きゃりあ・ぷれす

天職を探せ
様々に悩み、考え、挑戦して、
今『天職』と言えるものを見つけてがんばっている人、
見つけつつある人と発行人宮崎との対談。
天職を見つけた結果よりもそこに至る思考の変遷や
キャリアの蓄積などの経緯にスポットを当てています。
それが、今、様々に悩んだり迷ったりしている方に
少しでも役立てば幸いです。
第5回 工藤敏之さん  「株式会社アバンテク」代表取締役社長
今までにない全く新しい乗り物
サラリーマンに向けてのメッセージ
■プロフィール■
工藤敏之さん 1941年生まれ。北海道出身。帯広柏葉高校卒。タツノメカトロニクスで 36年間、営業職で活躍。6年前、55歳で定年前に退職し、「株式会社ア バンテク」を設立。6年間かけて開発したバランス機構PLS(パラレルリ ンクシステム)を搭載した、前2輪、後1輪の自転車「trike」を20 02年5月より販売開始。“今まで自転車に乗れなかった”人にも乗ること ができ、高齢者にも優しい自転車と好評。TV、雑誌などでも取り上げられ ている。そのかたわら、環境NGO、環境国際総合機構「eco-link 21」の環境コンサルタントも務める。
◇trikeの製造元、「株式会社アバンテク」のホームページ        

◆trikeについて  ~今までにない全く新しい乗り物~

宮崎 私たちは「きゃりあ・ぷれす」というメールマガジンを発信しています。テーマは主に“働き方”についてなんですが、今回はその中でも「天職を探せ」というテーマです。今までは女性がキャリアアップしてきた中で出会った仕事というのが多かったんですが、今回は少し違って、今までやっていた仕事は社会で認められているけれども、これは何か違うと感じて、その思いが強くなってとうとう自分達で起業したという経緯です。
今は働き方が変わってきていて、“年功型賃金”や“終身雇用”がどんどん崩れていっています。今までだと一つの会社に入って、定年ま でその会社にいて、定年後は悠々自適な生活が待っているというのが男性中心の社会の共通認識だったんですが、それが崩れてきて、リス トラがあり途中までしか会社勤めができなかったり、定年まで勤めても、定年後の生活に不安があるという状況です。日本はすでに高齢社 会になっていますが、その中で定年後の第2の人生をいかにして過ごすかを、そろそろひとりひとりが考えなければならない時期になって いると思うんです。
そういう時代背景の中で、定年間近で退職し、第2の人生をスタートさせ、trikeという全く新しい乗り物をお作りになった(株)ア バンテクの工藤敏之さんに今回はお話を伺います。よろしくお願いします。

工藤 
こちらこそよろしくお願いします。

宮崎 trikeというのは、これまで見たことがない乗り物ですね。

工藤 trikeは前輪が2輪、後輪が1輪の3輪自転車です。3輪なので倒れません。ですから非常にゆっくりした速度でも、安定して走ることができます。また、逆に早く走ることもできます。何故早く走れるかというと、前2輪なので重心が前にあるというのと、自転車の場合は、左右に蛇行して走っているので、前に進む力が左右に分散して走っているんですが、trikeは力が分散しない。前を2輪で支えているので力が左右に逃げずに、全ての力が前に進むために使われるんです。なので、軽く漕いだだけで驚くほどスピードが出るんです。

宮崎 3輪の自転車というのは、他の会社では作ってないのですか。

工藤 あります。ただ、ちゃんと走れるのはtrikeだけです。前2輪のバランスを保つパラレルリンクシステムというものがあるからです。そのシステムの開発が大変で、完成までに6年かかりました。

宮崎 では、今までの3輪自転車とは全然違うということですね。trikeが安定しているというのは見た目で分かりますが、スピードが出るというのが意外な気がしました。

工藤 従来の自転車より漕ぐのが楽だと気がついたのには、こんな話があって、自転車で登れる歩道橋があったんですね。すると、マウンテンバイクに乗った青年が前を走っていて、歩道橋を昇りはじめた。すると、途中まで昇っていたんですが、やがて自転車を降りて押して昇りはじめたんです。私はその横をtrikeに乗ったまま追いこし、歩道橋を楽に昇り切ったんです。その時にこの自転車は漕ぐのがすごく楽なことに気がついたんです。 宮崎 それまでは気がつかなかったんですか(笑)。

工藤
 そうなんです。それで、trikeについて、私がいちばん素晴らしいと思うのは、それまで自転車に乗れなかった人が乗れるということなんです。自転車というのは子供の頃、すり傷を作って乗れるようになった人は、一生涯乗れるんです。ですが、練習しても乗れなかった人は、なかなか乗れるようにならない。ところがtrikeは自転車に乗れない人の方が、すんなり乗れるようになるんです。

宮崎 それは、どうしてですか。

工藤 自転車というのは、倒れる方向とは逆に体重をかけて、バランスを取って乗る乗り物だからです。自転車に乗れない人は曲がる方向に体重をかけてしまうんです。ですが、trikeは曲がる方向に体重をかけて乗ればいいので、自転車に乗れない人の方が素直に乗ることができるんです。自転車に乗れる人だと、どうしても逆に体重をかけようとしてしまうんですね。

宮崎 なるほど。私の知り合いにも自転車に乗れない者がいますので、興味を持つかもしれません。

工藤 それは是非、試乗しにいらしてください。先日、自転車に乗ることを医者に止められているおじいさんが、池袋から習志野まで、わざわざタクシーに乗って来たんです。86歳のおじいさんです。おじいさんは以前は自転車に乗っていたそうなんですが、医者が言うには、もし倒れたり事故に遭って怪我でもしたら、寝たきりになると言われて、家族に自転車に乗るのを反対されたんだそうです。でもおじいさんは、自分で自転車に乗って動きたいんです。
 それで、たまたまテレビでtrikeを見て、やって来たんです。自分に乗れたら買って帰ると言って、タクシーを待たせたままtrikeに試乗しました。

宮崎 おじいさんは乗れたんですか。

工藤 乗れました。おじいさんにとって自転車に乗るなというのは、足をもがれるのと同じことなんですよ。もう自転車に乗るのは諦めていたのが乗れたものだから、ものすごく喜びました。タクシーにtrikeを積んで、そのおじいさんは窓から手を振りながら帰っていったんです。
   そんなときは本当に嬉しいですね。人に喜ばれるものを作ったという実感が湧いてきて、自分のしてきたことが間違ってなかったんだと思えました。

宮崎 なるほど。先ほどお話した、テーマの話ですが、今回のテーマの“天職”を私たちは天から与えられた使命のようなものだと捉えています。工藤さんが今関わっておられる仕事に対して、ご自身でそれが“天職”だと思えますか。

工藤 ええ、私はこの仕事なくして今の自分も、これからの自分も無いと思ってます。今では土日も働いて、365日休みなしで働いています。会社勤めをしていた頃は分からなかったんですが、この仕事をするようになって“お客様は神様”ということばの意味が本当に分かった気がします。お客さんは、私たちが気が付かなかったことを教えてくれます。

 今から2年前の話ですが、その頃、私たちは経営が本当に苦しかったときです。飛騨の高山から電話がかかってきて、ろうあ学校の先生からだったんですが。「すごい薬を作ってくれた」と言うんです。何のことか分からなかったんですが、ろうあ者は運動をしないので、汗をかかないし、風にも当たらないらしいんですね。それが、trikeに乗るようになると汗をかいたり、風に当たるんです。すると、今までの10倍も100倍もことばを覚えるのが早くなる、と言うんです。

宮崎 それはどうしてですか。

工藤 運動をすることによって、脳が刺激されるのだそうです。だから、そういう素晴らしい道具を作ってくれた、と言ってくれたのは、とても励まされましたし、ありがたかったんです。そのときに、ああやっぱり、お客様は神様なのだなあと強く思ったんです。
  
 この前、脳に障害のある子供が両親に連れられて来ました。はじめは頑として乗らないと言うんです。それが、最後に父親が乗れないからいらないと言ったのを、子供の方が、乗れるまで練習するから買ってほしいと言ったんです。そういう子供はきっと乗れるようになると思います。   

宮崎 そうでしょうね。

工藤 
 千葉大学教育学部付属の養護学校があるんです。そこの生徒が最近、実習でうちに来て、自転車にステッカーを貼ったり、簡単な組み立てを手伝ったんです。それで、そのお礼に学校へtrikeを2台持ってこの前、挨拶に行きました。
 そこの先生が言うには、生徒が57名いるうち、ひょっとしたら、1割位の生徒しか乗ることができないのではないかという話でした。

 それで、天気のいい日に練習させてみると、結局5割の生徒が乗れたんです。そのときは自転車が足りずに、取り合いになってしまいました(笑)。
 あれから更に練習すると、もっとたくさんの子供達が乗れるようになっているかもしれません。

宮崎 そうなっているといいですね。それでは、ここまでは自転車に乗れない人に向けた活動について伺ってきましたが、trikeは自転車に乗れる人にとっても、楽で乗りやすい自転車と言えると思いますが、乗れる人たちに向けたアプローチはしていますか。

工藤 今のところは、自転車に乗れない人を対象にした活動が主になっていますが、もちろん色々と考えていることはあります。

宮崎 そうですか。それは楽しみですね。ところで、工藤さんをはじめ、3人の方はリタイア後、またはリタイアを目前に控えた中で起業されたのですよね。それはどんな思いからだったのでしょうか。

◆起業のいきさつ~2人の開発者との出会い、第2の人生に思いをかける~

工藤 そもそも私は高校では建築を学んでいたんです。それが石油ポンプを製造する会社に就職し、営業を担当してその会社に30年以上勤務してきました。石油を扱うので、東南アジアに行く機会が多かったんです。外国から日本という国を見ると、会社や仕事に疑問を感じることがいろいろ出てきたんです。

 そのうち自分自身が55歳を迎えて、あと5年勤めれば退職金がもらえて、人生が安泰だという時期に差しかかった時に、果たしてこのままでいいのかという気持ちがいよいよ強くなりました。

宮崎 それはどういうことですか。

工藤 まず、これから先、定年まで今の会社でやりたい仕事があるだろうかとか、今までやってきたことに本当に自分は納得しているのか、やり残したことはないだろうかということです。このままこれから先数年を今の会社でやっていくことの不安をどうしても拭えなくなって、思い悩む日々が続きました。その中で、たまたま林と黒田という男と出会い、一緒に酒を飲む機会がありました。

宮崎 林さんと黒田さんとは同じ会社だったのですか。

工藤
 いえ、林はもともと自動車メーカーに勤めていたのが、定年退職して私の会社に入って来ました。林と黒田はもともとその自動車メーカーで一緒だったので、飲みに行くときに黒田を呼んだんです。その席で彼らは、これからは環境問題に取り組む仕事がしたいんだという話をしたんです。

 彼らは自動車メーカーで環境を汚す自動車というものをさんざん作ってしまった。だからこれからの人生は、せめて環境のためになる仕事をしてみたいと言うんです。それであとから振り返ったときに、“ああ、いい人生だったな”と言えるような第2の人生を送ってみたいと言うんです。

宮崎 その話を聞いたときはどう思いましたか。

工藤 私はそのとき、彼らの話を聞いて、熱い思いがこみ上がってきました。彼らのその思いを何とかして実現したいと思ったんです。それで、そのとき勤めていた会社を定年前に思いきって退職して、自分たちの思いを実現させるために会社を興しました。

宮崎 それは思い切りましたね。辞める前の会社に勤めていた頃は、工藤さんは会社の利益のために一生懸命働いていましたよね。それは、会社の第一の優先事項が利益の追求だからなんですよね。では、今の会社を起業する際には、何を優先的に進めていこうと思ったんですか。

工藤 まずは、開発者の思いを叶えたいということでしょうね。林と黒田は自動車メーカーの創世期を支えた男たちです。そこの社長に、頭をぼんぼん叩かれながら仕事をしたんです。どこに逃げても追い掛けてくるので、最後にはそこまでは追って来ないという理由で、便所の中が彼らの仕事場だったんです。

 私が彼らを信頼するのは、彼らの技術が身体で覚えたものだからなんです。

宮崎 叩き上げでやってきた人たちなんですね。工藤さんが、定年を間近に控えて、本当にやりたいことに出会ったのは、よく理解できました。では、それ以前はどうだったのでしょうか。つまり世の中の動きそのものが今と全然違って、バブル全盛期で景気が良かった頃は、ご自身の仕事に疑問を感じることはありませんでしたか。

工藤 ありました。先程言ったように仕事で外国に行く機会が多かったんですが、そこで分かったことは、日本の会社で作るものは、外国のものの焼き直ししかないということでした。独自の発想で新しいものに取り組もうという姿勢が全然ないので、オリジナルの製品が生まれないんです。私はこんなことではきっと日本の会社は駄目になると、そのとき思いました。

宮崎 林さんと黒田さんのお2人が在籍した自動車製造会社でも、そろそろそういった苦しい状況にあるのではないでしょうか。例えば、お2人のすぐ下の世代の方たちが、仕事のない状態でくすぶっているということはないですか。

工藤 あると思います。技術革新やコンピューターの導入で、仕事のやり方が変わったことも原因でしょうが、満たされない思いを募らせて、思い悩んでいる人は多いと思います。

 林と黒田にも満たされない思いがあって、そういった彼らの思いを叶えたいというのと、彼らの技術を何としても後世に残したいというのが起業の主な理由なんです。利益を出したいというのは二の次の話です。

宮崎 お金儲けというのは後なんですね。

工藤 そうです。

宮崎 なるほど、彼らの技術を残したいとおっしゃいましたが、では、今ある技術を次の世代に引き継ぐということも、事業の中の重要な部分に今後なってきますね。

工藤 そうですね。新たなチャレンジに取り組むためにも、今ある技術をしっかりと引き継いでおくということは非常に重要です。これからtrikeのバランス機構のPLS(パラレルリンクシステム)を様々な分野で流用していこうという構想もあります。PLSは人間でいうところの、骨盤の機能を果たすんです。それは、平行に揺れて高さを一定に保つ働きがあるので、例えば歩行用ロボットに応用したり、耐震住宅に応用したり、ヨットに応用して揺れないキャビンを作ったりと、様々な応用を考えることができます。

宮崎 ではどちらかというと、モノを販売していくことよりも、新たな技術を開発していくことに主眼が置かれているということでしょうか。

工藤 そういうことですね。

宮崎 黒田さんや林さんがいた自動車メーカーは、日本を代表するような大会社ですが、その会社ではtrikeの開発はできなかったんでしょうか。

工藤 それは無理だったと思います。

宮崎 そうですか。企画を持ち込んでみましたか。

工藤 完成したtrikeを見せに持っていったんです。すると、役員が一目見て「これは走らない」と言ったんです。前が2輪だと方向転換するときに、負荷が2倍かかるから走らないと言った。彼らは我々が開発したPLSを理解できなかったんです。

宮崎 大企業だから、PLSを取り入れて大きく展開していこうという話にはならなかったんですか。

工藤 ならなかったんです。

宮崎 それはどうしてですか。

工藤 我々は大企業が作れないものを作ったということです。今の規格から全く外れるものを取り入れることはできないということでしょう。

宮崎 私はここに、ある象徴的な意味が含まれていると思って、大変興味深いんですが、大企業が成し遂げられなかったことを中小企業が成し遂げることができる。それは何故だと思いますか。

工藤 規模が小さい分、速断即決ができるからでしょうね。

宮崎 大企業では新しいことを始めるまでに膨大な時間と書類が必要で、そんなリスクを取るよりは今あるものを焼き直しするという、安易な方法しか取られていない。一方、工藤さんのところでは新しいことでもいいと思ったことは、すぐに実行に移したということですね。

工藤 今までにない新しいものだからこそ、やってみたかったんです。

◆起業するには覚悟が必要!?

宮崎 それでは次に起業する際にずいぶんと苦労なさったそうですが、そのあたりの話を伺ってもよろしいでしょうか。

工藤 ここ5年間は本当に苦しかったです。あとの2人は共に年金をもらっていたんですが、私の場合は10か月だけ失業保険をもらいましたが、あとの5年間は無収入です。今はやっと年金をもらえるようになりました。

宮崎 ということは、まだ給料をもらえるほどに利益が出ていないということでしょうか。

工藤 そうですね。我々は今まで営業活動というものをほとんどしていないんです。どこかで情報を聞いた人から電話がかかってくるとパンフレットを送り、注文に応じるというやり方しかできなかったんです。つまり、本格的に販売する体制が整ってないんです。材料についても、海外からパーツを取り寄せてこちらで組み立てるんですが、パーツの料金は前金で振り込むんです。パーツの納品は2か月後です。納品したパーツを塗装したり、組み立てたりで1か月、販売までに1か月で、翌月に支払いがあるという資金の流れです。当面で5か月分の資金が必要だということになります。

宮崎 それでは、資金繰りが大変ですね。

工藤 そうですね。ですから本音を言うと、パーツのある分だけ注文が入って、その数に対して作っていくというのがいいですね。我々は今までになかったものを作りましたが、もの作りの過程を10とすると、6年かけて製品化した今までの過程が3割で、お客さんが商品を見て、いいものだと認めてお金を払ってもらうまでの過程が7割、これからが大切なんです。

 trikeを発売したのが、今年の5月です。実際に売れはじめたのは7月くらいからですね。そのあとテレビで紹介されて、今では月に40~50台ほどの注文があります。

宮崎 実際のところ、月に何台ほど作れば会社として成り立つという、損益分岐点の目安としては月に何台ほど出荷すればいいんでしょうか。

工藤 100台もあれば、今のところ充分な利益があります。

宮崎 もっとたくさん出荷しなくてもいいんですか。例えば月に1000台の注文が来たりしたら。

工藤 そんなに来たら、うちの製造ラインがパンクしてしまいます(笑)。そうですね、今の設備だと500台ほどがリミットでしょうか。

宮崎 そうですか。注文がたくさん来過ぎても、その分の材料の在庫もないし、先行投資でやりくりしているから、無理が生じるということですね。

工藤 そういうことです。でも、考えてみたらうちで月に500台作ったとして、年に6000台になりますが、日本で年間に売れている自転車の数が1、100万台なんですよ。

宮崎 それは、すごい数ですね。

工藤 ええ、うちの会社に出資してくれる方の中にたまに製造数やシェアのことを言ってくる人がいるのですが、うちは製造数やシェアを目指してtrikeを作ってるわけじゃないんです。安くたくさん作って、捨てられるモノは作りたくないんです。

 本当に良いものを、必要な場所に必要な数だけ届けることができたら、それでいいんです。

宮崎 なるほど。

工藤 ほとんどの方は数字のことはとくに言ってきません。trikeというモノに実際に触れて、モノとしての価値に惚れ込んで、出資してくれているんです。

宮崎 今は完成品があるから、説得力があると思うんです。ですが、まだ製造段階で資金が足りないときにどうやって資金を集めましたか。

工藤 まず、銀行は相手にしてくれません。中小企業庁の公的な基金があるんですが、そこの認定をもらってそこから資金援助を受けました。それから、女房のヘソクリも全部出してもらって、もうこれ以上だと、夜逃げもできないというところまでいきました。

宮崎 それは家族の方のご理解がないと、無理な話でしょうね。

工藤 もうそれは、女房の理解があったからというひと言に尽きます。今になってこそ言えますが、そのころはもう、人に言えないほどの苦労を味わいました。

宮崎 例えばどんなことがあったのでしょうか。

工藤 お正月から電気を止められたことがありますね。

宮崎 それは、払えなくて、滞納してたからでしょうか。

工藤 そうです。そういうことがあって、今ではもう大概のことに耐える自信がつきましたね。開き直ってしまえば、男も強いし、女も強いですね(笑)。それが分かりました。

◆サラリーマンに向けてのメッセージ

宮崎 大多数のサラリーマンの方は退職したり、リストラされたりしたときに、頭の切り替えがなかなかできないんですね。

工藤 そうですね。会社の中にいると自分の仕事を“これは自分にしかできない”という暗示にかけられてしまうんですね。それで、狭い中に縮こまってしまう。それである日、急にリストラされて大騒ぎするんです。それであわてて新しい職場を探しても、年を取っているのでなかなか職に就けないということになるんです。私はずっと営業をやっていたので、まあはっきり言えば技術がないんです。

宮崎 営業には営業としての技術があるとは思いますが。

工藤 私は今までいた会社を辞めて起業するときに、辞める会社よりももっと大きな会社にしてやるという思いで辞めたんです。だから、何としても今の会社をカタチにしたかったんです。ベンチャー企業は99%が不成功に終わるという結果が出ています。

宮崎 そうですね。

工藤 それは、資金が続かなかったということと、途中で諦めてしまったということなんですね。私は絶対に諦めません。常日頃から絶対に諦めないんだと自分に言い聞かせてやってきました。

 “人生は暗いあぜ道みたいなものだが、心に灯りをともして行けば、暗い道も必ず渡れる”ということばが中国にあるんです。私はそのことばを忘れずに、石にしがみついてでも諦めずに今日までやってきたんです。

宮崎 それはいいことばですね。心に響きます。今現在サラリーマンをしていて、行き詰まっている人たちはたくさんいると思います。彼らは会社を去るのも苦しいし、残るのもまた苦しいという生き地獄のような状況にいます。その人たちに向けて、「こういう発想もあるよ」みたいな工藤さんだから言えることばを一つ頂きたいと思うんです。

工藤 世の中の景気が悪いとか、会社の経営が不安だからといって、会社を辞めて何か新しいことを無理矢理やる必要はありません。自分の一生を簡単に棒に振ってしまってはいけません。ただ、自分はこれにかけるんだという熱い思いがあれば、やってみてもいいんじゃないでしょうか。自分の思いにまっしぐらに進む姿を見て、後押ししてくれる人は必ず現れます。

 私はやっぱり、世の中を明るくしたいと思うんですね。世の中を仕切るのは政治家だけじゃない、私たちのような地に足をつけたベンチャー企業が世の中をもっと明るくしていきたいと思いますし、また、そうできると信じてやっています。

宮崎 私もそう思います。今日は貴重なお話をありがとうございました。