人もいはるから。マクロビオティック始めた時は、自分の人生がすごく楽しくなるとか、自分の中で芯が一本通ってぶれへんとか迷わへんとか言われたけど、こうはなりたくないなと思う先生をたくさん見る中で、続けてってええのかなと迷っていました。

そんな中で川内翔保子先生に出会いました。「マクロビオティックって肉を食べてはいけないということじゃないですよ。何を食べたらいけないとか何をしてはいけないということではなく、宇宙の秩序と調和して暮らす生活方法がマクロビオティックです。」って言わはって、「これや!」と思ったんです。日本の季節を大切にする心とか、結局そういうのと一緒やと。私が惹かれたのはこの部分や、そこさえ間違わへんかったら、多分おかしくはならへんやろうと思って。その後、岡部賢二先生にも出会えてマクロビオティックを続けていこうって思えたんです。

自分の目を信じて、感覚を信じて、感じるということを芸者時代はあまりしてなかったし、またそういうのがわからないような暮らし方をしていました。それが、マクロビオティックをしているうちにだんだん研ぎ澄まされてきて、自分の中で欲しいもの、欲しくないものがはっきりしてきました。

今、自分で発信したいなって気持ちが生まれつつあります。パソコンの勉強は嫌やったけど、今はやりたいです。「あ、これ多分波が来ているんだな」と思います。それでインターネットもやってみようということで、今パソコンをお稽古しています。ブログとメールマガジンも発信して、自分が賛成!と思うことにフォーカスしていきたいです。

病気になったことがきっかけでマクロビオティックを始めましたが、これしたらあかんとか、あれしたらあかんとか、「禁止」項目が増えていって、それをしている人を憎むようになってしまうこともあります。それよりは、「いいと思うこと」にフォーカスして、こうなったらもっと楽しいんちゃうっていう提案をどんどんしていきたい。私それ得意だからやるわとか、自分のお店に取り入れてみようとか、そんな風になったらずいぶん生きやすい世の中になるなぁと思って。本当に心があったかい気持ちになって、それを取り入れることで、外にもエネルギーを発散できるように、そういう方法を自分なりにまとめて発信していきたいです。

 自分が「いいと思うこと」をどんどん発信していこうとされているのですね。

 自分が素晴らしいと思う人とか本とか会社とかやってはることを紹介することで、それに関心持った人が集まって楽しいネットワークができるような気がしています。

それから、やはり自分の中に日本がすごい好きやという軸があって、日本のいい物を世界に発信していきたい。食事やったり、いい会社さんだったり、あと心遣いも日本って言葉にならへん気持ちのひだを汲み取って、相手を思いやるとか得意ですよね。

 自分のやりたいことが見つかって、でもそれはひとりではなく、周りと一緒にやっていくということですね。

 はい。みんなを巻き込みつつ、助けていただきつつ、ですね。

 千代里さんが核になっていかれるのですね。

 それと小さい目標ではパソコンができるようになることです(笑)

 大丈夫ですよ。すぐにできるようになりますよ。
千代里さんのお話を伺っていっぱい元気をいただきました。いつも感覚を研ぎすまして「いいと思う」ことをキャッチするアンテナを立てていらっしゃることにも刺激を受けました。千代里さんのネットワークが広がっていくのが楽しみですね。

 心の持ち方をほんの少し変えるだけで、見えてくる世界が大きく変わってくると思うんです。

人にどう思われるか、ということを人生の物差しにしている人が、その物差しを捨てて、人のどんなところを自分はスバラシイと思うのかというテーマで人生を生きることにしたら、きっと窮屈な感じが消えて、楽しいことが増えてくると思います。

 そうですね。生きづらいと言われている世の中で、人間関係で悩んでいる方も多くいらっしゃると思いますが、そういう方にとっていいアドバイスだと思います。
発想の転換をして、マクロビオティックをやっているいなにかかわらず、いい巡りがみんなにいくといいですよね。

 絶対こうじゃなきゃダメということはないと思います。あかんと思うことを増やすのではなく、これ楽しいやん、これええやんというほうにフォーカスしたほうがええなって。

 今日はお話を伺えて楽しかったです。ありがとうございました。

 めっちゃしゃべりましたね(笑)