きゃりあ・ぷれす

りーだーず・ぷれす
2009年11月27日号
「国の行政仕分け」に行ってきました! 宮崎郁子
今ニュースなどで話題の行政刷新会議の「国の行政仕分け」をライブで見てきました。
平日昼間なので、一般の人が参加しにくいのはちょっと問題だと思いますが、
やはり「画期的!」というのが印象です。傍聴しているのは、多くのメディア関係者と、
その他はおそらく国の予算が充当されるはずの事業にかかわる
企業の人々だったのではないかと思います。女性は少なかったですね。

個々の対象事業の判決結果に対する評価については新聞記事などに任せるとして、
ここでは実際にその場で感じたいろいろなことを書いてみたいと思います。

1.政治や行政が市民と同じフィールドにおりてきた。
2.方針や方向性なしで、どうやってこれまで政策が策定され、
 予算がつけられてきたかの不思議。

3.新政権下の方向性による具体的施策や予算編成に対しても、
 同じように公開での評価は必要。
1.政治や行政が市民と同じフィールドにおりてきた。
■大胆に削り、みみっちく減らす。これ経費削減の極意

この「国の行政仕分け」にも、いろいろな批判があります。
たとえば「1時間で何がわかるのか、乱暴ではないか」
たとえば「財務省のシナリオに乗っているだけではないか」
たとえば「たいした予算削減の額にもならなくて、みみっちい、貧乏くさい」などなど。
どれも確かにそういう側面はあります。でも!と私は言いたいのです。

単なる形という方もいると思いますが、これまで密室で各省庁と財務省が
行なってきたこと(かどうかも密室なのでわからないですが)が、
市民が誰でも見ようと思えば見られる。
しかも、別に傍聴券を得るのに並んだりする必要もない。誰でも写真や録音OK。
(たぶん学生ボランティアのスタッフにフラッシュは?と聞くと、
特に禁止ではないとのこと)
こうした、従来の官庁イメージ(堅苦しさ、権威主義、秘密主義など)とは
対極をなす雰囲気こそが、画期的なのです。

税金は私たちのお金です。その使い道がどう決まっていくのか、誰も知らないで、
それが当たり前だったことが変なのです。特に、収入ががた落ちの状況では、
家庭だって企業だって、なるべく時間をかけずに大胆に、
そしてみみっちく経費を削らざるを得ないのです。

■あなたは、行政の部門責任者の顔を見たことがありますか?

東京都副知事の猪瀬氏は、某TV番組で「仕分けなんてまどろっこしいことはしなくていい。
足りないなら一律何10%削減と言ってしまえばいいのだ」と、
それこそ乱暴なことを言っていました。しかし、それは全然違うのです。
予算を削ることだけが目的ではない、その過程を見せることが大切だということが、
彼には全然わかっていないようです。
開かれた場でのやり取りに、私たちが立ち会うことに意味があるのです。

私たちは、私たちの税金の使い道を企画する
行政の部門責任者の顔を見たことがあったでしょうか?
それらを決定する議員の実際に仕事をしている姿を、
どのくらいの人が見たことがありますか?
おそらく何らかの諮問委員などをする人や報道関係など一部の限られた人以外には、
見ることのできない人々、光景なのです。
それを誰でもが間近で見られるようになったことは、
どう考えてたって画期的ではないでしょうか。
2.方針や方向性なしで、どうやってこれまで政策が策定され、
 予算がつけられてきたかの不思議。
■本当は官僚も困っていた目標喪失

私が実際に見て感じたことは、一般的に言われている「官僚」対「仕分け人」の
攻防の構図とはうらはらに、官僚にとってもこうしたやり方は
必ずしも不本意とばかりはいえないのではないかということです。

敗戦後、まあ50年間くらいは、まずは復興、そしてとにかく先進国に追いつけ追い越せ、
とにかく経済成長、とにかく物質的豊かさ、といったわかりやすい目標がありました。
しかも外交ではアメリカ追随。別にいちいち方向性を示さなくても、
優秀な官僚がいれば国は回っていったといえるでしょう。
その間は、官僚も迷うことなく力を発揮できていたのではないでしょうか。

ところが、日本社会も成熟し、世界的にも20世紀型価値観が
行き詰まりを見せ始めた世紀末あたりから、一体何を目指すのか、
何を価値とするのかがわからないまま、行政を進めなければならないという
困った状況に陥っていたのではないでしょうか。
それで組織防衛に向かう、あるいは個人の利得に走る。
「小人、大義を失い不善をなす。」といった体なのだと思われなくもありません。
政治家ともども手に手をとってという感じです。

■寒気すら感じるこれまでの政治の怠慢

予算要求されているほとんどの事業が、継続のもの、慣例的なもの、コンクリートもの、
同時に行なっていながらそれらに整合性がないもの、なのは、
ある意味当然といえば当然です。従来の継続型のもの以外を考えるには、
変えていく方向性や指針が必要だからです。
また、過去からの流れのものについて止めてしまうという判断を
官僚ができるはずもありません。
そういう仕事は、もともと官僚の仕事でも、権限の範囲でもないからです。

それこそ、政治が行なうべき仕事なのです。
今回の行政仕分けは、これまでも政治が行なってこなければならなかったにもかかわらず、
ほとんどなされなかったことを、市民立ち会いのもとで行なっているだけなのだと思います。

もしこれ以上、従来の政治の怠慢状況が続いていたら、
どうなっていたんだろうと、寒気すら感じます。
3.新政権下の方向性による具体的施策や予算編成に対しても、
 同じように公開での評価は必要。
新しい政権では、まだまだ曖昧な部分を残しながら、「Co2,25%削減」
「コンクリートから人へ」「アメリカとの新たな連携」「東アジア共同体構想」など、
これまでとは違うスローガン、方向性が示されています。

鳩山首相は当初、来年も事業仕分けをするかという問いに対して、
来年度はムダはなくなるはずなのでその必要はないという主旨の発言をしていたましたが、
仕分けの現場を視察後、来年度も行なう方向に発言を変えたということです。

本当のところ、方向性や指針があってこその事業仕分けなのではないかと思うのです。
もちろん今回とはスタンスややり方が変ってくるでしょうが、
各省で大臣、副大臣など政治家主導で計画された施策とその予算を、
方向性はどの程度合致しているか、全体の国の予算の中でどうプライオリティを
つけていくかについては、当然十分検討されなくてはいけません。
その過程の第一段階を、国民にオープンにすることは、
今後どのような政権になっても必要だと思います。

そこでのナマのやり取りに接することは、
行政や政治を市民にとってぐっと身近なものにすることは、
間違いないと思いますし、馴れ合いやつくろいは白日のもとにさらされて、
通用しなくなることが期待できます。

お偉い学者の先生たちも、いざ自分の領域まで踏み込まれると、大変な騒ぎですが、
科学や学問といっても決して聖域ではないことを示したことは、
なかなか意味があったと思うのです。

縮んでいく国家予算という今後の状況の中で、
いかなる領域でも「選択と集中」を図っていかなければ、
国自体が生き残っていけないという事実認識を、
どんな偉い方々ももってほしいものです。

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