きゃりあ・ぷれす

りーだーず・ぷれす
2005年12月22日号
高田ケラー有子著 「平らな国デンマーク」
〜「幸福度」世界一の社会から〜(NHK生活人新書)
<その2>
前号、<その1>の冒頭部分〜

この本は、JMMのメールマガジンで連載されている高田ケラー有子さんのコラムをまとめたものです。JMMのメールマガジンには様々な海外からのコラムが連載されていますが、その中で特に興味深く読んだものでした。
まだ書籍化される前に、私は高田さんにメールを送りました。これに対し、高田さんは大変丁寧なお返事をくださり、その時初めて出版についてのことを知りました。(高田さんのお返事は、金曜日発行の<その3>に掲載させていただきます。)その後一時帰国された際、高田さんと直接お会いしてお話する機会もいただき、ますますそのお人柄にひかれました。
今回は、この年末年始のお休みに是非読んでいただきたい本として、今日、明日、明後日と短めに3回に分けて「平らな国デンマーク」をご紹介します。

 〜 転載ここまで 〜
まだ書籍化される前にお送りしたメールに対し、
高田さんがご返信くださった大変丁寧なお返事
宮崎郁子さま

お返事が遅くなり大変申訳ありませんでした。実は、メールをいただいた7月2日から帰国しておりまして、昨晩デンマークに戻ってからメールを拝見した次第です。
ご質問の件ですが、宮崎さんの疑問はよく理解できますし、私自身もいろいろとその答えを探しつつ、JMMの寄稿文も書いているようなところがあります。書くことによって、整理しつつある、といったところでしょうか、、、
(宮崎質問)
その時も感じたのですが、なぜデンマークでは、環境や教育についてとても建設的で衆智を集めた議論がおこり、そこから導き出される本当にまっ とうな政策が実行されるのか、なぜ日本では、衆智を集めた真摯な議論がおこらずにごまかしたり詭弁を弄したり、自分の立場の意見を言いっぱな しにするだけのような議論しかなく、訳のわからない政策だけが突っ走るのか、ということです。

ひとつには、単純ではありますが、やはり子供のことを考えている、ということが大きいと思います。
デンマークでよく使われる言葉に「地球は親から譲り受けたものではなく、子どもたちから借りているもの」ということばがあります。
この言葉そのものは、アメリカ原住民のいい伝えであるとか、その出所は調べておりませんが、子供たちから預かっている大切な地球を、大人の責任でちゃんと守ってやろう、と言う意識は非常に高いように思います。
ただ、その意識が高いのはなぜ?と聞かれると、答えにつまってしまいます。それと、国の大きさが「国は一つの大きな家族である」と意識できる大きさでもあること、それを象徴するかのような王室と国民との関係、政治は自分たちひとりひとりが関わっているのだという意識、などなど、あげていけば、細かな要因がいろいろあるように思います。
(宮崎質問)
国民の質と言ってしまえばそれまでですが風の学校主宰者のケンジさんは、北欧には宗教の影響による「慈愛の心」があるからだと言います。

その根源的な要因として、それは多いにあると思われます。
(宮崎質問)
でも、欧米諸国は同じキリスト教なのに、なぜ北欧だけなのか?
そして、日本にはいわゆる一神教は根付いていませんが、自然を畏敬する精神的なバックボーンは強いものがありますし、江戸時代の社会システム は、欧米のどの国よりも循環型だったといわれるのに。

私もそのあたりの整理がまだできておりません。なんとなく感じるものはあるのですが、明確な答えは探せていませんし、私自身これからいろいろ書いて行く中でも、そういったことも含めて文章にしていければ、と思っているところです。
ただ、この国に暮らしていると、自分自身も含めて非常に「人間的」に生きていることを感じます。寒くて暗い北欧だからこそ、人の暖かさを大切にする、ということは大きな要因のひとつだとは思いますが、、。
(宮崎質問)
もうひとつの疑問は、たとえば日本がデンマークのような環境政策、教育政策をとった場合、いま日本人にとって、何か我慢しなければいけないこ とや不便や不都合が生じることがあるのか、ということです。

教育問題に関しては(教育だけではありませんが)、軍国主義の名残があるために、右に倣えの風習がなくならず、人と違うことをすることに躊躇し、同じだと安心するにも関わらず、そこに競争社会があるためのひずみが生じているのだとつくづく思います。
人間が多すぎるために生まれて来た「ふるい」の構造や、コマーシャリズムにも大きな要因があるでしょうし、日本で同じようなことをやっていくには、国の規模が大きすぎるということがまずは大変だろうと思います。
日本人が何かを我慢する、というより、まずは「自己の確立」ができるかどうか、というところではないか、ということも思うところです。帰国するたびに、若い世代の「没個性」を嫌というほど感じますし、日本語の乱れが社会的になってきていることも感じます。そんなところにも、なん らかのゆがみがあるようにさえ思うくらいです。
人と比べてどうなのか、ということより、自分自身はどうなのか、ということを考えられる気持ちの余裕さえ持ちにくい国であるように思います。
(宮崎質問)
高田さんは、デンマークに行かれて、どうな風にお感じになりましたか?

この国に来て最初に感じたことは、「子供が中心」というか「家族が一番」と言う意識と、小さな国だからこそできる自分のサイズをわきまえた上での国の姿勢のようなものも感じています。
先に書いたことも含めてそんなところではありますが、宮崎さんが疑問に思われているような観点も含めて、ズバリの回答にはならなくても、今後もいろいろ書いて行きたいと思っているところです。まだまだ歴史的な背景など、勉強不足なこともありますし、、。
来年の春には、JMMでの話とそういった内容をまとめて新書で発行の予定もありますので、そう言った視点も考えながらまとめられれば、と思っています。
もっとじっくり書くべき内容を、時差ボケのまま大急ぎで書きましたので、思うところそのままですので、その点どうかご了解ください。本業の方もこのあとすぐに展覧会の予定などが入っており、書いた内容に関してのさらなるご質問などに答える余裕がないかもしれませんが、宮崎さんの疑問を私も自分なりに整理していこうと思っていますので、多少なりともご参考になれば幸いです。
働き方や考え方を変えることで、気持ちに余裕を持つことは今の日本人には必要なことであると、私自身も感じます。私も、日本にいた頃は睡眠時間3時間平均で過酷な労働をしておりました。自分というものがどんどん無くなって行く社会に嫌気がさしたことも事実です。そんなこともあり、こちらに来て「人間的」などと思うようになったのかもしれません。
こちらでは、土日は一切仕事をしないのが基本です。私も、土日は家族のための時間、ということで、どんなに忙しくても、仕事を持ち込まないようにしています。
と、書けばいろいろあるので、このあたりでやめておきます。
またJMMで読んでいただけましたら幸いです。

それでは。 高田ケラー有子

 平らな国デンマーク—「幸福度」世界一の社会から (生活人新書) (新書) 高田 ケラー有子 (著)
平らな国デンマーク—「幸福度」世界一の社会から (生活人新書)
高田 ケラー有子 (著)