きゃりあ・ぷれす

天職を探せ
様々に悩み、考え、挑戦して、
今『天職』と言えるものを見つけてがんばっている人、
見つけつつある人と発行人宮崎との対談。
天職を見つけた結果よりもそこに至る思考の変遷や
キャリアの蓄積などの経緯にスポットを当てています。
それが、今、様々に悩んだり迷ったりしている方に
少しでも役立てば幸いです。
第3回 甲斐徹郎さん  株式会社「チームネット」代表取締役
会社員時代〜バブルの崩壊を機に独立を決意
環境共生コーポラティブという考え方

■プロフィール■
甲斐 徹郎 (Kai Tetsurou)
株式会社チームネット代表取締役

1959年東京都出身。千葉大学文学部行動科学科卒業。
(株)日本マーケティング研究所にて、建材や住宅を中心にマーケティングの実務を担当。独立後、(株)チームネットを設立し、環境共生住宅を専門 分野としたマーケティング・コンサルタント業務に従事している。 2001年より、都留文科大学社会学科非常勤講師。

◆主な実績◆
1.環境共生型コーポラティブ住宅「経堂の杜」企画・コーディネイト
2.鳥取県環境共生住宅提案コンペにて最優秀賞受賞。同県営住宅基本設計参 画
3.東京電力・省エネルギー住宅普及活動「住まいと街づくり塾」の企画運営
4.市民啓蒙活動「エコロジー住宅市民学校」の主宰
5.戸建環境共生住宅の企画

◆環境共生型コーポラティブ住宅とは◆――――――――――――――――
コーポラティブ方式(住宅を求める人が集まって組合を結成し、土地を取得 し、設計、工事を発注して建物を建設し、管理する方式)とパッシブデザイ ン(自然の営みを巧みに住まいに取り込み、自然の力で室内環境の快適化を 図る手法)を組み合わせた建築手法によって建てられた住宅。
積極的に整備された「自然環境」と「建物」とが一体となって、全体として 一つの大きな「自然の空調装置」として機能するように計画されている。

 ■会社員時代~バブルの崩壊を機に独立を決意

宮崎  「きゃりあ・ぷれす」は女の人が多いんです。男の人は今までの仕組 みの中で優遇されている。だけど、これからはもっと違う働き方があ るだろうという時に、今までの枠の中にいた男性よりは女性の方が変 えていく主体足り得るのではないかというスタンスなわけです。 それで「天職を探せ」の企画にはこれまで2人の女性の方に登場していただいたわけですが、男性の中にも、今までも枠から外れていた人がいたわけですし、これからの時代を敏感に感じて自分から外れようとする人も出てきているわけです。「何も女性に限ったことではないな」ということで、男性の第1号として今回、甲斐さんにお願いしよ うということになったのです。

甲斐   第1号(笑)なにを話しますかねえ……。 今、一番関心があるのは、自分達が生活する場所を戦略的に豊かにするということです。それはどういう意味かというと、今の我々の生活 環境は、かなり戦略的に失敗していると僕は位置付けているわけです よ。例えば今の生活環境やスタイルが どのように成り立って来たかと いうと、おそらく30年か40年の流れなんですよ。
  高度経済成長の時 期からゼロベースででき上がってきたものがあって、 それがようやくストックとして感じるものになってきているものと、 全然ストックになってないものと、それから次の世代に向けてストックとして作っていくものとをもう1回整理し直して、僕らの生活環境をもっともっと戦略的に捉え直さなきゃいけないという局面に来ていると思うんですね、それがまずは問題意識です。

宮崎  なるほど、ではそのような問題意識を持つに至った過程を伺いたいのですが。そうですね、甲斐さんの学生時代の話なんですけど、これをやろうとか、勉強しようとか思ったことがありますよね。そのへんから話していただこうと思うんですけど。

甲斐  そうですねえ、大学受験の時はもともと今のようなことは全然考えて なくて、理系志望だったんですよ。建築とかそういうことをやりたかった。だけど、僕は文系に変更した。それはね、ものを作ることよりも、漠然としてるんだけど、人間の環境の中で何かができるという社 会学を学びたいと思うようになったんですよね。それでやっていったんだけど全然勉強しなかったんですよ。授業にもほとんど出なかった。

宮崎  じゃあ、何をやってたんですか?

甲斐  秋葉原でアルバイトしてそのお金でディスコ行ったり、合コンしたりしてたんだけど(笑)。それで、あるとき気がついたんですよ。結局これは、学生としての時間をバイトという行為で浪費して、更にそのお金を使って浪費していくというその浪費の構造が、あるとき急に空しくなった。それでみんなに「これはおかしいぞ」っていうような話をして、遊び方のルールを作ろうということでPOCUS(Planning Office of Chiba University)という団体を作ったんです。それで、例えば利根川下りをお金を使わずにどこまで行けるか、とい うことをやろうとすると、まずボートをどこかで借りなきゃいけない。 それで借りに行くんだけど、もちろんただでは貸してくれないんで条件としてプロモーションビデオを撮りましょうという話で借りられた りする。
 そういう自分達の遊びの中で、ある目的に向けて人と繋がるということの面白さを体験したというのは、財産ですよね。今もそういう人た ちとはしっかりと付き合いがあります。

宮崎 なるほど、大学では社会学を一応やったわけですね。でも勉強自体はあまりしなかった(笑)。そこでの消費の構造の遊びから、ちょっとクリエイティヴな遊びに目覚めたというぐらいで。 それで、 就職しなければいけないとなった時に、どういう仕事を選ぼうと思ったんですか?

甲斐  企画の仕事をやりたくて、あの時は広告代理店が流行っていたんだけど、もっと企画型のマーケティング会社に入りたいというのがあって、日本マーケティング研究所に入ったんです。

宮崎 その中でマーケティングに関することを学んだわけですよね。それで、その中で色々考え方が変わっていった時に、仕事の中で限界を感じたりしたことがあったようですが、そのポイントの辺りを教えていただ けますか?

甲斐  最初の頃は、企業の中の骨格に当たる部分を提案するということが刺 激的だったんですよね。


宮崎  それは、扱う商品やサービスの内容には関係なく?

甲斐  そうそう、たんに市場のリアクションが楽しくて、成功するとなんだかかっこいいじゃんみたいな感じで、どんどん勘違いしていっちゃう。 そういう実体のない虚構の世界で、世の中の反応ばかりに気を取られて、実際の自分達の生活に、それらがどういう関係があるのかということに無関心だったりするんですよね。

宮崎  マーケティング活動において、マーケットっていうのは人の集まりではあるんだけど、たいていはそれが人であるという認識ってないですよね。こういう働きかけをしたらこういうリアクションが返ってくるという、まるで実験をしているような感じですよね。
でも、その中でマスとしての人々の反応自体を見ている時って結構楽しんだりしてますよね?でもどっかでそれが違うってことに気が付くわけなんだけど、それはいつだったんですか?

甲斐  それはきっと、バブルが弾けた頃でしょうね。バブルの頃っていうのは企業がある程度、ビジョンに対して投資してたんですよ。僕が社会的なことに目覚めた経緯は、会社に勤めて6年目あたりから環境共生というものに巡り会って、ドイツに行ったり建築家の人々と接したりする中で感化されたことでしょうね。その人たちって日本の環境共生という概念の萌芽期に携わっている先駆者なんだけど、そういう人たちと関れたということはとてもラッキーなことだったんです。そういうことってバブルだったからできたことだと言えるのかもしれないですよね。

宮崎  海外には結構行かれてるんですか?

甲斐  僕が大学受験を控えていた時期に親がロサンゼルスに3年くらい勤務していたんです。僕は大学受験があったんでおいていかれたんだけど、 親がいるということで海外が身近なものになって、海外に行くようになった。僕は特にアメリカに行ったんだけど、いろんな住環境を見ていると日本のアジア的で雑多な住環境とのギャップに物凄いインパクトを受けました。
 そのあと、企業に入ってからはヨーロッパに行くと、そこはまたアメリカと違って住環境に関するストックがあって、今度は逆にアメリカの住環境が殺伐としたものに感じられるようになって来た。ヨーロッパのそういった非常に豊かな住環境のストックがうらやましくなった。それはそういったものと日本の住環境を対比することで見えて来たんですよね。そういったことがまず、僕の中に根底としてあるんでしょうね。

宮崎  バブルの頃は企業もヨーロッパ視察に対して投資してくれて、甲斐さんは会社をある意味、有効に使うことができたと。それで、バブルは崩壊してしまうんだけど、もし仮にバブルが存続していたら、それはそれでよかったんですか?

甲斐  それは難しいですね。バブルが崩壊して企業も資金的な余裕がなくなって、これからは儲かる仕事をしてほしいといってきたんで、それなら辞めますっていうのが、今の自分があるきっかけなんですよね。

宮崎  でもそれってバブルが終わらなくても甲斐さんの中で価値観が変わったんだと思うんですよね。

甲斐  そうですね、変わったんですよね。今までのバブルの頃のマーケティングのスキルっていうのは、大きなバックミラーを用意して、それを一生懸命磨いているような感じだったんですよね。過去の経験をもった人々に話を聞いて、過去の事柄を調べて、それらを使って先を作っていくというのが手法だったんだけど、実際の価値っていうのはそういう過去の話の中にはなかったんですよ。古い枠の中にいる人々を新しい枠の中に連れていくというときに、バックミラーの中を見てもそこには解決方法なんてないんですよね。

宮崎  それは前にあるんですよね。前を見るっていうことが大事なんですよね。

甲斐  そう、今でこそ、それはプラットホームが違うんだということばで説明することができるのかもしれないんだけど、その当時はその概念自体が全く新しいので、説明するためのきっかけが必要だったんです。たぶん、ヨーロッパに行ったのがきっかけだったんだと思います。でもやめた時に、企業ベースでないやり方でこれからはやっていこうと思ったのは、辞めたから思えたことなので、多分企業にいる限り今のような考え方は持てなかったでしょうね。

宮崎  ですよね。でも今までの価値観を残しつつ、その余剰でちょっと違うものをやってますっていうのもありますよね。

甲斐  本業をやりながら、何かしら自分のやりたいことをやってますっていう人は、今でも企業にたくさんいますよね。本業は一応、やっておくといった感じでこなしておいて、本当に自分のやりたいのは違うことなんだっていう。

宮崎  でも、それって不統一なことですよね。それで、甲斐さんはその当時、不統一は感じてなかっ たんですか?

甲斐  そういう思いはありましたね。その当時は相当どん欲に人材のネットワーク作りをやってて、そのネットワークが成熟していって、機が熟 した頃に、そこで作り上げていくものが企業とどんどんマッチングし なくなった。やはり自分のやりたい仕事をやっていきたいという思いが強くなって、会社を辞めたんでしょうね。だから、結局バブルが続いていても辞めたでしょうね。

宮崎  それで辞めたということだけど、世の中はバブルが弾けて厳しい状況でしたよね。その頃はもう、そろそろリストラとかが出て来てた頃でしたか?

甲斐  まだですね。もう少し後からですね。

宮崎  リストラとかが出てきはじめると、リストラされずに社内に残れた人が勝ち組だ、みたいなのってありますよね。でもそういう考え方って非常に男性的で、これからはそうではない価値観を持つ事が重要だと思うわけですが、甲斐さんはそういう流れを早めに察知して、行動を起こしたんじゃないかと思うんです。

甲斐  そこで求められているのは、きっと企業の枠組み自体を変革するほどの大きさのものなんですよね。僕は一度企業を出る事で新たな立脚点を持ち、もう一度企業に対してコラボレーションするという形で企業変革を共に目指して、新たなマーケットを作っていくということをやりたかった。そうなってくると、今までいわゆる「男社会」という枠組みを作ってきた特権層の人々は、このままじゃやばいな、と気が付くわけですよ。

宮崎  会社にいたらそれはできなかったと?

甲斐  できたかも知れないけど、いったん完全に企業から出て、ユーザーサイドからビジョンを一から作り上げたという実績が今あるのは、企業の外にいたからからできた事だと思う。 今、株式会社リブランという大変ユニークなディベロッパーと仕事をしているのだけれども、そうしてきたから「下請けではやらない、フィフティーフィフティーの関係で、明確なビジョンとビジョンのぶつ かり合いでコラボレイトでやりましょう」という話ができているんで すよ。
  そのうち、分譲マンションの仕事を、僕たちの会社であるチームネットが企画を担当して、リブランが販売を担当するなんていうことになると、すごくインパクトが出ると思うんですよね。これが逆に、チームネットがやってますっていうだけだと、資本力のある安定した企業としては見られないから信用されない。そういう意味でコラボレイトするということの相互作用がここでは生まれるんです。

宮崎  結局それは、甲斐さんがどこにも属さないでやったからできたんで、それがどこであれ、属していたらできなかったと思うんです。更に言えば、そのディベロッパーも甲斐さんのような外部の人間がいたからできたんであって、内部で例えそういう話があってもできなかったと思う。また、これから何度か組んでディベロッパーサイドに幾らかノウハウが蓄積されたとしても、ディベロッパー独自では多分できないと思うんですよね。甲斐  できないでしょうね。

宮崎  だから、企業が持っているもので価値のあるものは、ノウハウや経験ではなくてむしろ資本力で、あとは顧客リストや流通ルートとか。そこに個人や個人に近いオルタナティブビジネス組織やNPOとかが合わされば変革が起きやすいと思うんですよね。あと、変革っていうけど会社の中のいわゆる男世界の価値観でやってる人たちは、その会社という枠の中にいたら本質的な意識の変革ってできないんじゃないでしょうか。
 会社の中にいると、そこではトップダウンで指示が回ってるから、上から指示されてなんとなくいいかなと本人が思ったとしても、それは個人から生まれたものでなく、組織の仕組みの中でのものだから本当に変わったことにはならない。私は企業の枠の中で変わるなんて言わずに、有能な人はどんどん外に出てほしいんですよね。
   「きゃりあ・ぷれす」では“統一感のある仕事をする為に勇気を持って外に出よう”というのを言ってるんです。そういう時に、男であれば家庭があるとか子供がいるとか言うんですけど、甲斐さんの場合はどうでしたか?

甲斐  やっぱりうちの場合は子供がいなかったというのが大きかったんです。 あの当時子供がいたら相当決意するのが大変だったでしょうね。や ぱり稼ぎというのを一番に考えると、それがゼロになるというのは大 きなリスクになりますよね。でも、大企業でも簡単に倒産するし、リストラもあるしという、どっちを選んでも危ないという話になって来てるんで……。

宮崎  そうそう(笑)。今は結局、誰も保証してくれないし、誰も保証でき ない。

甲斐  だから、結局独立の道を選んだかもしれないですね。

宮崎  会社勤めの時は給料をもらいますが、甲斐さんの場合それは勝手に降ってくるものみたいに思ってましたか?それとも自分で稼いでいると思ってました?

甲斐  それは自分で稼いでいるという意識しかありませんでした。月単位で目標が設定してあって、それに基づいてチェックしながらの仕事だったものですから。

宮崎  では、会社を辞めて、そういうお金を稼ぐプロジェクトをやらないんだから、お金がないのは当たり前という感覚だったのでしょうか?

甲斐  ただ、僕の場合は辞める時にある程度の人脈があったんで、仕事の見通しはできていましたね。

宮崎  収入は減らなかったと?

甲斐  むしろ一番減ったのは、一番最初のコーポラティブ住宅である経堂の杜をやってる時でしたね。それにかかりっきりになるので他の仕事を断らざるを得ない状況だったんです。でもそれは将来に向けての投資だったんですよ。それで経堂の杜が完成したんだけど、そうすると次のプロジェクトがとても重要だと思って、中途半端なものは作りたくないということで選んでいるとまた仕事が来ない。 そうしてるうちに、松陰エコヴィレッジという経堂の杜を上回るレベルのプロジェクトが立ち上がって、それを今やってるんですが、それが完成するといよいよ仕事が次から次へと舞い込んでくる時期が来るかな、と思ってるんですよね。

宮崎  ろそろ仕込みの時期は終わって、次は稼ぐぞという時期ですね。それで、以前会社にいた頃の、ある程度の決定権と収入は保証されているという状況と、今の保証はされてないけど100%決定権があるという立場の違いっていうのは感じますか?

甲斐  圧倒的な違いがあります。一番違うのはストレスです。与えられた仕事の中で感じるストレスは、今思えばとても大きかったんですね。自分で選んだ仕事の中で感じるストレスとではレベルが全然違いますよね。

宮崎  じゃあ今は依存してない分、つまらないストレスはないという状態なわけですね。

甲斐  そうですね、自立した人間同士が相互に働きかけるという、それは依存ではなく共生ですね。

宮崎  会社の中にいると、組織に属しているから大きな仕事ができると思いがちだけど、実際に会社から出てみると違うと思うんですよね。

甲斐  それは自分が自立した人間として周りに認めてもらえるかどうかですよね。組織に属して会社の名刺とかを持って来たって、バックの会社に目が向くだけで本当の意味で信用されてないんですよね。だけど自分で会社を興して、自分自身の名刺を持っていくと相手は自分を見てくれる。

宮崎  何かしてもらおうとしないで、一緒にやろうと考えますよね。

甲斐  それで、話をしてても案外仕事の話なんてしてなくて、それでも付き合っていくうちに波長があったりしてきて、そのうちコラボレイトが始まる。本当に自分自身の力で勝負をするなら、組織から出て自分自身の立場を明確にしていかないと相互作用は生まれにくいですね。

宮崎  企業の中でちゃんとできているなら、外に出ても通用しますよね。有能な人がこれからどんどん出ていけば、企業というものの存在意義が 問われ始めると思うんだけど、企業の存在意義として挙げるならまずなんといっても資本力がある。それで次には本来ノウハウや知識なんだけど、こんなふうに今までのやり方が行き詰まると、これまでの商慣習や業界の常識めいた部分って往々にして足枷になったりしますよね。としたらあとは顧客と……。

甲斐  そうですね、あとは生産力とか生産資源。あと凄いのは流通ルートですね、仕入れルートと販売ルート。それと、大企業とかのグループ企業はお互いの仕事を繋げるのが得意ですね。

宮崎  グループ内で儲かればそれはいいかもしれないけど、それだと外部から新たなものは入って来ないですね。

■チームネット設立

甲斐  チームネットという会社は普通の会社が取る手法とは全く逆の方向性を目指して設立したということですね。 チームネットっていう会社の名前は「チーム」と「ネットワーク」というふたつの言葉の組み合わせなんだけど、意味がふたつあって、それは「個人を超える」というのと「組織を超える」という意味がある。個人はいったん組織の枠組みに入ると、その枠組みの中での価値観しか作れないんですよね。しかし、一方で個人単位でいる限り、小さな枠組みの中でしか仕事ができない。チームネットではまずビジョンがあって、そのビジョンに対して各個人が組織を超えて集う。根底にあるのは宮崎さんもおっしゃってる生活の価値と仕事の一元化なんです。


宮崎  チームネットという会社は普通の会社が取る手法とは全く逆の方向性を目指して設立したと いうことですね。

甲斐  そう。ひとつのビジョンをもって積極的に外のものと結託していって、クローズせずにオープンな関係の中で外へ向かって拡散していく手法なんです。そこでは無駄とか効率とかそういう言葉の意味はなくなっていくんです。それはつまり経済的な行為が先ではなくて、先にビジョンがあって、それを実現していく中で結果的に経済的なフィードバ ックはあるかもしれない。
そこでは経済的な効率は優先的なものではなくって後でついてくるものなんです。

宮崎  でも、ビジョンを実現するにはお金も大事ですよね。

甲斐そう、それも大事ですね。利益を先に見込むという手法は取らないと決めていたんで、独立した後、お金がついてこなくて苦労したんです。
 ビジョンでは飯が食えないことは分かっていたんで、ビジョンをベースにした市場への働きかけを実験しようと思って、「エコロジー住宅市民学校」というボランティア学校を始めました。 独立したばかりで自分自身の価値観と仕事を両立する一元論が成り立つかといえば成り立たなかった。独立してみてもやっぱり企業を相手にしないとお金は稼げなくて、一元論を目指して独立したはいいけど、やがて二元論に従わざるを得ない状況が続いて、苦しい状況が続いたんですよ。

宮崎  甲斐さんが目指したやり方というのは、今でこそNPO的な考え方として理解されやすいんだけど、その当時は全然一般的じゃなかったわけですよね。バブルは弾けたといってもその状況で取られている手法は相変わらずバブルの時代のままの手法だった。

甲斐  環境共生をテーマに掲げた方法を企業に対して働きかけたんだけど、もっと効果があると思っていたんですよね。問題だったのは前例がなかったということとは別で、企業というのは結局、扱っているものは「モノ」なんですよ。投資に対して明確な答えがあるものが売れるものなんですよ。例えばクーラーのスイッチひとつで24時間家全体が快適だという方が分かりやすいわけですよ。そうして断熱性も高めて外との環境を隔離して、閉鎖した空間をつくって家全体をコントロールしやすくするわけですよ。

宮崎  それはある意味、居心地は良さそうですよね。

甲斐  それは機械的な居心地の良さで、均一感があってもそれは外の世界からどんどん隔絶していくものなんです。外の自然要素というのは常に波があって、その波というのは制御できない。そこには不快なものも快適なものもあって、不快なものも快適なものも両方とも隔絶してコントロールし、 安定した環境をつくり出す。それはとても分かりやすい価値観で、それこそが企業の価値観なんですよ。 だけど、僕のやろうとしているのは住まいがあって、その周りの環境も作り上げて、更にその周りの自然環境や町並みにも働きかけるというものなんです。
 それは外へ外へと繋がっていくものなので、個人単位じゃなくて複数の繋がりが必要なものだから、当時の企業の価値観の枠では実現できないものだった。で、企業の枠組みではできないというストレスが僕の中に溜まってきた。それで、ストレス発散のために一旦ビジネスの枠組みを外して、ボランティアという枠組みのなかで新しい価値観を理解してもらうための学校を作ったんです。そこでは、今までになかった情報に対してたくさんの人が賛同したりして評判が高まって、その学校がひとつのきっかけになって経堂の杜を作るに至ったんです。 そうなると今までの手法と全く逆で、でき上がったものは企業では絶対に作れないような価値だったんですよ。

宮崎  企業というのは消費者のニーズに沿ったものを提供しようとしますよね。だから、消費者の意 識自体が目覚めれば、企業も必要性に迫られてそうせざるを得ない。

甲斐  ニーズは顕在化しないとニーズではない。潜在化したニーズは企業にとってニーズではないんですよね。顕在化しているという状況が見て取れれば、企業としても対応せざるを得ない。それで、誰が顕在化の状況をつくり出すのかというと、それは企業という枠を外れたところでしか作れないんですよね。
 僕はコーポラティブという手法を使って、「この指止まれ」と言ってゲリラ的に提案して、消費者のニーズを顕在化する。顕在化してしまえば、それを今度は企業に移植する。顕在化が進んでいく過程で、それがある瞬間メディアとかに取り上げられれば一挙に飛び火して、同時多発的に発展するという段階にもうすぐ到達すると思ってるんですよ。
   そうするとそれが「社会化」という段階。社会化されると顕在化は更に拍車がかかって、企業の活動によって更に増殖作用が生まれてくると、今まで緩やかだった上昇カーブが一挙に昇りはじめるわけですよ。

宮崎  では、今がその昇り始めの臨界点ということでしょうか?

甲斐  そう、その臨界点に向かいつつある場面、っていうのを凄く感じています。自分のやってることをメジャーなものに向かっているという明確な感触をイメージしながら仕事していると、ものすごく楽しいですよね。

■集落研究をして思ったこと
  ◇滋賀県 近江八幡、五個荘町(ごかしょうちょう)で思ったこと

甲斐  「経堂の杜」ができたあとに、日本の集落を歩いてみようと思い、集落研究という自主研究を始めました。最初に行ったのが、近江八幡とその隣の五個荘町(ごかしょうちょう)という所でした。そこはいわゆる水の都で、水路が町を巡っているんです。その水路が、単に町の景観というのではなくて、各家の敷地の中まで流れ込んでいて、洗い場などの生活インフラになっているんです。見ていくと、その水路が上水道なのか下水道なのか明確な区別がない。入って来た水を生活の中で利用して、生活排水を出すという経路が1本で成り立っているんです。
   これがどうして成り立つのかが不思議だったんですが、庭を見ると池があって、その池の中に一旦使った水が貯まって、その中で水は浄化されるんです。池の中には水棲植物や微生物がいて、汚水を浄化して、きれいになった水をまた水路に戻すという繰り返しがある。それで水路の水はきれいなまま保たれるという仕組みになっているんです。 それを見て思ったのは、個人が町のインフラと関係性があって、ちゃんと接することができれば、そのインフラは保たれるということです。そこでは、個人が町に依存し、町は個人の営みに依存している。その相互依存関係が豊かさをつくりだし、調和を生みだしているということがわかりました。
  我々は、集落のコミュニティーとは、ガチガチのがんじがらめな没個性なものだっていう先入観があるけど、実はそうではなくて、コミュニティーが個人の生活の豊かさの支えになっている、ということ理解することができたのです。

 ◇沖縄県 備瀬(びせ)町で思ったこと

甲斐  沖縄県の那覇の逆サイド、名護市の先に、備瀬(びせ)という300年くらい前からある集落があります。
   まず近くに寄って見ると、集落らしきものは何も見えない。森があるなあと思ったら、実はそれは森じゃなくて、1本1本の木が家の生け垣なんです。
   その木は福木っていう常緑の木で、長い年月でゆっくり育っていって、何十年かかけて、5~6メートルくらいの大きさに成長します。
   そこでは、家の周りを木が360度囲っていて、それが同じパターンで並んでいくから、全体が森のように見えるんです。この中を歩くと、木に囲まれた道になっていてものすごく涼しい。風景は縦と横にずっと同じように続いていて、非常に気持ちがいいんです。

宮崎  その集落は、何のために、そのようになっているんでしょうか?

甲斐  これは、台風が来たときに、防風林になるんです。生け垣に囲まれた家が、1軒だけじゃなくて、これだけ寄り添っていると、台風に対する大きな防波堤になるんです。中の家は普通の木造住宅ですが、どんな台風が来ても、この生け垣のおかげで家は守られる。
   一方で、家がどんどんできていくうちに防風林の厚みが増していくと、防風林に守られる耕作地も同時に広がっていくんです。
   ここでは家を作る行為が、環境を作る行為と、集落を作っていく行為と、防風林を作っていく行為と、耕作地ができ上がっていくという行為と同時に進んでいくんです。

◇三重県 御城番屋敷で思ったこと

甲斐  三重県、松坂市にある松山城の城下町に、道を挟んで向かい合わせに10軒の長屋が並んで建っている場所があります。
  そこは、かつて、松山城に勤めるお城番たちの官舎でした

宮崎  そこには今も人が住んでいるのですか?

甲斐  ええ。今でも江戸末期からの末裔の18世帯が暮らしています。長家には表の庭と裏の庭があって、表の庭は道側にあって、公共に対してのつながりの空間の役割を果たしています。裏側はプライベートな庭や畑になっています。ちょうど、イギリスのタウンハウスみたいな感じです。
  それで、生け垣が道に沿って植え込んであるんですが、それが公共のスペースと、プライベートなスペースを緩やかに遮断している。お城へとつながる道を怪しい人物が通らないかと監視もできるし 、外部からの視線を制御し、プライバシーを守る機能もあります。

  そこでは1部屋だけ一般に開放されています。僕も実際にその部屋に入って畳の上でくつろいでみたんですが、外は暑いのに建物の中は涼しい。1時間くらいそこでぼーっとして、雑談とかしてくつろいでいると、ある拍子に表の庭から気持ちのいい風が入ってくるのに気づく。 少しすると、今度は裏の庭から入ってくる。風がなんというか、揺らぐんですね。

  あれ?どうして風があっち行ったり、こっち来たりして揺らぐのかと思ったら、表の道を浜風が駆け抜けていく時、浜風は生け垣と生け垣に挟まれた道をまっすぐ抜けていく。抜けていく時って、風圧の関係で表の庭の空気が生け垣を通過して、外に引っ張られていく。 そうすると、裏側の庭の空気が室内に引っ張られて入ってくる。だから部屋に入ってくる空気は、浜風ではなくて涼しい庭の空気なんです。 裏の道の風が止んだときは、さっきとちょうど逆の現象が起きて、反対の庭の空気が流れて込んでくる。そうやって空気の揺らぎが起きるんです。

   今でも実際に機能している、そういう集落を何カ所か見ていくと、場所は違っても、すごくほっとするような共通の気持ち良さがあるんです。それらの場所では、個人と環境が広い意味で調和が取れているんですね。
   それらはどれも1軒だけじゃなくて、数件の繋がりがあって、はじめて機能するものなんです。個人単位では実現できないものが、人との繋がりの中では実現できる。人とのつながりの中から生まれたものは、時代を超えて気持ちの良さを提供し得るということを、僕はそこで学んだんですね。

 ■環境共生コーポラティブという考え方

甲斐  沖縄の場合、今の住宅は大抵、RC工法(鉄筋コンクリート製住宅)で建てるんです。まず道があって、そこへRC工法で建てた家が建ち並んでいくので、その辺り全体はコンクリートのジャングルになってしまうんです。RC工法だと、住人は気密性の高い住居の中でエアコンを使ったりしながら、住居の中だけの快適性を求めていく。スタンドアローンで成り立つ閉鎖的な環境になってしまうんです。 そうなっていくと、住居の内へこもった人は、外の環境への関心はなくなってくる。そうなると、住人は全く庭に木を植えようとしない、緑の少ないコンクリートむき出しの街並みは街全体が熱の固まりにな ってしまうんです。

  また、各自が自分勝手に家を建てますから、そこには豊かな美しい街並みは決して生まれませんよね。住居の中を快適にする技術がここまで進んでくると、住居の中がまるで宇宙の中を漂っている宇宙船のような感覚になっていき、外の環境、町とかコミュニティーを必要としない生活が営まれるんです。

宮崎  外に出ても、気持ちが悪いので、むしろ家の中にいるというわけです ね。

甲斐  そうです。家の中にいれば、快適で自由な環境は保証されて、煩わしい人間関係もないという発想になる。でも、そこでの生活はクーラーへの依存度が高いので、自律神経が変調を来して、身体の調子を崩したり疲れやすくなってしまう。

宮崎  リフレッシュするために、自然を求めてわざわざ、どこかに行かなきゃならなくなるとか。

甲斐  そうなんです。それから、この家で生活する子供は、学校とコンビニと塾と、自分の部屋(家でなく)を線で結んだ範囲の中で、生活するようになる。
  子供は、その限られた世界の中では、社会性を身に付けることはできないので、未成熟なキレやすい人間になったり、引きこもったりするようになるんです。

宮崎  要するに都会の象徴ですね。

甲斐  そうですね。都市部の人々の生活は、技術の進歩と共にどんどん細かく区切られて、内へ内へとこもっていくものになってしまった。 昔の豊かさは、快適性を保つためには、外へ外へと繋がっていくことで成り立っていたわけで、今と全く正反対なんですよね。集落を見てきて、そこでのコミュニティの価値に、現代の都市で忘れてしまった快適さを感じたんですね。それで、それらをもし現代風にアレンジすることができれば、都市部でも使えるのではないか、と思ったんです。もう一度、都市部における個人にとっての豊かさを実現させるためには、今ではもう使いこなせていないものを、もう 一度使いこなせるようにする。

  ひとつは外の環境、つまり自然環境や住環境で、もうひとつはコミュニティーです。それらをもう一回、自分達の生活を豊かにするための道具として使いこなすというのが、環境共生型コーポラティブにおける僕の戦略です。
  「経堂の杜」というコーポラティブハウスは、12世帯という小さなコミュニティーですが、それでも個人単位ではなく、複数の人の協力によって、樹齢120年という大きなケヤキの木を敷地内に4本残すことができた。
  240坪という限られた空間であっても、コミュニティーを手段として活かせば、戦略的に都市環境を再生することが可能だということがわかった。
  「経堂の杜」の実現で、新しい、個人にとっての豊かさのあり方が目に見えるようになりました。そして、その中に私の事務所があります。ですから、自分のライフワークの実現をまさに目の当たりにしているといった状況なんです。

 ■「住環境」と「働き方」の相互変化

宮崎  家が今みたいに、帰って寝るだけという場所ではなくなれば、昼間の過ごし方も変わっていくと思うんです。家で過ごす時間が増えていくなら、働き方も今とは変わっていくのではないでしょうか?

甲斐  そうですね。企業が変わるのは、まだ時間がかかるかもしれないけど、実際に生活スタイルが変わりつつあるという現状では、企業も変わっていかざるを得ないでしょうね。

宮崎  恐らく「環境」と「働き方」の変革は同時に進んでいくのであって、どちらか一方だけが進むということはないと思うんです。つまり甲斐さんは住環境の変革を進めていって、私達(「きゃりあ・ぷれす」)は働き方の変革を進めていこうとしている。でも、結局は同じものを目指しているんでしょうね。

甲斐  そう思います。今、少しずつ世の中が渦巻き始めていて、その「うねり」を、僕らはお互いで確認しあっているという状況なんでしょうね。僕らが「うねり」の中から読み取ったものを、次はもっとマスな人々へと伝えたときに「うねり」は顕在化して、それが世の中への、何らかの「回答」になるんじゃないかと思っています。

宮崎  それが一番大事なことなんですよね。そこで起きていく「うねり」は、私たちが思い描いていたものかも知れないし、また違ったものかも知れないけど、それがどういうものかは、自然と明らかになっていくんですよね。

甲斐  そうですね。「経堂の杜」のようなプロジェクトに参加する人の反応 を見てると、僕が「快適とは何か」と思いながら作り上げたものが、 たくさんの人々によって受け入れられている。それは自分の思いが決 して特殊なものではなくて、人々の中に潜在していたニーズに叶った ものを作り得たからじゃないか、と思うんですね。
  今、都留文科大学で地域社会学の授業を教えているのですが、その講 議の中で、“そうなっちゃう理論”というのを、結構まじめに教えて いるんです(笑)。 それはふたつの公式があって、「自分の思いは他人の思い」っていう のと、もうひとつは、「他人の思いは自分の思い」っていうもので、 それは自分が思うことは他人も思っているという公式なんです。
  個人が思い描いたものは大きな普遍的なものの一部であって、自分だ けが何か思い付いたと感じても、それは自分がたまたま早めに気付い ただけであって、まだ気が付いてない人にもその思いは潜在している。 だから、何らかの働きかけをすれば、すぐに伝わるものだということ なんです。 自分という存在を社会の一部であると認識し、決して特別な存在では ないと気が付くことって、大事なことなんです。

宮崎  自分の事を深く見つめたら、それは社会に繋がるということなんです よね。企業は、みんながそう言うからといって、個人レベルで思うこ とと全く違う事をやろうとするけど、個人で思うことのが、より本 質に近いという気がします。

甲斐  僕は自分の持っている知識やノウハウを、どんどん外に提供したいと 思います。ノウハウを隠さず、オープンにすることで、今までの市場 を形成していた「常識」が、変容をきたすことになる。その結果とし て市場ができあがった時に、僕はもう仕事を選ぶ必要がなくなるんだ と思います。今現在、僕はまだ特殊な仕事を選んでやっているという 状況だけど、その仕事が一般的なものとなれば、わざわざ営業なんて する必要もなくなるんです。

宮崎  甲斐さんが思い描いていることを、同じように求める人がどんどん出 てくれば、企業の論理もマーケティングも意味を持たなくなりますね。 そうなってくると、今やってることは、環境共生に限定したものでは なく、コミュニケーション全体の変革に関わってきますよね。

甲斐  僕の“そうなっちゃう理論”によるとそうなっていくでしょうね(笑)

宮崎  今、甲斐さんや私達がやってるような活動は、ほかにもいろんな場所 で、国境や人種を越えて、 いろんなカタチで行われていますよね。そ ういった流れが、そんなに遠くない将来、例えば5年ぐらいの間に、 大きな変換を引き起こすと私は感じています。そのためにも、今現在別々で行われているそういった活動を、相互に繋げていくのが「きゃ りあ・ぷれす」の役割だと思っています。