「身の程」を忘れた進歩は、これ以上幸せをもたらさない
私たちは、20世紀という時代に、「身の程」を忘れることが進歩であり、快適で豊かな社会を作ると信じてきたように思います。実際そのおかげで、高度消費社会にいる私たちは、すでに「物質的」にはユートピアに到達してしまっているのではないかとさえ思います。ある時期それはそれで必要なことだったのかもしれません。それはそれでひとつの夢でした。でも、そのかわりに「自分の身体にちょうどいい」多くのものを失ってしまったとも感じます。

エネルギーや食料やテクノロジーや情報や、そして何より経済が、得体の知れない大きなヌエに牛耳られ、自分とは関係ないところですべてが動くことへの不快と不安。身体感覚では決して気持ちいいと感じられないことや、このままではダメに決まっていると感じることが、なぜかどんどん進行していく絶望感と倦怠感。